『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

4巻13話父の敵討ちと王を殺すことについて:『ハムレット』

王冠への欲望と逡巡について

13話は「あの環の中には楽園がある」から始まっています。バッキンガムの発言で、押し殺していた王冠への欲望に火が着いてしまった感のある始まりです。この箇所の絵がボスの『快楽の園』的ですね。8巻33話の記事を書いた時には、13話のこの場面を覚えていなかったんですが(すみません)、33話の絵もやはりボスのオマージュかなーと改めて思いました。

 

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続くリチャードの独白は、やはり『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ(3))3幕2場の台詞がうまくアレンジされています。

 

リチャード 俺の魂の欲することと俺とのあいだには、色好みのエドワード王が埋葬されてもまだクレランスがいる、ヘンリーも、その小倅のエドワードもいる(中略)遠くにある王冠を手に入れたいと念じ(中略)そいつらを消してやると言っては出来もしないことを夢想して自分をおだてている。(中略)だから、いいか、リチャードのための王国なんかないと思え、だが、この世の中、それ以外にどんな楽しみがある?(中略)言葉と見てくれで可愛いご婦人方をとりこにするか。ああ、思っただけで惨めになる、そんなことはあり得ない、金の王冠を二十個手に入れる以上の難題だ。HⅥ(3)

 

HⅥ(3)では、身体の障害ゆえに愛されるなんてあり得ない、となっているのを、13話では「無様な身体」では王位につけない、としてリチャードに煩悶させているのがいいですよね。それでも〈それならば誰がふさわしいというのだ?〉、〈兄上が王にふさわしいか、ヘンリーが?その息子が?ありえないーー!!〉とも考え、そこにヨーク公の幻が〈私の名を残せ、王の名だ〉とリチャードを煽る展開です。13話前半は、愛より王冠に比重が置かれる形になっています。

 

そこから、12話の最後の「ヘンリーの首」がもたらされたという話に戻ります。ですが、酒場の男たちは「首だけ・・・ ではございませんので」とヘンリーを生きたまま差し出したというオチ(笑)。『薔薇』オリジナルですが、言葉遊び感覚がシェイクスピアっぽいように思います、好き。

 

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ヨーク公の幻影と敵討ちについて

囚われたヘンリーは重い扉の向こうにいて、リチャードとは対面しないままという展開です。リチャードは、「ヘンリーは父上の敵ですよ」「王を殺してはいけませんか」と扉の向こうのヘンリーを殺す気満々。ですが、エドワード王やジョージは前王/ランカスター頭首としての処遇を考え、エドワード王は剣を引いて退がるようリチャードに命じました。リチャードは、その命令にも不服なら、扉越しに聞いた声が羊飼いのヘンリーに似た声だと思い、そんな風に思った自分にも不本意で更に荒れます。

 

いつ激情に駆られ行動を起こすかも」と危ぶまれたリチャードは、ミドラム城のウォリック伯の下に預けられることになります。

 

このあたりから15話くらいまで、『ハムレット』(以下、Hm)がフィーチャーされているような気がします

 

Hmでは、ハムレットの父の前王を殺し、妃だった母と再婚した叔父クローディアスがデンマークの王位に就いています。幕開きではハムレットも含め、皆、クローディアスによる殺害とは知らないのですが、父王の亡霊が現れてハムレットに自分の仇を討て、と告げます。ハムレットは(リチャードと違って)王位への野望はないようですが、初めからクローディアスが王位にふさわしくないとは思っていました。

 

父殺害の真相を確かめて敵を討つためにハムレットは狂気を装い、それを不審に思ったクローディアスは、内大臣ポローニアスに様子を探らせます。ポローニアスは、ハムレットが狂気に陥ったのはオフィーリア(ポローニアスの娘)への恋と傷心のためだろうと勘違いして、2人を会わせて様子を窺ったりする訳です。一方、クローディアスは恋のためではなかろうと察知し、「危険なものになるかもしれぬ。それに先手を打って……あれをただちにイギリスにつかわす」(Hm)とするのです。

 

「王を殺してはいけませんか」に、HⅥ(3)の王冠への野望(「そいつらを消してやる」)と、Hmの敵討ちの使命が統合されて見え、2つがミックスされた展開という印象です。しかも、ハムレット壁掛けの後ろにいた人物を見ないままクローディアスと思って殺し、それを非難する母に「そのとおりだ、母上、王を殺して、その弟と結婚するにも劣らぬひどさだ」と言って壁掛けを上げて間違いに気づきます。リチャードは扉の向こうの前王ヘンリーが本当は誰かわからないまま「王を殺してはいけませんか」と言っています。

 

このプロットとの関係では、父の敵(+ふさわしくない王)としてのクローディアスのパートがヘンリー、危険なハムレットをコントロールしようとする王(+ふさわしくない王)としてのクローディアスのパートがエドワード王、ポローニアスがウォリック、オフィーリアがアンというところでしょう(ジョージとの関係ではイザベルもオフィーリア・パートかと思います)。

 

バッキンガムとフォーティンブラスについて

ウォリック伯とミドラムに赴く途中で、リチャードがバッキンガムとすれ違う挿話が出てきます。これはウォリックの動向をバッキンガムが疑う伏線でもあるでしょうが、ハムレットイングランドに向かう途中で、フォーティンブラスを見かける場面を彷彿とさせます。(と、書くと冷静な判断のようですが、もちろんかなり疑わしい想像です。)

 

無理に全員をHmと重ねる必要はないと思いますが、ここから、バッキンガムとの関係はハムレットとフォーティンブラスかな、という印象をもちました。

 

フォーティンブラスはノルウェーの王子で、生意気な「若輩者」と言われる一方、ハムレットは彼の戦ぶりを見て、自分がなすべきことを自問し決断します。ハムレットをインスパイアする存在という感じで、最後にはデンマークの王位がフォーティンブラスに与えられます。

 

バッキンガム=フォーティンブラスでもいいのですが、リチャードにとってのバッキンガム、バッキンガムにとってのリチャードが、それぞれハムレットにとってのフォーティンブラスという気もします。この時点では、リチャードは騎乗していないバッキンガムを「ガキだ」と言っていますが、バッキンガムの発言に揺さぶられていますし、バッキンガムの方はもうリチャードを王に決め、「ガキ」と言われて馬に乗り換えたりしています。

 

ジョージとイザベルについて

ジョージがウォリック伯の側につくのはHⅥ(3)通りなのですが、ここも一寸Hmが絡む印象です。

 

HⅥ(3)ではジョージは、兄とエリザベスとの結婚に、フランスを敵にする可能性など政治的にまずい決断だと考えて反対します。そして、ウォリックの謀反とランカスターの王子エドワードとアンの結婚の知らせを聞いて、対抗するように「[結婚が決まったのは]姉娘のほうだな、このクラレンスは妹をもらう」と、自らウォリックのもとに行く流れになっています。彼の選択もかなり政治的・政略的なものに見えます。

 

『薔薇』ではジョージもまた情勢判断だけでなく、エドワード王がリチャードを贔屓する疎外感や、イザベルへの恋から気持ちが揺らいでいるような描かれ方です。エドワード王とエリザベスとの結婚についても、自分だけが知らされていなかったという反発もあります。

 

3巻で、エドワード王がエリザベスとの逢瀬にリチャードだけを連れていく展開にしたことがここで効いてくる訳で、リチャードとヘンリーの関係を深めただけでなく、兄弟の亀裂にも絡ませるうまい構成だなーと改めて思います。3巻では、リチャードもエドワードの結婚を問題とは思いつつ、「共犯者」だと巻き込まれたり、ヘンリーとのことで一寸後ろめたかったりで、何も言わないまま、ジョージだけが違う立場という形になってしまいます。HⅥ(3)でのリチャードは、エリザベスとの結婚について多少反対するものの、王が決めたことだとも言い、表面的にはどちらにもいい顔をします。『薔薇』ではリチャードは結果としてHⅥ(3)と同様の立場に立つ訳です。

 

13話ではジョージとイザベルが久々に会い、いい雰囲気になったところにウォリック伯が「婚姻前の交渉は困りますなジョージ様」と割って入るかのようにやって来ました。将来の岳父がこんな時に来るって、ジョージにはきっと嫌すぎる展開。しかも冷静なウォリックの威圧感が凄いですが、ここがオフィーリアに説教するポローニアスのような印象です。もっとも、ポローニアスは、ハムレットに直接言うのではなく、オフィーリアに操を守るよう警告しています。

 

ポローニアス わしの娘としておまえの操がどんなに大事か。(中略)嫁入り前の身を大事にするがいい。ご命令とあればいつでもお会いいたします、というのではなく、もっと高くかまえているのだ。(Hm)

 

ウォリックはイザベルが「王妃になる大切な体ではありませんか」と言って、ジョージに王位を提示しながらエドワード王から離反させようとします。

 

ポローニアスは謀反など考えていないので、謀反についてはHⅥ(3)に沿った展開ですが、この先の14話ではHⅥ(3)以上に史料からと思われる台詞で、ウォリックがジョージを唆す流れになっています。ウォリックは、「あなたはいつも輪の外だ」と言い、エリザベスの親族ウッドヴィルの台頭で自分が追いやられたように、ジョージの地位もまた脅かされるようになるだろうと不安を掻き立てます。(史実的な前後関係としては、むしろ、ジョージがウォリック側についたからその後もエドワードと距離ができたということなのでしょうけれど。実際、第2部で、そうなっていく訳ですよね。)

 

ウォリックは、リチャードに対しても、ヨーク公を信奉する自分こそリチャードに近いことを仄めかして、自分の味方につけようとしアンを利用します。リチャードとアンが乗馬デートに出かけた時にも、ポローニアスのようにウォリックが2人の様子を窺っていたりしました。

 

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「おまえの名は女」

リチャードはミドラム城に来てからも、扉越しの声にヘンリーを思い出して惑った自分に苛立っていました。そんなリチャードにジャンヌが現れて揶揄い、本当はこうして欲しいだろうと剣を胸に突き立ててみせます。リチャードを女性とする肉体関係の比喩ですが、ヘンリーが実は敵として剣を向けようとした相手でもある点でも、ドキッとさせられる描写です。

 

リチャードは、完全な男性でないことにコンプレックスを抱きつつ、〈『女』というのはーー〉〈長い髪を飾り、ドレスを着て、男に守られ、男の帰りを待っている〉のだから、自分は女ではない、と自分に言い聞かせます。

 

リチャードは自分がヘンリーに抱いてしまった愛に苛立ち、自分の女性性を否定するためこんなステレオタイプを出しています(『薔薇』のメインの女性キャラクターはほとんどどこかそれに当てはまらなかったりしますよね)。Hmでは、ハムレットが母親の再婚に傷つき苛立ち「心弱きもの、おまえの名は女!」と、母親だけでなく女性全体に不信を広げるかのような独白をしています。そしてこの感情が、愛したはずのオフィーリアとの関係にも影を落とします。お互いの誤解、あるいはハムレットにとってはオフィーリアの裏切りに思える行為もあり、「おまえたち女は、紅お白粉をぬりたくり……甘ったれた口をきく……」そんな言葉までオフィーリアにぶつけます。

 

『薔薇』では、母親の再婚(別の男性との関係)で女性不信に陥るのはヘンリーで、リチャードの母・セシリーには再婚等はありません。ただ、〈俺は、女なんかじゃない〉と思う箇所で、恐ろしい表情のセシリーが描かれています。自分に愛を向けてくれなかった母親と自分の肉体への嫌悪が、Hmと重ねられて、リチャードの女性に対する否定的な感情として描かれているようにも思うのです。

 

そこに、リチャードの女性に対する臆見を覆すような形でアンが乗馬に誘いました。アンもまた、女性役割にあまり馴染めないでいることをリチャードに語り、リチャードも「貴女がもし男だったら…きっと良い騎士になった」と認めます。型通りではない不器用な2人が、特別感を認め合っていい関係に行けそうな感じが醸されます。

 

〈アンは、他の女達と違う……〉〈一緒にいると心が穏やかになる〉と、ヘンリーに対するのとは違う方向でリチャードの心が動いていきます。「他の人と違う」は、過去にリチャードが誤解したアンの台詞と同じですよね(1巻4話)。その誤解で気まずかった関係は2巻8話で修復され、ここではリチャードが〈他の女達と違う〉特別感を抱いています。14話では〈きっと母上とは違う〉とも思っているんですよ。なのに、ここもHm展開になって、期待は絶望に変わる訳です。しかも、乗馬エピソードについては14話での絶望はまだ上げ底だったりするという……。

 

(※HⅥ (3)の翻訳は松岡和子・筑摩文庫版から、Hmは小田島雄志訳・白水社から引用しています。)
 
 
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