『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

5巻20話「天使」と「愛」について

20話は、多分、様々なオマージュやエピソードが複雑に入っていて、記事を書くのに結構時間がかかってしまいました。それでいて20話の中だけでなく、前後の話とも、大きな流れとしてもまとまっていて、しかも、ぐらぐら揺さぶられるような展開でリチャードとヘンリーの関係が紡がれていくんですよ!菅野先生、どんな風に組み立てているんでしょう。

 

敵襲を受けたリチャードとヘンリーの再会について:セバスチャンとオリヴィア

19話の話からになりますが、ウォリック伯を摂政に任命したヘンリーは、護衛を伴って巡礼の旅に出ました。一方、リチャードはエドワード王の頼みで、ジョージをエドワード王の側に寝返らせるため、内密にイングランドに戻ります。馬車に乗ったヘンリーと、顔を見られないように気をつけているリチャードが、気づかないまま一旦すれ違います

 

2人がちょうどすれ違う時にジャンヌが現れ、ジョージの説得を考えるリチャードに「誘惑は得意技だろ?父上を死に追いやった時みたいに…。」と言って、動揺を誘います。でも、そんな心を挫くような発言をする一方で、ジャンヌはリチャードとヘンリーを会わせようとしたようにも見えるんですよね。

 

その後、リチャードたちは、ヘンリーを狙いに来たものと間違えられ、ヘンリーの護衛に襲われます。リチャードが護衛と闘っているところにヘンリーが現れ、リチャードは思わずヘンリーの手を取って逃げ、追跡をかわそうと森に入っていきます。

 

リチャードとヘンリーの出会いについてはオリジナル展開ながら、1、2巻は『ヘンリー6世』第3部(以下、HⅥ(3))の該当箇所が推測できました。一方、19話からの展開は、こじつけ感はあるもののやはり『十二夜』に擬えられる気がするんです。

 

十二夜』では、嵐の海で命拾いしたセバスチャンが、町にたどり着き、双子の姉妹ヴァイオラがそこにいるとは知らずにオーシーノー公爵を訪問しようとしていました。ですが、シザーリオ(男装のヴァイオラ)と間違えられ、シザーリオを恋敵と狙うオリヴィア宅の客人に襲われます

 

客人とセバスチャンが闘っているところにオリヴィアが現れ、オリヴィアは客人を叱り、セバスチャンをシザーリオと間違えたまま、謝罪して家に連れて行きます。セバスチャンは訳がわからないながらついて行き、自分に愛を語るオリヴィアに「夢ならば、いつまでも俺を眠らせておいてくれ」と、恋に落ちます。

 

オーシーノー公爵のところに行けばヴァイオラに会えたはずのセバスチャンの紆余曲折、これはすれ違いエピソードと言えるでしょう(無理矢理ですけど)。そして、リチャード/セバスチャンは、敵/恋敵と間違えられて、ヘンリーの護衛/オリヴィアの客人に襲われた訳です。オリヴィアはその場で客人を叱りましたが、ヘンリーもその前に護衛たちに武装を解くようたしなめていました。闘いで負傷したリチャードは(セバスチャンは無傷ですが)、森に逃げた後に倒れ、今度はヘンリーがリチャードを背負い、ウロのある木の下に連れて行きます。お互いが本当は誰であるかを知らないままに。

 

木の下でヘンリーの温もりの中で眠ったリチャードと、リチャードを腕に中に抱いて眠ったヘンリーは、目覚めた後、「夢じゃなかった」と思ったり、語ったりしていました。

 

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森の2つのイメージについて

森はこれまで2つのイメージで描かれてきたように思います。1つは、「茨の森に迷いこんだ」(HⅥ(3))を象徴する、母親に置き去りにされ、危機に晒される暗い森(1巻1話や2巻の森はこちら)。もう1つが、ヘンリーと出会い、関係を深めていく森。1巻2話の記事で書いたように、『お気に召すまま』や『夏の夜の夢』で恋人達が身分や立場を離れて逃げ込む森のイメージです(3巻の森はこちら)。

 

20話ではその両方が描かれ、『夏の夜の夢』をフィーチャーした12巻にもそれがつながる形でしょう。12巻は悪夢的ミックスの感じもあります。12巻の読後には、20-21話が、(『夏の夜の夢』で引かれる)ピラマスとシスビーも意識した構成なのかも、とも思いました。そうすると、3巻10話で2人が“壁越し”に会話をしていたこともそのオマージュのように思えてきますね。

  

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19話終わりから20話前半は暗い森のイメージで、失血で意識が遠のくリチャードには、〈死んでしまえ!〉〈悪魔が死んでも悲しむ者など誰もいない〉という声が聞こえます。更に、動くこともままならなくなったリチャードに狼が近寄ってきます。

 

この狼には、森にリチャードを置き去りにした母セシリーも投影されているように思います。ここで置き去りにされた幼いリチャードが描かれ、リチャードには狼が〈生まれた罰だ、あの時死んでいたはずだった!!〉と言っているように聞こえています。直前の回想でセシリーが登場していることもあり、『リチャード3世』でのセシリーの台詞「この呪われた胎(はら)の中で絞め殺しておけば」も思わせます。

 

ですが、ヘンリーが十字架をかざして「去れ!悪魔め…!」「神よご加護を…、死なせるなら僕を」と祈り、狼を退けて、暗い森が払拭されます。ヘンリーの言動は、〈悪魔が死んでも悲しむ者など誰もいない〉という声に対する強い否定にもなっています。

 

20話の中盤からは恋人達の森のイメージで、リチャードとヘンリーは木の下で一緒に眠ったり、語らったり、3巻でのような穏やかな時を過ごします。ヘンリーは、リチャードとのこれまでのことが彼や世界を浄化してくれると語り、悪魔呼ばわりされたリチャードを「君は僕の天使だ」と言うのです。

 

天使だという言い方は、ロミオがジュリエットに、オーシーノーがオリヴィアにしており、愛する人に向けた言葉にも聞こえます。ただ、これが20話最後部で反転(暗転)します。

 

「天使」と「愛」について:シザーリオとオーシーノー

20話最後部でヘンリーは再び「君は僕の天使だよ」と言うのですが、ヘンリーは(性)愛を悪魔的で罪であると捉えており、ここで「天使だ」という意味は、リチャードは(性)愛を向けなくてすむ相手だということです。「友がいればいい…、君の存在が、僕を汚れから救ってくれる」とヘンリーに言われ、リチャードは〈俺は女じゃない…、それなのに、俺はヘンリーを愛している〉と自覚します。

 

ここにも再び、19話の記事に引いた『十二夜』のヴァイオラの台詞が反響しているようにも思えるのです。

 

ヴァイオラ 私は男だからいくら公爵をお慕いしても望みはない。また、私は女だからーああ、なんということだろうーお嬢様がいくら溜息をついてもそれはむだ!

 

オーシーノーがシザーリオを年下の若者として好いているような、そんな好意をヘンリーはリチャードに抱いていると言っているのです(少なくともこの20話では)。ヘンリーに対しては、リチャードは男だから愛される望みはなく、女であれば更にその望みがありません。この直前にヴァイオラは、「男で女のあわれなこの私は公爵に夢中になり」(原文は“And I, poor monster, fond as much on him”)とも言っています。

 

19-20話では、これまで以上に、ヘンリーの前でリチャードの身体が露わになってしまうかと思わせる展開があり、また、ヘンリーが愛や性を嘔吐するほど忌避していることも描かれました。3巻より更に性や欲望に踏み込み、2人には敵対関係だけでなくその点での障害もあることが示される中で、リチャードがヘンリーへの(欲望も含む)愛に気づく流れになっています。

 

泉での拒絶について:『変身物語』のサルマキスとヘルマプロデュートス

(この箇所は後から思いついて追記しました。)

上述の展開は、泉で体を洗うリチャードをヘンリーが追って入ってくる、リチャードが逃げ泉に残ったヘンリーを村の娘達が誘うという展開で描かれています。これ、もしかしたら、ピラマスとシスビー(ピュラモスとティスべ)も収録されている『変身物語』の中のヘルマプロディートスが使われているかなと思いました。

 

美少年のヘルマプロデュートスは泉で水浴びしている時に、ニンフのサルマキスに無理矢理キスされたり触られたりして、抵抗したものの、サルマキスが彼と離れたくないと神々に懇願したため2人は一体の両性具有になります。そして、それを嫌悪したヘルマプロデュートスが、その泉の水を浴びた者が両性具有となる呪いをかけたという話です。それもあって、「ヘルマプロデュートス」は「美しい女体をもった美少年」や両性具有という意味にもなっているそうです。

 

ヘルマプロディートス - Wikipedia

 

この話が逆順的になっているようにも思えます。泉で水浴びするリチャードは両性具有の身体を嫌悪し発覚を恐れ、呪われたと思っており、リチャードを追って泉に入ったヘンリーは無自覚に性的にもリチャードに惹かれつつリチャードには逃げられ、村娘達に触られて肉体関係を迫られ、過去の性被害を思い出します。リチャードはヘンリーから「綺麗」と言われ(洗ったので綺麗になったと言うつもりだったヘンリーは、自身の言葉でリチャード自体が綺麗であることに意識が向きます)、ヘンリーは村娘から「可愛い」と言われており、リチャードもヘンリーも美少年・美青年でヘルマプロデュートス的です。

 

ヘンリーと母親について:『ハムレット

ヘンリーが愛や性を嫌悪するのは、彼の母親(キャサリン王妃)に原因があることも今話で描かれます。『ハムレット』(以下、Hm)については、もうだいたい4巻の記事で書いてしまった感がありますが、4巻以上にハムレットと彼の母ガートルードの話に近いのは、今話のヘンリーと母親・キャサリン王妃の方です。キャサリン王妃の事実上の再婚が、Hmに重ねられている気がします。(キャサリン王妃は正式な再婚を認められず、その墓はヘンリー6世によって「ヘンリー5世未亡人」の銘が刻まれたそうです(『英国王室史』)。)

 

Hmでは、その冒頭からハムレットは、亡父を蔑ろにするような母親の早期の再婚に怒り悲しみ「不義の床」と言っており、『薔薇』ではヘンリーが「母の不実と裏切り」と言っています。Hmには母の情事を目撃するシーンは流石にありませんが(でも演出によってはありそうな気もします)、「脂ぎった汗くさい寝床のなかで、欲情にただれた日々を送っている」と露骨な言葉でハムレットが母親を非難する箇所などはあります。

 

ヘンリーは母親が(彼女自身がベッドで自分を「悪魔」と言っているからでもありますが)「『悪魔』だった」と言い、ハムレットは「どんな悪魔にたぶらかされ、盲にひとしい行為をしてしまったのです?」と母親を詰っています。

 

母の再婚によってハムレットが女性や自分の欲望に不信を抱き、オフィーリアを遠ざけ、ホレーシオに心を開くプロットが、4巻とは全く異なる様相で20話でも展開されているように思います。ヘンリーは、「だから僕は…、誰も、愛さない」「心から信頼できる友がいればいい…」と語ります。ここではリチャードがホレーシオ・ポジションですね。

 

(回想で妊娠した姿のキャサリン王妃が出てきますが、因みに、その子供の子供が、多分そろそろ登場のリッチモンドです。ヘンリーにとっては異父弟の子供。)

 

20話から振り返ると、19話でマーガレットが床入りについて「どちらかが嫌だと言うのなら力づくでモノになさい」とした発言がとても重たいものに思えます。(後の話で更に詳細が明らかにされますが)マーガレットもヘンリーに加害的であったことが示唆されています。ですが、マーガレットは「義務を果たしなさい」とも言っていて、彼女には夫婦関係は立場に伴う義務として意識されています。徹底的に2人の考えは違っており、彼女もまた噛み合わない結婚生活の犠牲者とも言えそうです。わずかの場面や台詞なのに、こういう重ね方が素晴らしいですよね。『薔薇』マーガレットに対しては、サフォークとのロマンスがあって本当によかったね、とか思っちゃうんですよ。『薔薇』ではマーガレットとサフォークもプラトニックなのかな、という印象を持ちますが。

 

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狼について

この展開から再び狼の話を考えると、「天使」がそうであったように、狼も両義的なものであるように思えます。先ほど書いたように、これはヘンリーが暗い森の呪いを解くものでしたが、他方では今後に影を落とす象徴のような気もします。7巻のネタバレの話もしますので、それを避けたい方はここまでで。

 

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Andreas Nesselthaler (1748 - 1821) Pyramus and Thisbe [Public domain]

 

この20話での狼の話と、HⅥ(3)の最後部の台詞は反転しているような感があります。HⅥ(3)と『薔薇』の展開は異なりますが、逆に言えば、リチャードの救いになったヘンリーの言動が逆転するかのような展開になるのが7巻で、しかも、20話ではそのための伏線もばっちり張られているのです。

 

HⅥ(3)最後部では、ロンドン塔に幽閉されたヘンリーを殺害すべくリチャードがやって来て、ヘンリーに悪魔呼ばわりされます。そして、リチャードに言われて看守がその場から去ると「こうして不注意な羊飼いはのそばから去っていく」と言い、「おまえがここにきた目的はなんだ?わたしのいのちだろう?」とリチャードに問います。ここで悪魔、狼、と言われているのはリチャードで、ヘンリーは、“リチャードのために”ではなく、“リチャードに対して”命を差し出すことになっています。

 

『薔薇』7巻でも、リチャードが幽閉されたヘンリーを殺害しようとはしますが、HⅥとは違って、リチャードはヘンリーと結ばれて一緒に死のうとしていました。ですが、キスを交わす最中に、ヘンリーは突然「僕に近寄るな……悪魔…!」とリチャードを拒絶します。ここで「悪魔」は、HⅥとは異なり、命を狙いに来たことに対してではなく、性や欲望を喚起させることに対して言われています。

 

ヘンリーは、自分の母が情欲に奔放だったという意味で「悪魔」だったと言っています。狼=悪魔は、一つには死、もう一つには性・情欲の象徴のようでもあり、ヘンリーは20話でその両方を退けていることになります。「人の味を知らない狼だったんだろう…」も、性の比喩に読めます。

 

そして、ここから先はもう完全にこじつけですが、『お気に召すまま』と、ピラマスとシスビーには、狼ならぬライオンに襲われる話が出てきます。『お気に召すまま』では、オーランドーがライオンに襲われ怪我をしたと聞いてロザリンドが倒れ、ロザリンドのオーランドーへの想いや、男装していることがオーランドーや彼の兄にもしかしたらばれたかなと思わせる展開になっています。これは2人の関係を進展させる話になっています

 

他方、ピラマスとシスビーでは、ライオンから逃げようとしたシスビーがピラマスと行き違い、ピラマスは、シスビーがライオンに襲われて亡くなったと誤解して命を断ちます。こちらは誤解による悲劇の源がライオンです。

 

この20話では、狼エピソードは、HⅥ(3)を逆にし、ヘンリーのリチャードへの想いを示して、『お気に召すまま』的に2人の関係が進展する形で使われているように思えます。他方、7巻では、精神の均衡を失ったヘンリーが、HⅥに近い形で狼を恐れ、また2人の間で特に性をめぐる気持ちの行き違いや誤解による悲劇が生じます。

 

そして7巻最終話でのリチャードとヘンリーの思いの行き違いと悲劇を生じさせているのが誰かといえば、それぞれの母親(セシリーは狼の台詞と重なりますし、ヘンリーの母は悪魔と重ねられています)だったりする訳です。

 

(※HⅥ (3)、十二夜』『ハムレット』は小田島雄志訳・白水社版から、『リチャード3世』は河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)
 
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次から6巻です。