(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
『王妃と薔薇の騎士』も最終巻になりました。
『薔薇王』本編の方でも最初と最後が対になり、加えて全てが回収される円環的な構成が素晴らしいと思っていましたが、『王妃と薔薇の騎士』は更にその環を大きくして一回りさせた感があって拍手喝采です。本編で十分完結しているのに更に世界観が広がった気がします。私には『アナと雪の女王』や『獣の奏者』などの続編で、“こんなふうに話をつなげて世界を広げるのか”と感慨を覚えたのに近い感覚でした。
たまたま少し前に、「シェイクスピアの『戦争』と『平和』」という下記記事を(旧)twitterのTLから知りました。現在の状況を鑑みつつ、シェイクスピアが戦時と平時の間の区別がはっきりしない時代を生きており、そんななかで「彼のデビュー作が、悲劇でも、喜劇でもなく、自国の「戦争」と「平和」をとりあげた歴史劇『ヘンリー六世』(1590年)だったのは、むしろ当然のことかもしれない。」と言われています。
更に、執筆としてはその後の(時代設定はその前の)『ヘンリー4世』についてですが、こう解説されています。「シェイクスピアはこの芝居を、観客が劇世界のどこに共感し、だれに感情移入するかによって、見え方が違ってくるような組み立て方をしているのだ。そしてこうした多様な解釈が成り立つからこそ、私たちは、シェイクスピアがまるごと切り取ってみせた「あの世界」に、再び赴くべきではないだろうか。」
これはシェイクスピアの他作品でも同様で、だからこそ、演出によって全く違う作品に見えるような面白さがあると思うのです。『薔薇』本編では敵方だったマーガレットを主役に据え、彼女からの見方を描いた『薔薇騎士』によって、こういう豊かさが一層強調された気がします。『ヘンリー6世』(以下、HⅥ)の別演出バージョンも楽しませてもらったようにも思いました。
これは『薔薇』1巻からずっとのことではありますが、今巻もHⅥの台詞をここでこう言わせるのか!こういう展開にするのか!という面白さも堪能しました。
ヴァレンタインの日の恋人について
ヴァレンタインの祝宴だからとマーガレットを可愛らしく着飾らせようとする侍女達に対し、新しく仕立てたドレスを着て髪を結い上げさせたマーガレット。ここで『薔薇』本編1巻のマーガレットと同じ衣装と髪型になりましたね。3巻表紙にもなっているヨーク公の表紙を挟んでマーガレットが「きつく結い上げて、決して崩れぬよう、どれだけ激しい、嵐が来ようとも」と言っているのが、『薔薇』1巻1話でのヨーク公の台詞「私はこれからこの国に大嵐を呼び起こす」(元はHⅥの台詞)に備えているかのように思えます。
胸元の空いたドレスはヘンリーをその気にさせようとするためのものだったはずで、1つ前のEp:8では侍女から借りたドレスでサフォークを慌てさせ、マーガレットも背伸び感があって可愛かったのですが、今話では堂々と武装のようにさえ見えます。
それでもヴァレンタインの祝宴のくじでサフォークと一夜の“恋人”ごっこをするマーガレットは若々しく(年齢的に本当に若いんですけどね)楽しげでも真摯でもあり、サフォークは彼女に対する想いを自覚します。2人の熱い雰囲気は周囲にもわかり、Ep:7での手紙が憶測を呼びサフォークがマーガレットに恋文を送ったというお喋りがヘンリーの耳に入ってきます。
この祝宴エピソードはHⅥになく、シェイクスピア他作品連想も働きませんが、ヴァレンタイン・デーにくじ引きでパートナーを選ぶ祭りの伝承があるそうです(無駄に話を広げると、ヴァレンタイン・デーに最初に会った人と恋に落ちる話のバージョンもあり、錯乱したオフィーリアが歌う『ヴァレンタインの日』はその話との絡みだとのことです)。wiki情報のみながら、結婚と豊穣を祈願するルペルカリア祭でのパートナーのくじ引き、兵士達とその恋人等を内密に結婚させていた司祭ヴァレンタイン(ウァレンティヌス)、そしてヴァレンタインがその罪でルペルカリア祭前日に処刑され祭りの生贄になったという話などがあるとされています。
自分でも妄想しすぎとは思いつつ、『騎士』サフォークの立ち位置が殉教者ヴァレンタイン的な気もします。内密ではないにせよマーガレットとヘンリーの結婚を成立させ、それを守るために処分も受け入れ結果的に死ぬことになり、彼の死後にマーガレットは子どもを授かっています。
グロスターとヨークの謀議について
マーガレットがその祝宴でもグロスター公を徹底的に排除すべく振舞っている時に、グロスター邸では彼とヨーク公がマーガレットを追い落とそうと謀議をしていました。HⅥではマーガレットがイングランドの宮廷に来た時点(Ep:2)でアンジューとメーヌの引き渡しが明らかになって紛糾するので、私は『騎士』でもそういう話のように誤解していたのですがそうではなかったんですね。『騎士』ではEp:2でサフォークが事を運んだのが気に食わないグロスターが締結書を取り上げてしまっていて、領土の引き渡しの件は公になっておらず、それがわかればマーガレットに反発する者が多くなるという見込みです。
ヘンリーの立場も危うくなると公表を躊躇するグロスターに、ヨークは、ヘンリーを王冠の重荷から解き放つべきと説得します。敵側として描かれる『騎士』のヨークは『薔薇』1,2巻での(リチャード視点補正の入った)父上より元のHⅥ寄りになっていると思いますが、HⅥのヨークはもっと野心的で腹黒っぽいので、それに比べると高潔な感じはします。
グロスターとヨークが会合を重ねているばかりでなく、ヨークにヘンリー以上の王位継承権があることをサマセット伯がマーガレットに教えます。そんなところにヨークの武具師をしている親方がヨークの方が正統な王のはずと言っていたので訴えたいと徒弟がやって来ます。
武具師の決闘裁判について
Ep:8の感想で、川沿いでの喧嘩のエピソードは、もしかしたら武具師の親方と徒弟の話が改変されているのかもと書きまして、それが当たったのは嬉しいものの、その後に更にHⅥ準拠の話が出てくるとは思っていませんでした。思えばEp:8の感想を書いた時点で、雑誌の方では既にこのEp:9が出ていたはず。“この後面白い形で出てくるんだよ……”と生暖かい目で感想を読んで下さった方も多かったかもしれません。
徒弟がそういう理由で親方を訴えるのも、決闘をすることになるのも、HⅥの通りですが、HⅥの方はここは少し喜劇的でもあり、一寸ごちゃごちゃした印象もあるんですよね。それが、王位継承権のあるヨークに脅威を抱いたマーガレットの牽制、サマセットの野心と絡めてすっきり整理され、すごく効果的に処理されていると思いました。(HⅥでは、徒弟の訴えを利用しようとするのはサフォーク、両者の決闘がよかろうと言うのはグロスターですがーHⅥではグロスター失脚前の話なのでー、『騎士』ではヨークに反感をもつサマセットがこの両方を仕掛けています。)また何より、Ep:8には、感想で書いたようにこれを逆転させヘンリーとマーガレットが平和裡に解決させた話が置かれており、それが結局無に帰した流れにもなる訳です。菅野先生やはり容赦がないですね(泣)。