『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

12巻51話狩りの計画について

(薔薇王の葬列アニメ17話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

ヘイスティングスの処刑後、12巻では王子たち(新王と王弟)との対決になって、アンも巻き込まれていきます。黒幕にはずっとエリザベスがいますが、10巻ではリヴァースたちウッドヴィル、11巻ではヘイスティングス、そして12巻では王子たち。50話の記事でも書いたように、リチャードが一方的に力技で邪魔者を排除していく感じの『リチャード3世』(以下、RⅢ)に対して、『薔薇』は敵対勢力が拮抗するスリリングな展開になっています。様々な局面での王権抗争が起きる『ヘンリー6世』にむしろ近い印象があります。

 

ヘイスティングスの首について

RⅢではリチャードが「聖パウロにかけて……こいつの首を見るまで食事をせぬ!」とヘイスティングスの首を要求します。『薔薇』では、バッキンガムが、首を手にするリチャードをサロメに、ヘイスティングスヨハネに擬えていました。バッキンガムの見立てには私も強く頷きたいですが、預言者ヨハネの比喩は不吉でもありますね。RⅢでヘイスティングスも「予言しよう。かつてない恐ろしい時代がやってくるぞ。」と言っていますし。

 

リチャードの援軍としてハワード卿が兵を率いて来てヘイスティングスの陰謀について檄を飛ばす箇所は、RⅢではロンドン市長バッキンガムが経緯を説明する形です。その台詞に近いものをハワード卿が語りますが、「ハワードの演説はお前〔=バッキンガム〕の脚本か?」と細かくフォローされています。

 

リチャードがヘイスティングスについて語った言葉は、RⅢより『ヘンリー4世』の台詞に近い気がするんですがどうでしょうか。9巻40話で、エドワード4世が、もう戦うのは嫌だと嘆いていたシーンに似ていると思って記事で引用した箇所で、そのシーンとの関連も想像してしまったりします。

 

リチャード これほど正直で害のない男はいないと思っていたのに。……美徳面をしてその悪徳を見事に塗り隠していたから……ショア夫人との姦通は別であるが—どこから見ても清廉潔白だと思われていたのに。(RⅢ)

 

私の魂の間近にいる腹心だったのはほんの8年前だ、彼はまるで実の兄のように私のために奔走し、愛情も命もこの足元に投げ出してくれた。(『ヘンリー4世』)

 

(11巻ではケイツビーが清廉実直と言われることが多くて、記事でうっかりハムレットのホレーシオ妄想などを語ってしまいましたが、RⅢでヘイスティングスに言われる賛辞をヘイスティングスからケイツビーに転用したと考えるべきなのでしょう。

 

ケイツビーについては、多分オリジナル要素が強く、ストーリー的にも影になって支えることが多いせいで、なかなか記事に書けなくて残念です。12巻はかなり『夏の夜の夢』と重ねられた展開になってきますが、ケイツビーは『夏の夜の夢』ともあまり絡んでいないように思います。)

 

広告

 

リチャードの傷について

ヘイスティングスの呪いの罪状を造り上げるために、『薔薇』ではリチャードが自分の腕をジェーンの薬で爛れさせました。バッキンガムは、戦場での傷も含め、リチャードに無数の傷があることを「それこそが王の証だ」と言って爛れた手に口づけ、エドワード5世はそれを「薄気味悪い傷跡」と言います。

 

傷については、10巻で重ねられている『ヘンリー5世』のアジンコートの演説の中で、戦場の傷が誇りになると言われています。一方、12巻でこの後重ねられる『夏の夜の夢』の最後部では「子供らの身体に生来の傷ないように。黒子、兎唇、痣などの、生まれながらに、世の人の不吉ときらう傷跡に、悩まされることないように。」と語られます。

 

RⅢでも『薔薇』でも、リチャードは黒子どころではない「不吉」さを有している訳ですが(これは52話で「取り替え子」の比喩で語られます)、今話でリチャードの傷の話を対照的に語るシーンが出てくるのは興味深いです。

 

エドワード5世と王弟について

11巻でバッキンガムはヘイスティングスに「効果的に死んでもらう」と言っており、彼の処刑によって敵対勢力を萎縮させ一掃するはずだったのでしょうが、今度はエドワード5世と弟が障壁になってきます。

 

彼らについて、残念な子だの、タモーラのダメ息子たちのようだのと記事で書いてきましたが、いやいや、RⅢと方向性は違うものの、リチャードとバッキンガムが警戒するような十分(悪)賢い子たちでした。

  

baraoushakes.hatenablog.com

 

もっとも、2人の仲と性格は悪いです。2人が久しぶりに再開するRⅢの元場面はこれなのですが、

 

皇太子 ヨーク公リチャード、気高い/愛する弟よ、元気か?

ヨーク はい、陛下って呼ばなきゃならないんだよね。

皇太子 ああ、お前にも僕にも悲しいことだが。

 

この仲良さげなよい子たちの台詞を見事に反転する形で、「お兄様!」「愛しいエドワード兄……」と呼びかけようとした弟に「国王陛下と呼べ、“弟リチャード”」と言って叩く兄。弟のヨーク公リチャードは11巻まで名前が出てこず、もしかしたら名前は出さないままかもと想像していましたが、この場面で初めて名前が出てきました。こんな効果的な形で“リチャード”を使うためにとっておかれたんですね。流石です。

 

王弟リチャードの生意気さについてはRⅢ準拠な感じで、RⅢではリチャードとバッキンガムが「狡猾な母親に焚きつけられた」のだろうと言っています。

 

他方、兄弟仲の悪さと、それでも悪巧みになれば共謀できるあたりはやはり『タイタス・アンドロニカス』のタモーラの息子たちに似ていると思います。「美女のパイ包」と言ったり、侍女をナイフで脅す台詞も『タイタス』っぽい……。そして、この息子たちが狩りに乗じて敵対者の命やその家族を狙う展開も『タイタス』にあります。

 

この流れで、エドワード5世が、リチャードに妻と子を呼び寄せろと言ったのは恐かった……。

 

夏至の狩りについて

狩りについては、この『タイタス』と重ねているところがあると思いますが、もう1つは、逆にリチャードがドーセット(エドワード5世たちの異父兄)を狩りのように探させたという話と掛けているのではないかと思いました。『薔薇』では現在行方が知れないまま逃亡しているドーセットですが、史実ではエリザベスと共に聖院に避難していました。それがヘイスティングスの処刑前後に聖院を抜け出して逃亡したそうで、リチャードが「狩人がやるように」「穀物畑、耕地、林」に犬と兵を動員して探させたそうなのです(『悪王リチャード三世の素顔』)。

 

更に、夏至という時期とかけて、この後の話の展開としては『夏の夜の夢』が重ねられていきます。『夏の夜の夢』でも狩りに行く場面があります。ありますが、『タイタス』と『夏の夜の夢』って、片や血で血を洗う復讐劇、片や妖精が恋愛のもつれを解決するファンタジックな喜劇、という対極にあるような話だと思うんですよ。それをRⅢに重ねてしまうって、どれだけ凄いことをやっているんだろうと思います。その分、『夏の夜の夢』が悪夢系になっているとは思いますが、恋愛のもつれはちゃんと解決されています!

 

戴冠式は6月22日に予定されていたそうで、この日程と「母親に焚きつけられた」というRⅢのリチャードたちの中傷がうまく使われた展開ですよね。

 

リチャードたちが戴冠式を遅らせようとしていたのは史料準拠のようで、上掲『悪王〜』によると、エドワード5世はリチャードに反感を募らせており、戴冠後の王からの報復措置をリチャードたちは警戒していたようです。『薔薇』では、戴冠後に事を起こせば戦になるだろうから、その前に動く必要が語られていました。

 

広告

 

バッキンガム、身を引く?!

エドワード5世の戴冠前にリチャードが王位を簒奪して戴冠する計画を話しながら、バッキンガムは「王の身体(からだ)はこの国のものだ」「もう誓約の証を示す必要はない」とリチャードに告げます。『リチャード2世』を分析した『王の二つの身体』のような比喩で神妙なことを言い出しました。政治的身体としての王を支えるために、自然的身体(肉体関係)からは身を引くということですね。

 

リチャードの王位就任に対する、またリチャード自身に対するバッキンガムの強い執着がずっと描かれてきましたし、神も畏れず野望を是認してきた彼なので、王位についても「この国のもの」というようなリスペクトがあるとは思っていませんでした。もっとも、これは言葉通りの王位へのリスペクトというより、ジェーンの忠告から、リチャードの王位安定とリチャード自身のことを考えてのことなのでしょうけれど。よくも悪くもそのまま強引に進むと思っていた『薔薇』のバッキンガムがこの局面で引く形になったのは想定外でした。

 

欲望・野望から純粋な想いの方に大きく振れてきた感じですね。

 

リチャードについては11巻を通して2人の関係の中で徐々に主導権を取っていくように見える、と46話の記事で書きました。2人の関係ではリチャードが自立する方向性を想像していたのですが、リチャードにはバッキンガムの存在が更に大きなものになっていました。ここも予想が大きく外れたなあと思います。RⅢの型通りにも、単純にも進まない展開に更に深みに嵌ってしまいます。

 

そこからのすれ違いが生じてきた51話ですが、これ、「野心満々のバッキンガム」が「用心深く」なった(RⅢ)わけではなく、この後の狩りのエピソードで「目の迷いを解いて」「万事おさまる」(『夏の夜の夢』)ということでいいんですよね……、ね?

 

(※翻訳については、RⅢを河合祥一郎訳・角川文庫版、 『ヘンリー4世』を松岡和子・筑摩文庫版、『夏の夜の夢』を小田島雄志訳・白水社版、から引用しました。)

 

上のBlue-lay /DVDについては私は未見なのですが、なんとなく11巻の子供マーガレットを思わせる感じで少し前から気になっていました。演出が『ライオン・キング』のジュリー・テイモアジュリー・テイモアは、対極にあるような、と書いた『タイタス』の監督もやっています。
2本とも多分現在は配信はなく、商品情報を載せていますが『タイタス』は中古のみなので、レンタルの方が見やすいかもしれません。DMMでは2本ともレンタルしています。ただ『タイタス』は残酷・グロテスクなものが苦手な方はご考慮の上で。

 

Renta!とコミックシーモア特典ペーパー付です(2021年4月現在)。