『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

王妃と薔薇の騎士2巻 Ep:8 グロスターの陰謀について

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 
今回は久々にシェイクスピア他作品を探す感じの記事になりました。

 

Image by annca from Pixabay

 

マーガレットとサフォークは、ベッドのことを教えた手紙の件もあり、テニスで汗を流すサフォークにマーガレットがときめき、サフォークはマーガレットの胸元広めのドレスに慌てという展開でしたが、それと並行してサマセット公とヨーク公が中庭で激しい口論になります。

 

テニスと戦争について:『ヘンリー5世』

サマセットとヨークの口論は、『ヘンリー6世』(第1部)(以下、HⅥ(1))2幕4場のテンプル法学院の庭園の場面からです。以下の絵の場面で、別の部分というか別の形で『薔薇王』本編の冒頭にも使われた薔薇戦争のきっかけ的な場面です。

 

Henry Payne, Public domain, via Wikimedia Commons

 

とはいえ、HⅥでもここからすぐ戦争になる訳ではありません。HⅥ(1)でのウォリック伯の台詞「このバラを身に付けてあなたの側につこう。そして予言する、テンプル法学院において党派争いにまでなった今日のこの論争は、やがて紅バラと白バラの戦いとなり」は、『薔薇』1巻ではウォリック伯がヨーク公に忠節を誓う場面で使われたと思いますが、Ep.8ではウォリックの父ソールズベリー伯が嗜めて言った「イングランド人同士で戦でも始める気か…!」と「それもいいかもしれませんね……」にされている気がします。尤も、ソールズベリー伯やバッキンガム公の台詞は4幕1場でグロスター公が叱りながら仲裁する箇所の変換かもしれませんが(HⅥで常識的な対応をするのはグロスター公にされている気がします)。

 

そして薔薇がない代わりに、バッキンガムとソールズベリーが「いい加減にしろ」とヨークとサマセットを引き離したコマの構図が少しこの絵に似ている感じもします。

 

若い時の、またはランカスター側から見た『騎士』ヨーク公は『薔薇』リチャードに似る感じに描かれている気がしますが、父の名誉が汚されると怒りを沸騰させてしまうヨークにもそんな面が見えていいですね。

 

ヘンリー5世の肖像がEp:7で大きく出てきましたし、テニスから戦争の話になるのは『ヘンリー5世』(以下、HV)と絡めているんじゃないでしょうか。HⅤではフランスと領地交渉中のヘンリー5世に、フランス皇太子が“君は遊んでいる方が向いている、簡単に領地が取れると思うな”みたいなメッセージと共にテニスボールを贈ってきます。侮られたヘンリー5世は「冗談好きな皇太子に伝えてほしい、彼のこの嘲弄はテニスのボールを砲弾に変えたと。」と言って戦争になってしまう訳です。HⅤでも遊びのテニスと戦争が対比され戦争の発端になっていて、今回は薔薇の代わりにこちらを使っているのが粋に思えます。

 

因みに、ヨークがサマセットに「貴方の兄ほど臆病じゃない」と言っているのは、HⅥ(1)準拠ならば対フランス戦で敗色濃厚だった際にヨークもいた前線に自軍から援軍を送らなかったこと、史料準拠ならば軍事経験に乏しかったサマセットの兄(前サマセット公)が無謀な遠征をさせられ敗退直後に死去しそれが自殺とも言われていること、あるいはこの両方、ということになるのでしょう。HⅥのサマセット公は、この兄弟が1人にまとめられているのを初めて知りました。上演だと更に、サマセットとサフォークが1人にまとめられることもあって、HⅥに割合忠実に見える『ホロウ・クラウン』や第七世代実験室のリモート演劇でもサフォークはサマセットにまとめられています。そう言えば第七世代実験室の池田努さんのサマセット=サフォークもおしゃれな感じでした。

 

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ヘンリー5世は下の肖像画にも近く、更に『騎士』ヘンリー6世とも似るように描かれている気がします。

 

See page for author, Public domain, via Wikimedia Commons

 

ヘンリーの望みについて

マーガレットとヘンリーは、久しぶりに2人で一緒に船に乗って語らいます。その最中、川辺で喧嘩していた者が川に落ちたのを見ると、ヘンリーは船を寄せて彼を助けるように言い、その喧嘩も仲裁します。尤も、仲裁できたのはヘンリーが殴られそうになったところをマーガレットが剣を抜いて助けたからとも言えます。

 

この喧嘩の場面は、もしかしたらHⅥ(2)2幕3場あたりの武具職人と徒弟がヘンリーの前で決闘する話の改変でしょうか(全然違うかもしれません〜)。もしそうなら、HⅥの決闘場面の含意もヘンリーの態度もむしろ逆にされています。HⅥでは、“自分は王位継承者だ”とヨークが話すのを聞いた、と徒弟がうっかり喋ってしまっため、それをヨーク謀反の証拠に使おうとしたサフォークと、揉み消そうとしたヨーク達の話が捻れて、徒弟と親方の武具職人が決闘することになりました。彼らは対立する貴族に利用された犠牲者と言えますが、ヘンリーは決闘での死が有罪の証としています

 

『騎士』ヘンリーは、喧嘩をして川に落ちた者も「民だろうと貴族だろうと私は…誰にも傷ついて欲しくない…!」と彼を助けさせます。更に喧嘩の場に行き「どのような理由があろうとも争ってはいけない」と彼らを止めていま。「殺したければ私を殺せ、それで争いが終わるのなら……」は、多分『薔薇』本編にも出てきたHⅥ(3)2幕5場「ああ、いっそ死んで、このような行為の歯止めになりたい!」からと思います。

 

ヘンリーは「民が争い堕落するのは」「神の教えを学ぶ機会を得られないからだと思う」と、学校を作る計画を語ります。マーガレットは、〈勇気のないただの夢想家〉と思っていたヘンリーの言動への評価を変え、〈ヘンリーが作るイングランドはどんなに美しい国になるでしょう〉と考えるまでになりました。

 

Ep:3に続いて、HⅥの台詞を、戦う王とは別の、民に心を寄せ痛みを感じる王として、『薔薇』本編とは逆に肯定的に捉えた描き方に思えます。それが学校創設の史実とも繋げられる形になっています。また今話では、ヘンリーの自己犠牲的平和主義とマーガレットの権威ある戦う王がいいバランスで調和する形で描かれてもいて、“このままうまく行っていれば”という思いが強くなります。悲劇の前の幸福感積み上げですね(泣)。

 

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グロスターの陰謀について:『オセロー』または『から騒ぎ』

2人で歩くうちに売春街のような所に出て、また修道院の鐘の音を聞いたヘンリーは急に様子がおかしくなり、心配したマーガレットに彼は自分の母親のことを語り出します。母が愛欲に狂い、ヘンリーも神の教えも捨て、修道院に閉じ込められて亡くなったこと、そんな背徳の血が自分に流れているのが恐ろしいこと。(精神の病を恐れているようなニュアンスもありますね。)ですが、このEp:8では、それらが全てグロスターによる洗脳のようなものであったことが描かれました。グロスターは更に、ヘンリーが清らかなままなら母親のようにはならないとも話しており、それを信じた上にマーガレットを大切に思うようになったヘンリーは「君とずっと友達でいたい、そうすればきっと誰も傷つかずにいられる」と言います。

 

ここも『薔薇』本編を覆すような展開でした! 母親のキャサリン王妃については、本編では多分ハムレットの母親ガートルードと重ねて描かれましたが、そこに『オセロー』または『から騒ぎ』が重なってきたみたいな感じ。(ここは勝手な思い込みかもしれないと思いつつ、でもどんどん続けます。)『オセロー』のイアーゴーや『から騒ぎ』ドン・ジョンが不義の話を吹き込むのは、妻(『オセロー』)や恋人(『から騒ぎ』)についてという点で違いがあるものの、話を聞かされた方はそれが事実だと信じ込んでしまいます。

 

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本編での『ハムレット』との重ね合わせも十分面白く、特に7巻では、女性(オフィーリア/リチャード)への嫌悪や恐れはハムレット自身が抱く欲望と表裏一体で、それを女性に投影し他責していることまで踏まえた描き方のように思います。ただ、母親(ガートルード/キャサリン王妃)については、『ハムレット』の女性嫌悪・蔑視的表現をそのまま踏襲な感じもありました。それをこのEp:8で“まさに男性がそう言っていたんですよ”的に反転して見せてくれる面白さ!

 

実はキャサリン王妃に関する記述は、以下の2冊の間でも随分違っていて、そこも興味深いです。

 

母キャサリン・オブ・ヴァロアは、間もなくオウエン・テューダーとの愛欲の生活に走り母の愛薄き幼年時代を過ごす(『英国王室史話』)

 

〔キャサリンは〕ウィンザー城にいる間、母親として幼い国王の世話をしていたが、すぐに立派な国王未亡人であることを示してみせた。(中略)望みさえすればいつでも再婚することができただろう。もっとも、そうなれば、野心家の夫が王位を請求し、事態を面倒にすることが予想された。しかし、実際に恋に落ちると、キャサリンは大変に慎重だった。(中略)オーウェンの社会的地位はキャサリンとは比較にならず、国王未亡人である彼女と関係を持つことは賢明といえなかった。だが、驚くことに、この関係が醜聞として扱われることはなかった。(『薔薇戦争新史』)

 

しかも、『騎士』グロスターは王位への野心もありそうで、少なくとも彼が実権を握ったままヘンリーをコントロールしようとはしており、ヘンリーに後継ができないように仕向けていたとも考えられます。Ep:7の最後では、ヨークと密談し「この国の行く末は、私と君で決める」とも言っていますし、グロスターがそこで言う「すべての人間は、皆、罪人なのです」は、ヘンリーの言う肉体関係=罪でなはく、謀をしていることを指しているでしょう。

 

ヘンリーの方は彼を「僕のことを考えてくれている」家族と信頼しています。HⅥでもグロスターは良心的で常識的な人として描かれる一方、『薔薇戦争新史』では、「歴史上『善き公爵ハンフリー』の名で知られる彼だが、実際の性格はこの結構な呼び名とは全く異なっていた」とされています。「無責任で利己的、その上、大変な野心家でもあった」。『騎士』ではEp:6のエレノア追放の際にも、「公爵はいい人なのに」「グロスター様は商人(おれたち)にも優しくしてくださった」と人々が語る善良公的評判とグロスターがエレノアを巧妙に唆し裏切った両面が描かれていました。

 

イアーゴーもまたオセローから「おれを思うおまえの愛には感謝する」と信頼を得ており、周囲から「忠実な(honest)イアーゴー」と言われています。

 

イアーゴーとドン・ジョンの吐く嘘はほとんど同じなので『オセロー』だけでいい気もしつつ、『から騒ぎ』は他の要素も『騎士』と似ている気がして捨てきれなかったんです。ドン・ジョンが領主の弟だとか、騙されるクローディオが女性には奥ゆかしすぎて別の男性を通じてプロポーズしてもらうとか、主人公のベアトリスが勝気でその事態に対決しようとする女性でそれに協力する男性がいるとか。ドン・ジョンの方は周囲からあまり信用されていませんが(それでもうまく計画して信じさせます)、『騎士』ではマーガレット周辺はグロスターを信用していないので逆にそこも合ってきます。

 

マーガレットとサフォークの関係についても、グロスターがヘンリーに何か吹き込むかもと心配になってきます。

 

先王とその弟について:『ハムレット

それと同時に、やはり『ハムレット』だと見るのもありかとも思いました。Ep:7から8では、グロスターは、矛盾するようですが、『ハムレット』での先王(ハムレットの父)の亡霊的でもあり、先王の弟のクローディアス的でもあるように思いました。

 

グロスターは、亡くなったヘンリー5世の肖像画の側でヘンリーに「偉大なるヘンリー5世(あにうえ)の息子」と言い、母のキャサリン王妃が恋人を得たことを「ソドムの如く背徳に浸る」とか「肉欲に溺れた」「お前を捨てた」とか言ってきかせ、ヘンリーに清らかであることを求めます。

 

ハムレット』では「りっぱな王」と称賛された父の亡霊が、母の再婚を非難しています。「わしの清らかな愛の手をふりすて、わしとはくらべようもないほど卑しい性情の男の胸に、まっさかさまに転落していくとは!(中略)淫らな女は、たとえ輝く天使と契りを結ぼうと、至福に包まれた天上の床に飽き、ごみ溜めの腐れ肉を漁るのだ」。また、亡霊はハムレットに“お前の魂を汚すな(Taint not thy mind)”とも言っています。ヘンリー5世の肖像が出てくるので、グロスターが亡霊の代理的に思えるのです。

 

他方、クローディアスは「おまえにたいするわしの愛情は、実の父親の息子にたいする気持ちにくらべて、いささかも劣らぬぞ。(中略)おまえこそわしの片腕、わしの身うち、わしの息子なのだから。」と言って、父の死を悲しむハムレットを気にかける振りをして、彼を欺いています。(クローディアスの場合は、欺いている内容は兄の先王を殺したことですし、ハムレットの母と再婚したのもクローディアスです。そのため、先王の亡霊的でもありクローディアス的でもあることは、上に書いたように、本来は両立しない矛盾するものではあるのですが。)

 

いずれにしても、ヘンリーから話を聞いたマーガレットが、グロスター許すまじとなったところで2巻完です。このマーガレットについては、少し『から騒ぎ』ベアトリスっぽくも感じます。

 

※『から騒ぎ』を連想したのは、河原和音先生の『から騒ぎ』の黒羽くん(=原作クローディオ)がヘンリーに一寸似ている気がしたせいもありそうです。河原先生の『から騒ぎ』は『オトメン(乙男)』的なところもあるかもしれません。現代化演出的な翻案で、こちらもうまいなーと思います。シェイクスピアの喜劇は基本ラブコメだなと思えますし、『から騒ぎ』については主人公2人の“恋愛なんかしなくても、独身でもいいよね”という価値観がむしろ今の時代に合う気がします(と言いつつ、2人は恋に落ちるのですが)。原作の方は上で書いたような女性蔑視・嫌悪的な話や表現があり、クローディオもあまりいい印象にならない部分がありますが、そこは変更されていい感じになっています。
(※HⅥは松岡和子訳・ちくま文庫版から、『ヘンリー5世』『オセロー』『ハムレット』は小田島雄志訳・白水社版から引用しました。)