ヨーク公の高潔さについて
名の継承について
100年戦争と和睦の回想を挟んで、ヨーク公が王位を求めた戦いに出る1話の続きの場面になります。
原典ではリチャードも参戦していますが、『薔薇』リチャードはここでも若いという理由で城に残るように言われます。
ここでヨーク公がリチャードに言う「私の名を残せ、王の名だ」には、1話の記事でも書いた兄エドワードの台詞とともに、HⅥ(1)のトールボット親子の話も使われているように思います。戦況が不利になったため、父親がまだ若い息子に戦場から逃げるように命じて「トールボットの名は若いお前の中でよみがえる」と言う親子愛が描かれた場面です。『薔薇』の台詞もヨーク公の愛情を感じさせるものですが、でも同時に、これが後々リチャードを縛るものにもなりますよね。 城に残ったリチャードたちは王子エドワードに捕らえられます。
HⅥ(3)では、リチャードはヨーク公と共に参戦していて、弟ラトランドが戦場に行かず城に残っており、ランカスター側のクリフォードに捕らえられます。(史実との関係まで書くと更にややこしくなるので、ここではHⅥとの関係だけ書いています。)
ラトランドもクリフォードも『薔薇』には出てきませんが、菅野先生は、王子エドワードの造形にクリフォードを入れているとおっしゃっていましたし、この話を下敷きに、3話のリチャードと王子エドワードの舌戦(?)につなげているだろうと思います。もっとも、HⅥではラトランドがクリフォードに殺されるという凄惨な場面だったりしますが。
菅野文『薔薇王の葬列』インタビュー シェイクスピアの戯曲『リチャード三世』の新解釈! 主人公は両性具有!? | このマンガがすごい!WEB
リチャードとヘンリー、アーデンの森で出会う(違)
囚われた城内から、白猪(「白いの」)に導かれて、リチャードはヘンリーとお互いに誰か知らないままに出会います。『薔薇』の真骨頂となるオリジナル展開です!
ヘンリーがリチャードに語る羊飼いについての台詞が、情景描写と共に美しく描かれます。HⅥ(3)の対応箇所は以下の通り。
ああ、神よ!私にはどんなにしあわせと思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが!いま私がしているように丘の上に腰をおろし、日時計の目盛りを一つ一つ巧みに刻みつけ、それを見れば、時のたつのがわかるのだ(中略)サンザシの茂みが、無邪気な羊の群れを見守る羊飼いたちに与える陰は、どんなに楽しいものだろう、豪奢な刺繡の天蓋が、臣下の謀反を恐れている国王たちに与える影よりも、はるかに! (HⅥ(3))
対してリチャードは、「そんなはずはない」「あの王冠の中には楽園がある」と1話でも使われた台詞をヘンリーに言います。
王位にいるヘンリーが羊飼いに憧れ、リチャードは王位が幸せをもたらしてくれると信じている。菅野先生はヘンリーとリチャードがHⅥで対照的に書かれていると思ったのでそう描きたかったというようなことをおっしゃっていましたが、HⅥの全く別箇所の2人の台詞を抽出し、憧憬を対置させています。
同時に、それぞれが抱えている孤独で2人を共振させるという展開です。ヘンリーは、リチャードの不安や、愛への希求を見透かしているかのように自分の孤独を語ります。
原典比較とは関係ありませんが、『薔薇』ヘンリーはバッキンガムとも対照的ですよね。2人ともリチャードの“欲望を読む”感じの人ですが、読み取るものが対照的。ヘンリーは、リチャードの不安や孤独感を察知する人で、3巻でもヘンリーは「俺の孤独を見計らったかのように」現れると言われたりしています。一方、バッキンガムはリチャードの玉座への渇望に自分の野望を重ねる人ですよね。母から悪魔呼ばわりされてきたリチャードを天使だと言ってくれるのがヘンリー、悪魔の半身になると言うのがバッキンガム。更に言えば、女性嫌悪の気もあってリチャードを少年だと思って安心して心を開くのがヘンリー、まだ子どもだった時から「高貴な身分の女が好き」と攻めに出るのがバッキンガム……。
以下は妄想語りです。
相手が誰か知らずに恋に落ちたら敵だった!の展開(ここでは恋まで行っていませんが)は、もちろんロミジュリ的なんですが、リチャードとヘンリーの森での邂逅は『お気に召すまま』オマージュも感じます。
ここでの森は、1話の荊棘の森というより『お気に召すまま』のアーデンの森といった印象。
『お気に召すまま』はロザリンド(女性)とオーランド(男性)の恋の物語ですが、ロザリンドは身分を奪われ、オーランドは命をねらわれ、逃れるように森にやってきます。「サンザシの茂みが、無邪気な羊の群れを見守る羊飼いたちに与える陰は、どんなに楽しいものだろう」(HⅥ(3))に内容の似た歌(“Under the Greenwood Tree”)も出てきます。『お気に召すまま』や『夏の夜の夢』で、森は、社会のしがらみや身分から自由になる避難所のような場所になっています。
『お気に召すまま』では性を偽っている(男装し、さらに女性の演技をする)のも、「羊飼い」のふりをしているのもロザリンドです。もちろんリチャードは女性ではありませんが、シェイクスピアにはおなじみの、男装が起こす混乱(しかも当時は男優が女性を演じていました)という要素もうまく取り入れているように見えるんです。
“Under the Greenwood Tree”の歌詞内容はこの後の感想記事で書いています。その歌の動画を最後にリンクします。下の記事では別の作曲家の歌もリンクしています。