『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

7巻30話 予言と呪いについて

(薔薇王の葬列アニメ12話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

 

私はここに予言しておく(中略)男たちはその息子の、妻たちはその夫の、孤児たちはその親の非業の死を嘆きつつ、おまえの生まれた日を呪うときが必ずくるだろう。

おまえが生まれたときフクロウが鳴いた(中略)おまえの母親は並みはずれた産みの苦しみを味わった、その結果生まれた子供は母親の期待を並みはずれて裏切り、あのようなりっぱな木になる果実とはとうてい思えぬ不格好な、醜い、肉のかたまりであった。

(『ヘンリー6世』第3部)

 

1話冒頭から度々呪いの言葉のように出てきましたが、これは『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)のほぼ最終部にあるヘンリーの台詞です。30話はいよいよここに対応するシーンとなり、ヘンリーの口からこの言葉が語られます。とはいえ、とはいえ、こんな風に使われてこんな展開になるなんて本当に衝撃でした。

 

『ヘンリー6世』にきっちり落とし込みながら『ロミオとジュリエット』的でもあり、この2作以上に悲劇的な結末だとも思います。

 

色々連想し過ぎでハズしているところはあるでしょうが、菅野先生が凄い重ね方をしている可能性も十分あると思うのでどんどん書きます。

 

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呪いについて

やはり1話の冒頭にあった〈森の奥には魔女がいる〉もこの第1部最終回でリフレインになっています。29話最後にセシリーがヘンリーの元を訪れて「悪魔の子」の話をし、30話の最初に〈森の奥には魔女がいる、だからひとりでは、森へ行ってはいけないよ、魔女の呪いにとらわれてしまうから〉の言葉とともに、塔から森を抜けて走り去るセシリーが描かれます。しかも、森の木に引っかかって彼女のロザリオが切れてしまう描写もされています。

 

1話冒頭と最終部に魔女と予言が出てくる展開が、1話感想記事で書いたようにやや『マクベス』も思わせます。1話でセシリーは魔女ジャンヌとリチャードを重ねて魔女/悪魔視し、また、30話では〈リチャード……お前は呪い、お前は罪そのもの〉〈償わなければならない、お前の「罪」を〉と考えていますが、『薔薇』では上の言葉を予言/呪いとしてヘンリーに与えたのがセシリーにされており、セシリーが『マクベス』の魔女のようでもあります。

 

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HⅥには登場しないセシリーですが、前回29話の感想記事でも書いたようにリチャードの台詞にも母親に言われたと出てきますし、「おまえの母親は並みはずれた産みの苦しみを味わった」と突然ヘンリーが言うのは、不合理と言えば不合理。HⅥではこの後ヘンリーが「私が聞いた他のことも真実なら、お前が生まれてきたのは」(ここのみ原文から翻訳)とも言いかけており、この辺をセシリーが伝えた形にしてしまっているのが見事です。

 

また『リチャード3世』(以下、RⅢ)では、セシリーは「死を呼ぶ怪物をこの世に生み出してしまった」として、出陣前のリチャードに「私の最も重い呪いを持ってお行き」とその死を願う言葉を投げつけており、そのシーンも踏まえてのものの気がします。

 

狼について

こうして不注意な羊飼いは狼のそばから去っていく、こうして罪のない羊はまずその毛を、次にその喉笛を、屠殺人のナイフの前にさらすことになる。(中略)おまえがここにきた目的はなんだ?私のいのちだろう?(HⅥ)

 

HⅥではヘンリーが、リチャードが自分を殺しに来たことを察知して狼に喩えますが、ほぼ同じ台詞でありながら、30話ではここも「預言者は言った……、狼がやってくる…、何も知らぬ子羊は、悪魔の牙に、喉を差し出す」とされており、おそらくやはりセシリーがそう吹き込んだのだろうと思わせるものになっています。

 

5巻20話ではリチャードのために自らの命を差し出すように狼から守ってくれたヘンリーが、29話では正気を失って狼を恐れ、この30話では狼とリチャードを重ねて警戒しているのです。というか、20話のエピソードがおそらくこの台詞から逆算して作られ、リチャードの希望/光と優しい思い出が裏切られる話として配置されたものでしょう。また、HⅥでの狼は殺人の喩えですが、ここでの狼は、この後の展開からすれば、性的誘惑の隠喩になっており、〈あの悪魔が、お前を惑わせた〉〈悪魔の罪〉とセシリーが言ったか、セシリーの話がヘンリーにそう聞こえただろうことが示唆されています。

 

(ヘンリーの台詞の中では「預言」なのですが、これはヘンリーがセシリーの言葉を「預言」=啓示・神からの言葉と受け取ったということで実際は予言=今後の予測であることと、HⅥ小田島訳での予言=ヘンリーによる予言を生かす方向で、記事のタイトルでは予言を使いました。)

 

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すべてを捨てる愛について:『ロミオとジュリエット

ですが、リチャードは「…お前がもう、何も覚えていなくても……」「俺は、ひとつ残らず覚えてる」、「すべてを捨ててもいいと思った、お前と共に生きられるなら……」と告げ、その後では自分の身体の真実も明かし、「ヘンリー、俺を愛してくれ……」と乞いました。6巻21話での約束の通りでもあり、その約束以上の愛の告白です。やはり29、30話はとても『ロミオとジュリエット』的な気がします。有名過ぎて引くのが憚れるほどの台詞ですし、個別の台詞よりは全体の感じかもしれませんけれど……

 

ロミオ、ロミオ! どうしてあなたはロミオ?

(中略)ロミオという名をおすてになって。それがだめなら、私を愛すると誓言して、そうすれば私もキャピュレットの名をすてます

 

リチャードは自分の命まで捨てようと考えています。ロミジュリと経緯は違いますが、愛を全うして2人で死のうとした訳です。

 

ここで書くと蛇足っぽくなりますが、2人を逃すために死を偽装しようとするケイツビーがロレンス神父ポジションに見えたりします。リチャードのためだけに行動する(そういう意味では乳母的かも)ケイツビーも切ない……!

 

情欲の罪について:『ハムレット

「俺を愛して」と言って涙を流すリチャードの目元に、頬に、首筋に、そして口にと、ヘンリーは自ら口づけていき、陶酔するようにリチャードとのキスを深めていきます。それとオーバーラップする形でヘンリーの回想が描かれ、ヘンリーもまたリチャードを欲望し、〈何もかも、奪いつくしてしまいたい〉ほどの想いをもっていたことが明らかにされました。ですが、ヘンリーの自身の想いへの自覚は、〈何という冒涜、恐ろしい罪だ〉〈汚れた血で僕は……大切なものを汚した……〉という考えに導かれてしまいます。

 

セシリーが言ったかもしれない〈あの悪魔が、お前を惑わせた〉のあの悪魔は、ヘンリーには彼の母親キャサリン妃のこととして聞こえただろうことも示されています。その母親の血を受け継ぐ自分が、情欲でリチャードを汚すことをヘンリーは恐れたように思えます。

 

預言者は言った……、狼がやってくる」の「狼」は、母親から受け継いだ(とヘンリーが思っている)彼自身の情欲を指すものにもなっていると思います。

 

やはり5巻20話で、ヘンリーと彼の母との関係が、ハムレットと母ガートルードのように描かれているだろうと書きましたが、この30話でも、ヘンリーが母親を「淫乱」と見なし、そこにつながる自分の欲望も嫌悪してリチャードを拒絶する点がハムレット的であると思います。「尼寺の場」については、このブログ内でもその時々の筋に合わせつつ何度も書いてしまっていますが、ハムレットは、おそらくオフィーリアを大切にしたいと思う(「その祈りのなかにこの身の許しも」)と同時に自分の罪を自覚させる相手として憎み、それゆえに彼女を性愛から遠ざけたいと思い、加えて、彼女も母ガートルードのような女かもしれないことを怖れます。

 

ハムレット もとの木がいやしければ、どんな美徳を接ぎ木しようとむだだ。(中略)わが身のもつ罪悪をいくらでも数えられる。(中略)だから尼寺へ行け、尼寺へ。さようなら。(中略)おれも十分心得ているぞ、おまえたち女は紅白粉をぬりたくり(中略)ふしだらをしておいて、悪いこととは知りませんでしたなどとぬかす。

 

尼寺の場のこのあたりの台詞が、30話でヘンリーが自分の情欲を罪として意識しながら、自分の罪ではなく悪魔のせいと考えていくシーンに入っているんじゃないかという気がします。慄いたヘンリーは「…僕に近寄るな……、悪魔…!」とリチャードを突き放しますが、これもおそらく、リチャード自身のことだけでなく、あるいはそれ以上に、母親や自分の欲望に対するものであり、錯乱の中でそれが混同されたものに思えます。

 

すべてを捨てる愛と狼が来る話が『二人の貴公子』的にも見えることは28話の感想記事で書きました。

 

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天使と悪魔について:『ソネット集』

ヘンリーが少年として愛しいと思ったリチャードがドレス姿で関係を求める展開は、ソネット144も連想します。

 

慰安をもたらすのと、絶望に追いこむのと、2人の恋人がいて、

2つの霊のように、たえず私に働きかける。

いい方の天使はまことに色の白い美貌の男だが、

わるい方の霊は黒い色をした不吉な女だ。

女の悪霊は、すぐにも私を地獄に引きずりおとそうと、

いい方の天使を私のそばからおびきだし、

あの醜くもはなやかな姿で純潔な男をくどきおとし、

この私の聖者を堕落させ、悪魔に変えようとする。

私はわが天使が悪魔になり変わったのではないかと

疑ってはいるのだが、まだ、確かなことは言えない。(中略)

男の天使は女の霊の股ぐら地獄のなかにいるのだろう。

(『ソネット集』144、高松雄一訳・岩波書店

 

天使と悪魔、男の恋人と女の恋人の描写や、悪魔が性関係やその誘惑・欲望として描かれているところが、ヘンリーの内面の経験を連想させます。元の詩の方での意味は、作者には、美青年と女性(ダークレディ)の文字通りの2人の恋人がいて、ダークレディが誘惑して美青年が彼女と関係をもったと疑っているということです。でも、このフレーズも、天使=性欲を向けなくてすむ相手だったはずのリチャードが、悪魔に奪われ/欲望で汚され、嫌悪した女性として誘惑してくるというニュアンスでも読めますよね。この引用の最後の行は、原文では“I guess one angel in another’s hell.”なので、訳文の方が露骨な印象です。原文のもっと宗教的なニュアンスも訳文のセクシュアルな感じも含めて、ソネット144番、この30話っぽいなと思います。

 

ソネット原文はこちらで読めます。

Shakespeare's Sonnets. Plain text 1-154.

 

予言と呪いについて

リチャードを拒絶したヘンリーは、いよいよ記事の最初に提示したHⅥのヘンリーの台詞を語ります。『薔薇』的にはこれも錯乱のなかで、ヘンリーがセシリーの言葉をそのまま語ったものと想像されます。愛を受け入れてくれるかと思った直後にこの衝撃。リチャードには、「近寄るな」「悪魔」も、この予言も、自分の身体が禁忌でありそのために愛が拒絶されたものと聞こえています。ヘンリーの言葉にリチャードは、「…だまれ…」「だまれ!」と何度も繰り返して、最後にヘンリーを刺します。

 

HⅥでは「私が聞いた他のことも真実なら、お前が生まれてきたのは」とヘンリーが言いかけたところで、「もういい、しゃべりながら死ね、予言者め」とリチャードがヘンリーを殺します。

 

「俺を愛して」は、HⅥでのこの後の台詞「年寄りどもが神聖視する「愛」などということばは、似たもの同士の人間のあいだに住みつくがいい、おれのなかにはおいてやらぬ、おれは一人ぼっちの身だ。」と逆ですが、『薔薇』リチャードはヘンリーの拒絶によって再びこの状態に置かれます。

 

1話でも幼いリチャードが荊棘に覆われたように、第1部最終話でもヘンリーの言葉が荊棘としてリチャードを縛りつけました。「茨の森に迷いこんだ男が、茨を引き裂こうとして茨に引き裂かれ、道を見つけようとして道から遠ざかり、どう行けば広いところへ出られるかわからぬまま」に戻ってしまうのです。「愛の神はおれを見捨て、おれを愛の花園から閉め出すべく、言いなりになる自然を賄賂で買収した」「天がおれの肉体をこうねじ曲げて作った以上、今度は地獄がおれの心をそれに合うようにすればいい」。

 

別のストーリーラインを辿りつつHⅥ(3)5幕6場の通りになり、『薔薇』リチャードが、愛を得られなかったHⅥリチャードに再び重なって第1部、完となります。

 

ソネット144、ジョゼフ・サマー(Joseph Summer)作曲。アンサンブルで詩は聞き取りにくいですが、不協和音の感じが30話に合うかもしれません。最初の1分くらいは音楽だけです。


www.youtube.com

 

↓こちらは以前、14巻62話のソネット1番の時にリンクしたproMODERNのものです。どちらにしようか迷ったので両方……。

Sonnet 144: Two Loves I Have - YouTube

 

(※HⅥ 、『ロミオとジュリエット』『ハムレット』は小田島雄志訳・白水社版、RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版、『ソネット集』は高松雄一訳・岩波書店から引用しています。)

 

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