本編『薔薇王の葬列』1巻につながる、そして外伝内でも最初と最後が重なる、円環的な終幕が見事でしたね。個人的にそれ以上にやられたと思ったのは、『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)第1部のサフォークの独白がこの最終話で使われ、表面的にはHⅥストーリー、内実はサフォークが不当に責任追及されたような史料寄り、更にそれがタイトルに示唆される騎士ロマンスとして結実したことでした。Ep:8から続く『オセロー』っぽい雰囲気もある気がします。
サフォークの献身について
サマセットが王宮に参上すると、そこに押し寄せていた市民達が、マーガレットとサフォークによるグロスター公殺害嫌疑や、領土引渡しの件を口々に騒ぎ立てます。王宮内では、ソールズベリー、ヨーク、ウォリックが、この件に決着をつけなければ暴動になるとヘンリーに進言し、他方、バッキンガム、サマセットは市民がそんな申し送りをするのは不遜だと反論します。ここは割合HⅥの通り。但し、HⅥではソールズベリー、ウォリック、サフォークしかいなくて、ソールズベリー&ウォリック対サフォークの論争なのが、既に白薔薇・赤薔薇陣営の対立にされています。因みに、サマセットの「いかにも下衆下郎の市民ども」の台詞はHⅥではサフォークのもの。『騎士』サフォークだと一寸言いそうにない台詞で、やはりキャラを取り替えた感じかなとも思います。
HⅥではサフォークのグロスター殺害嫌疑だけが問題にされ、市民達の訴えに同意したヘンリーが追放処分を言い渡すのに対し、『騎士』では史料準拠で領地引渡しも問題になっているのはEp:11の記事でも書いた通りです。貴族や市民は領地問題も含めて騒いでおり、HⅥ以上にマーガレットに非難と疑惑の目が向けられるだけでなく、HⅥとは異なり、条約締結を認可したヘンリーもこの場で共に責任を問われかねない状況です。史料ミックスの醍醐味ですね。
その危機的状況で、マーガレットとヘンリーを庇って『騎士』サフォークは自ら罪を被る発言をします。そして、その発言に、HⅥ(1)でサフォークが野心的謀をする独白がおそらく使われていると思います。表面的にHⅥ的ストーリーに落とし込みつつ、HⅥの逆転になるという粋な展開です。しかもヘンリーが認可した領地問題の責任を負ってサフォークが追放になるのは、むしろ史実に近いと言えるかもしれません。
私の独断だ、すべて…、私が己の益の為にやったのだ
出世のため言いなりに動かせる王妃が欲しかったのです、そして平和を望む国王を利用した… (『騎士』)
そうなれば俺の思いは満たされる、そしてイングランドとフランス両国のあいだに和平が確立される。(中略)
ヘンリーは若い、だからすぐ言うなりになるだろう。 (HⅥ(1)5幕3場)
マーガレットは王妃になり、王を支配するだろう。だが俺は、王妃も王も支配してやる。(HⅥ(1)5幕5場)
マーガレットの弁護について:『オセロー』
マーガレットがサフォークを弁護し、それにヘンリーが常の彼らしくなく憤るのも、ほとんどHⅥの元場面の通りのようでいて、やはり事情は違ってきます。
王妃 ああ、ヘンリー、サフォークは気高い人、私に弁護させてください!
王 私の前でサフォークが気高いと言うのか、妃、頭が高いぞ! もう言うな、いいか、弁護すれば、お前への私の怒りは増すばかりだ。 (HⅥ(2)3幕2場)
王 なあ、お前、私が死んでもこれほど悲しんではくれないだろうね。(HⅥ(2)4幕4場)
HⅥマーガレットがサフォークへの愛だけで弁護するのとは異なり、『騎士』マーガレットの訴えは、サフォークに対する信義、ヘンリーとサフォークが培ってきた関係、ヘンリーを支える存在を失う恐れがあってのものでしょう。ですが、ヘンリーには、彼女がサフォークと愛人関係にあって庇っていると見え、それが「背徳的」とされた母親と重なり錯乱ももたらします(HⅥヘンリーは錯乱までしていませんが、上の台詞で錯乱演出はありかもしれませんね)。
そしてほぼHⅥ元場面通りでありつつ、Ep:8から続く『オセロー』テイストも感じます。ヘンリーがマーガレットに「母上」と言って混乱し「悪魔」と罵る点では、Ep:10同様、『オセロー』『ハムレット』の重ね技と見てもいいかもしれません。
今話が『オセロー』的に思えるのは、オセローが副官キャシオーを罷免し、それを妻デズデモーナが取りなそうとするのに対し、オセローは2人の不倫関係を疑って怒り出す構図と似ているからです。また、副官キャシオーは「求婚のときもあなたといっしょにきたかた」です。
デズデモーナ 数々の危険をあなたとともにのりきってきた人ではありませんか(中略)あなたがいけないと思います。
オセロー もう言うな!
『騎士』マーガレットはサフォークと不倫に至っておらず、ヘンリーに誠意をもっています。にもかかわらずヘンリーは2人の関係を疑っていること、その疑いが直接ではないにしてもグロスターから吹き込まれた考えに由来すること、マーガレットもデズデモーナも夫とその片腕になる人との関係を慮っていること、こうした内実の方は、HⅥよりむしろ『オセロー』に近い気もします。史料の方ではヘンリーの錯乱エピソードがあるものの、HⅥヘンリーにそうした面は見られず、HⅥヘンリーよりオセローの方が嫉妬で言動がおかしくなる感じもありますよね。
ヨークの陰謀について
サフォーク追放を嘆くマーガレットの側に水差しが落とされ、それによって、マーガレットとグロスターの対立を煽ってマーガレット達にグロスターを片付けるよう仕向け、更にサフォークを失脚させた元凶がヨークであったことにマーガレットは気づきます。Ep:4の時、「もしかしたらマーガレット暗殺を企てたのは実はグロスター夫妻ではなかったという展開になるのかもしれません」という感想を抱いたのは、菅野先生のそれとない匂わせがあったせいなんでしょうね。しかも、HⅥでのヨークは「いずれやつらは(中略)ハンフリー公爵〔=グロスター〕を罠にかける。それがやつらの狙いなのだ、そうしているうちに自分で自分の首を絞めることになる」「ハンフリーは死ぬべくして死に、ヘンリーも片付けば、いよいよ俺の出番だ」とか言っているので、HⅥ通りであったにもかかわらず、こういう展開は全く予想していませんでした。
Ep:8エピソードではグロスターがイアーゴー的でしたが、今話では『薔薇』の神々しい父上が実はイアーゴーだったか、みたいな印象になりました。シェイクスピア作品自体にはミステリー的な意外な展開はほとんどなく、イアーゴーの企みも観客・読者には最初から明かされているものの、イアーゴーは彼の周囲からは全然疑われていなくて、むしろ信頼に足る人物のように思われていますものね。
『薔薇』本編では、ヨークを捕らえたマーガレットが、彼に草の王冠を被せたり、血染めのハンカチでいたぶったりしていました。実は『騎士』2巻まではこの本編の話との接合が悪いような気がしていましたが、ここで繋がった感じもあって、最後まで流石!と思えます。『最後の決闘裁判』的な人物像や視点の違いは残しつつ、繋がりはしっかり提示された印象です。マーガレットの人生を狂わせ大切な人を奪ったのがヨークということなのですね。(でも、もっとえげつないことをしたのは本当はウォリック……。)
薔薇の騎士について
HⅥでのマーガレットとサフォークの別れの場面は、『薔薇』本編のリチャードとバッキンガムがセヴァーン川で別れるシーンに既に使われていますが、全く違う雰囲気で描かれています。前とは違う演出なのでそこも楽しんでね、という凄腕演出家のようです。HⅥの悲嘆的な台詞に近いのは『薔薇』本編の方、こちらは「フランスへ、愛しいサフォーク! 手紙を忘れないで」「私の心を連れて行って」「あなたの心は宝石だ、この胸の悲しみの小箱に収めて鍵をかけておきます。」あたりの台詞から前向きで暖かいニュアンスが引き出されています。「断罪された恋人たちは、こんなふうに、抱き合い、口づけし」が、やはり柔らかな甘い空気感で、台詞でなく2人の描写で示されています。
この描写は、最後まで清廉で騎士的だったサフォーク像ともとても合うと思いました。主君を大事にしつつ、主君の妃に愛を捧げ、妃を守るべく犠牲になるというサフォーク像はやはり騎士的だと思います。HⅥでは騎士ロマンスの感じは全くしないのに、こちらは妃との恋愛や追放劇がランスロットとグィネヴィアとか『トリスタンとイゾルデ』を連想させます。むしろ騎士の禁忌を破ったランスロットやトリスタンより、サフォークの方が騎士的とさえ言えるかもしれません。
Ep:1とEp:2の記事で「薔薇の騎士」というのは、サフォークなのかマーガレットなのかと書きましたが、物語としては薔薇の騎士はサフォークという解釈の方が馴染むように思いました。赤薔薇ランカスターの王と王妃を守り、王妃を愛した騎士ということかな、と。とはいえ、この結末がジャンヌ・ダルクの敗北と重ねられていたり、マーガレットが女性騎士の絵に励まされてサフォークに別れを告げに行ったりなど、伏線でのマーガレット=騎士もありかもしれません。
Ep:1記事で書いた、オペラ『薔薇の騎士』との関連はなかったと考えるべきなのでしょうね。ですが、この別離シーンの爽やかさ、甘さ、切なさに、オペラ『薔薇の騎士』の雰囲気も私個人は感じたりします。加えて、あの、こじつけ妄想を書いちゃいますので、この辺、読みたくない方は次の見出しまで飛んで下さい。
オクタヴィアン(青年)=マーガレット、元帥夫人(既婚の年上女性)=サフォーク、ゾフィー(若い娘)=ヘンリー、オックス(年上男性)=グロスター、でいけるなと思いまして(えー)。『薔薇の騎士』では、オクタヴィアンと元帥夫人が恋仲(こちらは肉体関係もあり)で、年配で横柄なオックス男爵が地位を笠にきて若いゾフィーと結婚しようとしています。オクタヴィアンはゾフィーの境遇に同情し、一計を案じてオックスを陥れ、元帥夫人の協力もあって結婚は破談になります。ゾフィーはオクタヴィアンに惹かれながらも、彼と元帥夫人の関係に気づき、他方、元帥夫人の方は、オクタヴィアンの心がゾフィーに向いていることを察し、若い2人のために別れを告げて去るのです。
Ep:1の感想記事で、前の方の3者の擬えまでは書いているのですが、今回は、ゾフィー(ヘンリー)に惹かれ始め境遇に同情したオクタヴィアン(マーガレット)が、オックス(グロスター)にゾフィーを渡してなるものかと彼を陥れ、元帥夫人(サフォーク)が協力し、その後身を引くみたいなプロットで。いや、オペラの方は殺人でも深刻でもないし、ゾフィーもオックスとの関係が切れてラッキーと思ってますし、元帥夫人の別れの切なさはありつつ、特にオクタヴィアンとゾフィーはハッピーエンドなのに『騎士』では……という違いはあるんですが。
呪いの円環について
最後は、『薔薇』本編1話の冒頭につながる赤薔薇と白薔薇を掲げてランカスターとヨークへの支持を明らかにする「テンプル法学院の庭園」(HⅥ(1)2幕4場)場面、それに次いで『騎士』Ep:1の冒頭の髑髏を抱えたマーガレットになっており、2作品それぞれの最初と最後を繋げるような美しい円環的構成でした。
「テンプル法学院」場面の引用としては、このEp:12がこれまで以上に華やかで演劇的な印象です。ヨークとサマセットがその話で決闘しそうになる4幕1場も入っているのかもしれません。HⅥではここにマーガレットは登場せず、4幕1場でヘンリーが登場して赤薔薇を摘みつつ2人を止めますが、『騎士』マーガレットは白薔薇を摘みながら「白薔薇を真っ赤な血で染めましょう」と争いを煽ります。白薔薇を赤い血で染めるという言葉はHⅥで何回か出てきて、2幕4場ではサマセットがそう言っています。
「…予言するわ、今日ここで始まった、赤薔薇と白薔薇の戦いは、必ずこの国を揺るがす大嵐となる、そして“正義”に勝利が齎されるまで、数多の魂を暗黒に送ることになるでしょう」
このマーガレットの台詞は2幕4場のウォリックの台詞からでしょうが、そこだけでなく『薔薇』1巻1話の「私はこれからこの国に大嵐を呼び起こす」というヨークの台詞も入れていると思うのです。HⅥ(2)では3幕1場のヨークの「嵐を巻き起こし、数万の魂を吹き飛ばしてやる(中略)この破壊的な大嵐はいつまでも荒れ狂う」台詞です。同じ台詞にしたことで、対の効果というだけでなく、各々の立場に“正義”があったと示唆されている気もします。
そのマーガレットの台詞に余白の言葉〈それは、神の呪いーー〉が続きます。「予言する」については、HⅥ元のウォリックの台詞にもあるものの、やはり『薔薇』1巻1話でリチャードに聞こえた呪いの声、〈予言しようリチャード、いずれ子を失う大勢の老人が、大勢の未亡人が(中略)おまえの生まれた日を呪うだろう〉とも重ねられているように思います(こちらはHⅥ(3)の最後部のヘンリーの台詞から)。各々の“正義”がある一方、それが憎しみと呪いを繰り返させてもいるかのようです。
『騎士』Ep:1では、マーガレットが抱いた髑髏に「愛しいあなた、その首は波打つ胸に寄り添っているけれど、抱きしめるべき熱い体はもう何処にもない」と語りかけていますが(元の台詞はHⅥ(2)4幕4場から)、今話はその台詞は敢えて示さず、抱いた髑髏が生まれた子供に代わって終幕となっています。マーガレットの不穏な表情と赤く散る薔薇の禍々しさからは、やはり呪いと憎しみの連鎖というニュアンスが強いと思うものの、サフォークの愛と命がマーガレットの子供に宿ったようにも見え、『薔薇』本編最終部と同様、愛を継ぐ両義的な印象もあります。『騎士』は子供の誕生で終幕、『薔薇』は子供の誕生から始まる形でもありますね。
『薔薇』本編は、その子供達が呪いから解放される話だったかもしれません。また、『リチャード3世』には「呪いのマーガレット」が登場しますが、『薔薇』マーガレットが、11巻で「呪いなど、もうたくさん」と早々に退場するのも『騎士』の流れからすると感慨があります。
------------
『薔薇』本編に引き続き、『騎士』の方も高いクオリティで楽しませていただき、菅野先生には本当に感謝いたします。感想をお読みいただいた皆様にもお礼申し上げます。3巻にはこの他「白いの外伝」がありますが、このブログの3巻感想はこれで終了です。菅野先生は更に外伝を描く予定という話もあるようなので、その時を楽しみに……。