『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

10巻44話リチャードとウッドヴィルの対決について

(薔薇王の葬列アニメ15話対応)

 

夢について

44話の前半は、「夢」に掛けて話が展開していました。悪魔の羽をつけたリチャードが出てくるアヴァンタイトルの箇所はリチャードの夢のようにも思えるのですが、目を覚ましたリチャードは「夢を見なかった」と言っています。

 

『リチャード3世』(以下、RⅢ)との関連では、野望を受け入れたリチャードが、むしろ悪夢を見なくなるという逆転が施されています。リチャード自身も一寸驚いているふうでもありました。RⅢではリチャードがずっと悪夢にうなされていることがアンによって語られています。

 

アン あの男のベッドで一時間たりとて黄金の眠りを楽しんだことはなく、あの男がうなされる悪夢でいつも起こされる。(RⅢ)

 

アンがベッドの中のことを語るので、ここ自体に性的な含みはなくてもなんだかいけないことを聞いた気がしてしまいますが、場面としては、リチャードの戴冠前で、ジョージの暗殺、リヴァース伯たちの逮捕、ヘイスティングスの処刑がこの前にあったぐらいの段階です。RⅢでは、ジョージの暗殺とアンとの結婚が同時期ぐらいの設定なので、アンの言葉をそのまま取れば、その頃から既にRⅢのリチャードは悪夢にうなされていることになります。『薔薇』でも、ジョージ暗殺後、リチャードはジョージが出てくる悪夢を見ていました(9巻39話)。この辺、本当に細かく話を拾っておられるだけでなく、さりげない伏線として忍ばせていることに後から気づきます。

 

オリジナル部分では、9巻40話でジャンヌが夢に現れて、王冠を被ったヘンリーを差し出して「本当に欲しいものをあげる」とリチャードを試すようなことを言いました。ですが、今話ではリチャードは夢に苛まれずに眠れたわけです。

 

40話で「愛しい誰かの夢を見ているんだね」と言ったティレルは、ケイツビーを引き離しておいたので「愛しい人の夢を見れるといいね…」と引き続き言っていますが、最早リチャードはヘンリーも王冠も「夢」に見なくてよいということかもしれません。

 

一方、リヴァース伯の逮捕に向かいながら、バッキンガムが、リヴァースは「ベッドの中で、玉座に座る夢を見て」いた筈だとリチャードに語りかけます。ただ、これは、バッキンガムがケイツビーに誤解を与えて牽制する・優位に立つのが目的のような感じもします。誤解を与える夢の話をして嫉妬を煽ろうとするのは、一寸『オセロー』っぽい気もしますが、そこまで引っ張るのは無理があるかもしれません。ケイツビーが抱く感情は嫉妬とは違うような気がしますし。

 

加えて、このバッキンガムの台詞は、リチャードが「王太子殿下を起こしに行くぞ」(玉座に座る、甘い夢からー)にも呼応している形ですね。

 

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リチャードとウッドヴィルの対決について

42話の記事でも書いたように、リチャードとエリザベスや親族(ウッドヴィル)との関係はRⅢ以上に相克的に描かれ、史料に近い展開になっているように思います。

 

もちろんRⅢでもウッドヴィルの台頭と、それに対するリチャード、バッキンガム、ヘイスティングスの反目は書かれています。ですが、RⅢでは、兄王エドワード4世が双方を和解させたのに、むしろその和解を利用して、他意のなかったリヴァースたちを王太子の力を削ぐためにリチャードとバッキンガムが逮捕したようになっています。逮捕の報を聞いたエリザベスは「人を人と思わぬ暴挙が動き出し、あどけなく、稚い王座をつかんだ。……すべての終わりが、地図を見るようにはっきりと見える。」(RⅢ)と悲嘆して、弟王子と自分の身を守るために修道院に避難します。

 

他方、『悪王リチャード三世の素顔』によれば、史料にも様々な記述や憶測があるものの、リヴァースたちはリチャードの摂政職を形だけのものにするか、摂政就任を阻んで、王宮の実権を掌握しようとしたと考えられるとのこと(同書は今回も大変参照させてもらっています、以下『悪王』と表記します)。リチャード(派)とウッドヴィルとの対立は、王太子父方親族/母方親族、旧来の有力貴族/新興勢力、北方勢力/中央勢力を背景にした権力闘争でもあったようです。既にウッドヴィル一族(『薔薇』に出てくる以上の多数の親族)はかなり要職も占めていましたから、リヴァースたちの逮捕劇は、王権をめぐってのリチャードとバッキンガムによるクーデター的なところがあったのでしょう。『悪王』の石原先生は、むしろウッドヴィル一族の実権掌握をクーデターと呼んでいるぐらいなので、それに対する反撃というべきでしょうか。

 

逮捕の理由とされたのが、リヴァースたちがリチャードの暗殺を企てたということでした。王太子を擁した行幸でもそれがアピールされ、諮問会議にもリチャードはリヴァースたちの反逆罪を訴えたということです。ただ、この理由については、『悪王』でも、外向け、後づけ的であろうことが示唆されています。

 

ドーセットやエリザベスは、逮捕の報を聞いて対抗するために兵を集めようとしたという話もあるそうで、内戦に発展する可能性もあったところ、様子見を決めた貴族たちから助力を得られずエリザベスたちは修道院に避難したのだろうと『悪王』では推測されています。

 

『薔薇』では、これらがアレンジされて、やるかやられるかのスリリングな展開にされていました。リヴァースたちはリチャードを排除して実権を握ろうとしていましたし、ここにエリザベスの復讐劇を絡ませてリチャードの処刑が計画され、バッキンガムの謀略によって明暗を分けた形になりました。

 

貴族たちが様子見を決め込む状況については、ヘイスティングスの「皆保身で頭がいっぱい」という台詞に込められている気もします。挙兵の画策と断念も、ドーセットが衛兵にリチャードを捕えるよう命じても兵が動かず失敗する、という戯画的な表現に置き換えられているかもしれません。

 

また、エリザベスの復讐と絡ませて、母方親族/父方親族の対立の構図も入れられていたと思います。エリザベスが、(私の血(ウッドヴィル)が、プランタジネットの血を支配)するとし、それに対して、新王を擁したリチャードが「参りましょう陛下、“プランタジネット”の王宮へ」と言う台詞が対置されています。

 

それはエリザベスとセシリーの会話でも表現されていたと思います。弟王子にセシリーが「強欲なのは誰の血かしら」と言い、エリザベスは「私の・・ 王子が、何かご無礼を?」と慇懃無礼に返しています。王太子を出迎える前にエリザベス、セシリー、弟王子の会話があるのはRⅢ通りですが、仲の良さが見えるRⅢの関係性とはむしろ逆。RⅢでは、修道院に避難するエリザベスと一緒に悲しみ怒り、同行しようとするセシリーですが、『薔薇』ではこの2人の関係も必ずしもよくはありません。

 

(権力闘争の話とはずれますが、セシリーの描写について11巻49話記事と関係するところで言えば、RⅢと違ってセシリーは孫たちにも選り好みをする感じがあり、毒親を強調する形になっているだろうと思います。)

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

2人の王子について

王子たちの造形はRⅢとはかなり違えながら、元の台詞が巧みに使われています。『タイタス』のタモーラの2人の息子がダメな青年たちなので、タモーラと共に息子たちも被せているのでは……と想像したりしてしまいます。(グレイとドーセットの方がタモーラの息子と年齢・設定は近いだろうと思いますが。)

 

王太子エドワードについては、複数の史料やRⅢで、叔父・義兄の逮捕に納得できなかったところを、リチャードたちに押し切られたように書かれているようです(『悪王』)。

 

皇太子 道中あった事件のせいでせっかくの旅も気が重く、うんざりしたのです。もっとたくさんの叔父上に出迎えてもらいたかったのに。(RⅢ)

 

RⅢでは敢えて婉曲的に逮捕について異議を唱える聡い少年ですが、『薔薇』の方は……。この台詞は43話の「グロスターの奴はなんで来ないの?」にも掛けられていますよね。RⅢの王太子エドワードは分別のある大人びたよい子という感じで、弟王子の方は、頭が切れてその分一寸生意気な子という感じです。(弟はヨーク公リチャードなんですが、そのせいか『薔薇』では今のところ名前が出てきていません。)ヨークの背が伸びるのが早いという話も出てきますが、RⅢでは過去にそれをリチャードにバカにされたので、兄の方が背が高くなった今、彼は反撃でリチャードの弯曲した背を揶揄する冗談を言います。

 

ヨーク 兄さんは叔父さんと僕をからかってますよ。僕が猿みたいにちびっこいから、叔父さんの背におぶってもらえばいいって言うんですよ。(RⅢ)

 

バッキンガムは「叔父をからかったうえで、それをごまかすために面白おかしく自分をだしにする」(RⅢ)とその大胆さと利発さを警戒し、リチャードも彼を危険視します。

 

王太子を背に乗せるリチャードについて

この「背におぶ」うという台詞も転用され、リチャードが颯爽と下馬して跪きその背に王太子を乗せて馬から降ろす形になっていました。“なんて格好いい改変なんだ!”とそこにだけ目が行っていたのですが、王宮入場でリチャードが臣下の礼を取る形に変えたこともすごいと思うんです。

 

『悪王』からは、王太子を迎えに行ったリチャードが臣下の礼を取ったかどうか、当時の史料がその振る舞いに注目していたことがわかります。また、リヴァースらを逮捕してリチャードが幼い王太子を拉致して自分の支配下に置いたと非難されないよう、王太子に忠誠を誓うとする手紙をリチャードは諮問会議等に送っていたそうです。

 

王太子を背に乗せることは、リチャードが王太子への臣下の礼を周囲に見せつける演出であり、かつ、その実は王太子を見世物の「猿」のように扱っているということですよね。RⅢの台詞を全く違う形で、なんて見事に使っているのでしょうか。ドーセットが逃亡した後も、再度、リチャードは膝をついて王太子に臣下の礼を取っています。そしてここではエリザベスに視線を向けて「この国の平和を乱す凶賊共は、一人残らず私が排除いたします」と言いました。

 

ウッドヴィルとの対決はここで一旦の決着となり、45話でバッキンガムに促されてエリザベスは聖院に行くことになります。(とはいえ、そこから反撃に出るのが『薔薇』のエリザベスです。) 

 

(※RⅢについては河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しました。)

 

そこまで引っ張るのは無理だろうと言いながら、オペラ版『オテロ』のTrailerです。Trailerだと今ひとつわかりにくいのですが、「俺こそがお前の悪魔……俺は信じる無慈悲な神を」と歌う「イアーゴのクレド」の箇所で、悪魔(死の天使?)が出てきてイアーゴが彼女に口づけし羽交い締めにするという、いきなりそこだけ『薔薇王』のような演出のプロダクションです(←0:15あたり)。

www.youtube.com

 

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