『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

王妃と薔薇の騎士2巻 Ep:6 ヘンリーの欲望と後継の不安について

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

冒頭はエレノアがグロスター公と結婚する前の回想シーン。元々野心家で侍女からグロスター公爵夫人に上り詰めたエレノアが、今や処罰として公衆の前で粗末な衣服に裸足で歩かされ、追放処分にされようとしています。

 

Unsplash Nikita Tikhomirov

マーガレットとエレノアの対話について

『ヘンリー6世』(第2部)(以下、HⅥ(2))2幕4場ではここにグロスター公が見送りに来て、エレノアに「ああ、グロスター、あの連中の憎悪の目を避け、書斎にでも閉じこもって、私の恥辱を憐れみ、あなたの敵を呪っていらっしゃい」と言われます。一方、『騎士』グロスターは既にそんな風に閉じこもっています。代わりにこの場に来るのがマーガレットになっており、「この無様な姿を笑いにいらしたの?」はHⅥでグロスターに掛けられる言葉が引用されています。

 

ここからのマーガレットとエレノアのやりとりは、双方がお互いを認め合い女性の立場で語る、シスターフッドを感じさせるとても味わい深いものになっています。

 

「ええ、呪いなんかに己の運命を委ねた愚かな女をね」と答えたマーガレットに、エレノアが返す「私がもし男で! 公爵で王座に最も近い血族に生まれていたなら」からの台詞もHⅥからで、ただしこの場面でなく、1幕2場で王冠の夢を語った直後の場面から持ってこられています。HⅥでは「グロスターがあんな卑屈な気持ちでいるうちは。私が男で、公爵で……」と単に夫のグロスターに野心がないことに愚痴を言い、彼女が呪術に携わる前置きに思える台詞です。そこから、彼女の本当の望みと女性の立場だからできなかったこと、の含意が強く引き出されています。

 

『騎士』マーガレットは「“ジャンヌ・ダルク”はそうはいない」が「あなたほど野心と気概がある女なら」「剣だって握ることができた」と、エレノアの野心自体は肯定し、エレノアが女性だからと諦め呪いに頼ったことを非難するのです。HⅥの「グロスターが卑屈」という言葉は、『騎士』で「夫と私は似た者同士」〈卑屈で臆病な野心家〉というエレノアの自覚の台詞にされています。エレノアは野心を反省するのでなく、むしろそれが不十分であったことを了解し負けを認めたと言ってもよいかもしれません。(尤も、エレノアが剣を取った場合もマーガレットは容赦なく叩き潰しただろうとは思いますが。)

 

1巻Ep.2でも、女性性を利用しようとするエレノアと女性役割を超えようとするマーガレットがおそらく対比されており、ここまでの対話もこの2人の考えが対比され、その点でエレノアが負けたようにも思えます。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

ですがエレノアの「でもねお姫様(⚫︎ ⚫ ︎⚫︎)」の台詞から、その天秤が逆に傾くようにも思えました。「どんなに強い気持ちがあっても」男と女は同じではなく、自分が公爵夫人になれたのは身籠れたからだと、エレノアはその現実をマーガレットに突きつけます。「お姫様」という言い方は、まだ母親でなく(性体験もなく、と察知されていそう)女性がどこで評価されるかの重さを認識しないまま意気込みを語るマーガレットの青さに向けられたものにも、何もせずとも王妃の地位を得られた恵まれた身分やそれに対する意識の薄さに向けられたものにも思えます。まさにエレノアは自分の女性性を武器に野心を達成した人でもあった訳です。

 

この箇所は『騎士』オリジナルであり、だからこそ『騎士』エレノアは、見物する人々に「お前達が生涯味わえぬ最高の悦楽を私は味わった」と豪語して去ることになります。「昔の栄華栄達の思い出は私の地獄」「豪奢な衣装にも恥はついてまわ」る(刑の恥ということでしょう)と語るHⅥエレノアとは違っています。

 

この場面のエレノアは『薔薇』本編のジェーンに近いような感じもしますね。ジェーンほどには世間の見方やからくりを客観視していないだろうと思いますが、女性に対する見方や評価を理解して利用し、その現実をマーガレットにも伝えています。「お姫様」に上記の含意はありそうでも絵的にも嫌な感じはせず、年長者からのアドバイスのようにも見えます。若い娘に向けた言葉ということも「お姫様」の中に入れていいかもしれません。

 

エレノアが、グロスター前公爵夫人ジャクリーヌの侍女で、前公爵夫人が子どもに恵まれなかったのも、エレノアが愛人から公爵夫人になったのも史実のようです。この点はwikiが『薔薇戦争新史』より詳しいくらいでした。HⅥのエレノアの追放場面を、史料も踏まえて、女性の立場をめぐる2人のやりとりとして構成する菅野先生の手腕が毎度のことながら見事ですよね。

 

ハンフリー・オブ・ランカスター - Wikipedia

 

しかも『薔薇戦争新史』によると、「エレノア・コブハム事件後、国王が一刻も早く後嗣を儲けるべきという議論が勢いを得ていた」とのことで、この繋ぎ方も素晴らしいです。HⅥにはない文脈なんですよ。

 

更に言えば、マーガレットとエレノアの対話はかなりいい感じであるにもかかわらず、女性役割を越えようとしていたマーガレットがエレノアの忠告で女性性に絡め取られていく面もある気がします。エレノアの呪術は失敗し、妊娠や後継の重さについての彼女の指摘はむしろ助言的だったはずなのに、後継に対するマーガレットの焦り(と夫婦関係に対するヘンリーとの不協和)として呪いのように効いてくるという展開。ここは菅野先生の意図かどうかわからないものの、本当に凄い!

 

Edwin Austin Abbey  The Penance of Eleanor  [Public domain]

 

ところで、エレノアの処罰場面のコマの絵は、このアビーの絵が参照されているんじゃないかと思うんですが、“あ、あれ?右横にいるのって誰? ひょっとして悪役設定で変装してきたマーガレットの可能性が?”とか思ってしまいました(落ち着け、私)。下リンクサイトの説明によるとこれはやはりHⅥ通りグロスター公で、彼が人目を偲んでエレノアに顔を見せているということらしいです。

 

Lesson: A Continuous Story – Carnegie Museum of Art

 

後継の不安について

『騎士』ではこの後、枢機卿ボーフォートが世継ぎが生まれれば安泰と話すのをマーガレットが耳にしたり、更にヘンリーの世継ぎが生まれなければグロスター公が王位継承者のままであると認識したことが、マーガレットの焦りになってきます。Ep.7でも王太子を産むことが王妃の仕事であると言われます。

 

これはHⅥにない文脈だと上で書いたように、HⅥではグロスターが第一王位継承者であることは彼を警戒する理由として語られています。

 

王妃 ……忘れてならないのは血筋のうえであなたに一番近いこと、あなたが落ちればすぐ昇ってくるのはあの人です。……
(中略)
サフォーク ……彼は陛下に次ぐ王位継承者としての高貴な血筋を重んじていた(中略)それが気違いじみた公爵夫人の狂った頭に火をつけ、悪辣な手段によって陛下をしりぞけようとしたのです。(HⅥ(2)3幕1場)

 

ですが、多分ここが史料と組み合わせて転用され、マーガレットが後継の不安を抱く話に、また、子どもを産んで公爵夫人になったエレノアとの対比になる構成にされているように思います。

 

マーガレット 私が子どもを作れなかったら、どうなるの?
サフォーク 第一王位継承者は、叔父であるグロスター公のまま
マーガレット 〈望み通りに国を動かせたとしても、後継(こども)のいない王に安息はない〉(Ep.6)

 

しかも一方のヘンリーは性欲を罪と考えて混乱状態になり、それもマーガレットの焦りになって、無理矢理でも自分が彼を抱くしかないと言い出し、サフォークの助力も求めます。『騎士』でも既にマーガレットとサフォークの間にはプラトニックな恋愛感情があると思いますが、この閨房指南を通じて、HⅥで不倫描写される2人の関係(あるいは周囲からそう見られること)に近づきそうな感じもあります。2巻になって『薔薇』本編での複雑な組み合わせ方に近くなっているような気もします。

 

マーガレットの思いとヘンリーの思いについて

この場面の前にマーガレットとヘンリーの関係が描かれました。

 

世継ぎについて枢機卿が話すのを聞いた後にマーガレットはヘンリーから彼女の部屋を訪うことを告げられ、やや緊張気味に彼を出迎えます。着替えをしてやりすぎかと迷ったり、落ち着かないマーガレットが可愛いらしくて、この辺は少女漫画的ですね。

 

「そういう目的」であろうとなかろうとマーガレットは夫婦間の何らかの進展を期待したものの、ヘンリーが部屋に来たのはグロスターの話をするためでした。ヘンリーは彼を宮廷に呼び戻したいと言います。せっかく王権を正常化しヘンリーの下に返したはずなのにです。ヘンリーがここでエレノアの呪術行為を「きっと魔女達に心を操られて」と言っているのも、マーガレットが尊重したエレノアの「野心と気概」とは全く違っています。ヘンリーが、野心や気概にも、悪意にも疎く、真逆な価値観を持っていることが示唆されます。なぜそんなにグロスターを信用するのかと問い詰めるマーガレットに、ヘンリーは、マーガレット達が「僕とこの国のために“荊棘”を取り除こうとしてくれているのはわかってる」、でもヘンリーにとってグロスターは荊棘でなく、母に捨てられた自分のたったひとりの「家族」なのだと言います。

 

この場面も、上の引用と同じHⅥ(2)3幕1場の台詞が使われていますが、正邪の反転はもちろんのこと、HⅥヘンリーがしようとしているのは潔白なグロスターを周囲の策謀から守ること、『騎士』ヘンリーがしようとしているのは、少々問題はあっても恩ある大切な叔父グロスターを自分の側に留めようとすること、と少し違ってもいます。(とはいえ、グロスター大事なヘンリーが彼を信じているという『騎士』のように演出することもできそうに思います。)また、ここも家族・夫婦が強調され、後継と少し絡めた話にされている気がします。

 

HⅥではグロスター公が議会に参上しないことの不審を述べたヘンリーに、マーガレット、サフォーク、枢機卿、ヨーク、バッキンガムが、グロスターの(いかにも濡れ衣的な)罪状疑惑を次々と口にします。それに対してヘンリーはグロスターの潔白を主張します。(ついでながら、HⅥの同場面ではマーガレットとヨークが既に微妙に対立している感じで、これが『騎士』では彼女達が冷たく視線を交わす形にされているんじゃないかと思います。こういう所もきっちり拾われている気がして面白いです〜。)

 

王妃 ……あの人を陛下のお側に近づけたり、枢密院に参与させるのは賢明な策とは思えません。……
(中略)
サフォーク ……あの陰謀を公爵夫人が企んだのも、公爵の入れ知恵だと確信しております。……
(中略)
王 諸卿、もうよい。余の足が傷つかないうちにイバラを刈り取ろうとする皆の心遣いは賞賛に値する。しかし、良心に従って言えば、我が身内グロスターは潔白だ、王たるこの身に謀反を働くことなどあり得ない。その邪念のなさは乳を吸う子羊か無害な鳩に等しい。(HⅥ(2)3幕1場)

 

“荊棘を除く”とか“荊棘を断ち切る”って(HⅥ(3)の有名なリチャードの独白から)『薔薇』本編のキーワードのような感じだったので、そこから使われているのかと思っていましたが、この箇所の台詞にちゃんと入っていたんですね。HⅥのこの箇所の荊棘の喩えは、針小棒大な扱いを牽制するようにも読めますし、Ep.6同様、わかるけれども「僕にとっては荊棘じゃない」というニュアンスにも読める気がします。Ep.6ではマーガレットとサフォークの誠意をヘンリーは了解し、グロスターに行き過ぎがあることも認めつつ、これまでも重荷を背負ってくれた家族だと言う訳です。

 

そんなヘンリーに、マーガレットは「私はあなたの妻」「これからは私が、共に背負うわ」と自分が彼の家族になる意志を示します。ヘンリーは感極まってマーガレットを抱きしめ、夫婦の絆が深まるかに思えたところ(いえ、『騎士』なのでそうはならないと本当は思ってましたが)、一層拗れる展開になりました。

 

ヘンリーの欲望について

そこからヘンリーは、彼女を抱きしめたまま無我夢中で押し倒しましたが、途中で我に帰り、自分のしたことに恐れ慄いて「ごめんなさい…、ごめん…、マーガレット…」と言い置いて走り去ります。ヘンリーを心配して追いかけたマーガレットはサフォークと遭遇し、サフォークから事情を聞きます。

 

「家族」と関連させてヘンリーを“捨てたとされる”母のエピソードも絡め、ヘンリーがマーガレットに尊敬も愛も欲望も抱きながら、肉欲を悪魔だと思い込み肉体関係を忌避している経緯が示されました。

 

『薔薇』本編も『騎士』も、原案からの捻りも史料との組み合わせも楽しいだけでなく、『騎士』では『薔薇』本編を反転させるかのような裏事情や背景が示される感慨がありますね。『薔薇』でも示されていた、ヘンリーが肉体関係を罪として忌避する一方で欲望を抱き、自分を失いそうな状況に葛藤する様子が今話では一層明確に描かれていました。マーガレットを愛しく思うからこそ、ヘンリーは彼女への欲望に苦しんで肉体関係を避けたいと思い、2人の関係も『薔薇』本編からは想像できないほどよいものになっています。「天使」を欲望して汚すことができないというのは、『薔薇』7巻と同様だと思います。

 

マーガレットとヘンリーが、障害はありつつ、いい方向に進める雰囲気は十分あるのに本編に繋がるのかと思うと……。サフォークとの関係も含めて、悪く転がりそうな布石がそこここにありそうです。

 

(※HⅥは松岡和子訳・ちくま文庫版から引用しました。)