『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

1巻2話リチャードとヘンリーの出会いについて

ヨーク公の高潔さについて

2話は100年戦争とその和睦の回想シーンから始まります。『ヘンリー6世』(第1部)準拠でジャンヌの火刑が描かれていますが、ジャンヌが原典に出てくるのはここまで。ジャンヌを処刑するのはヨーク公(父上)たちなので、『薔薇』での亡霊としてのジャンヌの登場は因果応報的でもありますね。
 
(※『ヘンリー6世』(第1部)(第2部)(第3部)はHⅥ(1)(2)(3)、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。自分の忘備録も兼ねて2幕3場など細かいところまで書く場合はHⅥ(1)2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。
翻訳は、HⅥ(1)(2)は松岡和子訳・ちくま文庫版、HⅥ(3) は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
 
ヘンリーが神への信仰ゆえに戦争を止めようとするのもHⅥ(1)通りなのですが、HⅥでは、停戦を決めた後にヘンリーがマーガレット(マーガレットはフランスのロレーヌ・アンジュー公の娘です)と結婚しようとして更に和睦の条件を不利なものにしています。
 
HⅥでは、ヘンリーがマーガレットに一方的に思いを寄せており、 マーガレットとサフォーク(『薔薇』では3話で絵姿のみ登場)が相思相愛の関係で、ヘンリーはそのサフォークの口車に乗ってマーガレットと結婚し条件の悪い和睦を結んでしまうことになっています。
 
ですので、HⅥでは、ヘンリー6世、エドワード4世と、2人続けて、王が私情を優先して妻を娶ったために問題が起きたようになっています。ヘンリーの結婚については、戦争継続派と和睦派の思惑があったという説もありますし、エドワード4世(兄上)の結婚は、ウォリック伯の権限縮小の目論見があったという説もあるようですが(森護『英国王室史話』)、シェイクスピアは誤った妃選びだったように書いているわけです。エリザベス1世の時代にこれが書かれていたことを考えると更に複雑な気持ちになります。
 
ちょっと横道に逸れました。
 
和睦については、ヨーク公はHⅥでも不満をもっており、確かに「これまでに一体どれほど多くの貴族、隊長、紳士、兵士たちが殺されたと思う」(HⅥ(1)5-4)と言ってはいるのですが、これを言う相手は使者ですし、和睦条件がさらに悪くなったときも一人で毒づくだけです。
 
原典でヨーク公が「お前の頭に王冠は似合わない、お前の手は巡礼の杖でも掴んでいればいい」(HⅥ(2)5-1)とヘンリーに面と向かって言うのは、この後さらに王宮内の権力抗争や内戦などの悶着が起きてヨーク公が兵力を蓄えてからです。(ちなみに、この王宮内の悶着は、『薔薇』10巻の話に転用されています。)
 
そのHⅥ (2)5-1の台詞が『薔薇』では100年戦争和睦の場面の台詞で使われています。これは HⅥ部をリチャード中心に描くためのうまい省略でもありますが、このつなぎ方でヨーク公がより清廉な印象になっていると思います。
 
HⅥでは、ヨーク公の「王笏は似合わない」という抗議もドロドロの権力抗争の一部という感じですが、『薔薇』ではヨーク公の方に王の器がある描き方です。後の巻でのウォリック伯の回想でも、ヨーク公の方が王にふさわしく見えた描写があります。
 
原典のヨーク公は政治的な権謀術数にも長けている感じ、こちらの父上はもっと高潔な感じがします。 HⅥでも、人を見下すリチャードにしては、ヨーク公のことは敬愛し戦闘では本気で心配していると思いますが、『薔薇』ではそれ以上に、リチャードを愛して認めてくれて「光」になるヨーク公なので、清廉・高潔なキャラクター設定にすることもうまいなあと思います。
 
後から書ければと思いますが、そこからハムレットの父王に近いイメージになっている気がします。
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名の継承について

100年戦争と和睦の回想を挟んで、ヨーク公が王位を求めた戦いに出る1話の続きの場面になります。

 

原典ではリチャードも参戦していますが、『薔薇』リチャードはここでも若いという理由で城に残るように言われます。

 

ここでヨーク公がリチャードに言う「私の名を残せ、王の名だ」には、1話の記事でも書いた兄エドワードの台詞とともに、HⅥ(1)のトールボット親子の話も使われているように思います。戦況が不利になったため、父親がまだ若い息子に戦場から逃げるように命じて「トールボットの名は若いお前の中でよみがえる」と言う親子愛が描かれた場面です。『薔薇』の台詞もヨーク公の愛情を感じさせるものですが、でも同時に、これが後々リチャードを縛るものにもなりますよね。 城に残ったリチャードたちは王子エドワードに捕らえられます。

 

HⅥ(3)では、リチャードはヨーク公と共に参戦していて、弟ラトランドが戦場に行かず城に残っており、ランカスター側のクリフォードに捕らえられます。(史実との関係まで書くと更にややこしくなるので、ここではHⅥとの関係だけ書いています。)

 

ラトランドもクリフォードも『薔薇』には出てきませんが、菅野先生は、王子エドワードの造形にクリフォードを入れているとおっしゃっていましたし、この話を下敷きに、3話のリチャードと王子エドワードの舌戦(?)につなげているだろうと思います。もっとも、HⅥではラトランドがクリフォードに殺されるという凄惨な場面だったりしますが。

 

菅野文『薔薇王の葬列』インタビュー シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』の新解釈! 主人公は両性具有!?  |  このマンガがすごい!WEB

 

リチャードとヘンリー、アーデンの森で出会う(違)

囚われた城内から、白猪(「白いの」)に導かれて、リチャードはヘンリーとお互いに誰か知らないままに出会います。『薔薇』の真骨頂となるオリジナル展開です!

 

ヘンリーがリチャードに語る羊飼いについての台詞が、情景描写と共に美しく描かれます。HⅥ(3)の対応箇所は以下の通り。

 

ああ、神よ!私にはどんなにしあわせと思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが!いま私がしているように丘の上に腰をおろし、日時計の目盛りを一つ一つ巧みに刻みつけ、それを見れば、時のたつのがわかるのだ(中略)サンザシの茂みが、無邪気な羊の群れを見守る羊飼いたちに与える陰は、どんなに楽しいものだろう、豪奢な刺繡の天蓋が、臣下の謀反を恐れている国王たちに与える影よりも、はるかに! (HⅥ(3))

 

対してリチャードは、「そんなはずはない」「あの王冠の中には楽園がある」と1話でも使われた台詞をヘンリーに言います。

 

王位にいるヘンリーが羊飼いに憧れ、リチャードは王位が幸せをもたらしてくれると信じている。菅野先生はヘンリーとリチャードがHⅥで対照的に書かれていると思ったのでそう描きたかったというようなことをおっしゃっていましたが、HⅥの全く別箇所の2人の台詞を抽出し、憧憬を対置させています。

 

同時に、それぞれが抱えている孤独で2人を共振させるという展開です。ヘンリーは、リチャードの不安や、愛への希求を見透かしているかのように自分の孤独を語ります。

 

原典比較とは関係ありませんが、『薔薇』ヘンリーはバッキンガムとも対照的ですよね。2人ともリチャードの“欲望を読む”感じの人ですが、読み取るものが対照的。ヘンリーは、リチャードの不安や孤独感を察知する人で、3巻でもヘンリーは「俺の孤独を見計らったかのように」現れると言われたりしています。一方、バッキンガムはリチャードの玉座への渇望に自分の野望を重ねる人ですよね。母から悪魔呼ばわりされてきたリチャードを天使だと言ってくれるのがヘンリー、悪魔の半身になると言うのがバッキンガム。更に言えば、女性嫌悪の気もあってリチャードを少年だと思って安心して心を開くのがヘンリー、まだ子どもだった時から「高貴な身分の女が好き」と攻めに出るのがバッキンガム……。

 

以下は妄想語りです。

 

相手が誰か知らずに恋に落ちたら敵だった!の展開(ここでは恋まで行っていませんが)は、もちろんロミジュリ的なんですが、リチャードとヘンリーの森での邂逅は『お気に召すまま』オマージュも感じます。

 

ここでの森は、1話の荊棘の森というより『お気に召すまま』のアーデンの森といった印象。

 

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John Everett Millais, "Rosalind in the Forest", public domain, via Wikimedia Commons

 

『お気に召すまま』はロザリンド(女性)とオーランド(男性)の恋の物語ですが、ロザリンドは身分を奪われ、オーランドは命をねらわれ、逃れるように森にやってきます。「サンザシの茂みが、無邪気な羊の群れを見守る羊飼いたちに与える陰は、どんなに楽しいものだろう」(HⅥ(3))に内容の似た歌(“Under the Greenwood Tree”)も出てきます。『お気に召すまま』や『夏の夜の夢』で、森は、社会のしがらみや身分から自由になる避難所のような場所になっています。

 

『お気に召すまま』では性を偽っている(男装し、さらに女性の演技をする)のも、「羊飼い」のふりをしているのもロザリンドです。もちろんリチャードは女性ではありませんが、シェイクスピアにはおなじみの、男装が起こす混乱(しかも当時は男優が女性を演じていました)という要素もうまく取り入れているように見えるんです。

 

“Under the Greenwood Tree”の歌詞内容はこの後の感想記事で書いています。その歌の動画を最後にリンクします。下の記事では別の作曲家の歌もリンクしています。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

www.youtube.com

 

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