『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

9巻40話リチャードの嘘と真実について

この40話と10巻41話はスコットランド戦の話になっています。40話41話の凄さは、『リチャード3世』(以下、RⅢ)で一言触れられている程度のスコットランド戦を描き、そこにヘンリアドと称される『リチャード2世』『ヘンリー4世』『ヘンリー5世』オマージュを入れ(多分)、ヘンリアドの主題の1つでもある“王とは何か”という話につなげていることでしょう。そのなかで、既に王の風格を備えたリチャードが描写されます。

 

加えてスコットランド遠征での(多分)『マクベス』オマージュ(時代は全く違いますが、マクベススコットランド王)。

 

主線ストーリーでは史的な背景にも触れながら、バッキンガムの裏工作(を巡ってのバッキンガムvs.ケイツビー)の話があったりティレルが話に絡んできたり……。それだけ複雑に組み立てられているのに、流れに乗ってワクワクしながら読めるという素晴らしさです。

 
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エドワードと王の苦悩について

国境で略奪や衝突が起こったことを契機にスコットランドと戦争となりますが、エドワード王は王宮に留まり、リチャードが総指揮官としてスコットランドに遠征します。

 

前線に赴かずジェーンとの快楽にふけるエドワードを、戦場では“自分たちは寒い思いをしているのに”と兵たちが、またベッドではジェーン自身が皮肉っていました。これは王に値しないエドワードの描写でもあると思いますが、37話の記事でも書いたように、ここで王位がもたらす苦悩を描いているように思います。

 

エドワードはジョージの件について、RⅢとは異なり、裏切りへの苦悩と自らの判断とを語っています。「あいつは…、俺を2度も裏切った……!誰に唆されたのでもない……俺はあいつを憎んでいた」。RⅢでのエリザベスの台詞「王は、だれかにそそのかされてのことではなく(中略)憎しみをご推察なさった」を転換したものでしょう。RⅢでは、リチャードがエドワードを唆して幽閉させ、それをむしろエリザベス達のせいだと言って彼女達を非難。その非難に向けてエリザベスが言った台詞です。ですので、エリザベスの台詞とは裏腹に実はエドワードは唆されていた訳ですが、『薔薇』では、実はエドワード自身がジョージを殺したいとも思っていたことを明らかにするという奥深い台詞にされています。この場面は、ジョージの処刑について、(リチャードの関与や予言の警戒ではなく)エドワードとの対立を指摘した当時の史料に近づけながら、それに加えて『ヘンリー4世』を入れてきているんじゃないかと想像します。結果的にジョージを殺すことになったエドワードは、「戦いも、血の匂いも、もう嫌だ」と言います。

 

ヘンリー4世は、かつては「実の兄のように……愛情も命も……投げ出してくれた」側近に裏切られて謀反を起こされ、こんな未来が予見できていたら「へたり込んで死んでしまうだろう」、「王冠をいただく頭に安眠の枕はない」と嘆きます。ヘンリー4世の方は、それでも病を押して戦に出ようとしますが、「お加減がすぐれぬご様子」だし、派遣した軍勢で十分なので休んで下さいと止められます。40話では、ヘイスティングスエドワードの体調が優れないのだと庇っていますね。

 

兵たちが言う皮肉は『ヘンリー5世』から取られているんじゃないかと思いました(こちらの方はアジンコートの戦いの場面)。1つは、ヘンリー5世が言う「そしていま、故国イギリスでぬくぬくとベッドにつく貴族たちは、後日、ここにいなかったわが身を呪い……男子の面目を失ったようにひけめを感じることだろう」という台詞。もう1つは兵が、「こんな寒い晩でもテムズ河に首までつかっているほうがここにいるよりまだましだと思っておられるんじゃないかな」、本当は王も戦地にはいたくないはずだ、と、戦場の辛さと王への不満をこぼす台詞。これらが入っているような気がします。

 

ヘンリー5世は前線に出てきているのですが、それでも兵たちには不満があるわけです。指揮を取るヘンリー5世には不本意ですが、不利な状況で命令通り戦わざるを得ない兵にとっては妥当な不満です。ヘンリー5世もまた王位の苦悩を語ります。それでも、その苦悩や人々の不満も王が背負うべき責任だとして腹を括るのがヘンリー5世。そして、これは10巻41話で、王は「すべてを背負う責任がある」と言うリチャードの台詞に繋がっていると思います。

 

リチャードの独白について

RⅢと『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ(3))で王冠への野望を語るリチャードの独白が、40話でも巧みに使われています。

 

戦場で、王宮で会う時より生き生きしていると言われたリチャードは、「その方が性に合っているのだろう」と返し、「宮廷に響く美しい詩や音楽、優しげな肌のぬくもりよりもずっと」と独白します。ここはRⅢの冒頭部からですね。

 

生れながら色恋遊びには向いておらず、鏡を見てうっとりするようなできぐあいでもない。……のどかな笛の音に酔いしれるこの頼りない平和な時世に、どんな楽しみがある。……おれは色男となって、美辞麗句がもてはやされるこの世のなかを楽しく泳ぎまわることなどできはせぬ(RⅢ)

 

しかし戦況は膠着状態になり、その打開のためにリチャードはスコットランド王の弟オールバニ公爵をイングランド軍に引き入れ、王を戦に引き出そうとします。ジェイムズ3世王に不満をもつオールバニ公に、大変に艶っぽい表情で「貴方には才覚がある」「この雄々しい顔……さぞ王冠が似合うだろう」と、スコットランド王位を条件にイングランドに従うよう働きかけます。

 

オールバニ公を籠絡する言葉には、しばしば出てくるHⅥ(3)3-2の独白ーリチャード自身が王冠を狙う台詞ーが転用されていました。

 

おれの手と力がそれにともなわないかぎりは……リチャードのための王国はないものと思うんだな。と、なるとこの世にどんな楽しみが残されている?(中略)今後は生きているかぎりこの世を地獄と思おう、このできそこないのからだに乗っかっている頭が輝かしい栄光の冠で飾られる日がくるまでは。(中略)サイノンのように木馬を使ってトロイを落としもしよう……残忍さにかけてはマキャヴェリさえおれの弟子だ。そのようなおれが、王冠一つ取れんというのか。(HⅥ(3))

 

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Purpleviola    写真AC

 

リチャードの嘘と真実について

オールバニ公に王位簒奪を唆したリチャードは、自分でも(よくもすらすらと誑惑の言葉を吐けたものだな……)(まるで悪魔のようにー)と独りごちます。その晩、夢の中にジャンヌが現れ、「悪魔らしくなったじゃないか」「“誑惑のことば”だって?」「君の本心さ」「嘘が真実(ほんとう)で真実(ほんとう)が嘘」とリチャードに語りかけます。ジャンヌはリチャードの言うことが「真実(ほんとう)を隠して嘘を言っているようで真実は真実で……」と言うのです。

 

ここもダブル・ミーニング、トリプル・ミーニングになっている感があります。

 

まずは、ジャンヌが言う通り、オールバニ公への“誑惑”が、リチャード自身がもつ王冠への野望だということです。そもそもHⅥ(3)ではリチャードが王冠を求める台詞です。また、ここ以外にも『薔薇』のリチャードにはそういう振舞が見られます。アンに求婚する時も、ジョージに裁判のことを知らせる時も、王家のために「もっとも愛した人間も殺した」と言う時も、リチャードが語ったことは真実かつ嘘です。(愛していたという言葉はアンには嘘、ヘンリーに対する想いとしては真実。ジョージの裁判でなかった点で嘘、裁判自体は真実。愛した人間を手にかけたのは真実、王家のためというのは半分嘘。)

 

更に、ジャンヌはリチャードが「本当に欲しいもの」として“王冠”を被った“ヘンリー”を差し出し、「素直に言ってごらんよ、神様に愛してほしいって」と言うのです。

 

ここは本当に凄い。上で引用したHⅥ(3)やRⅢのリチャードにも遡及する菅野先生の解釈が入った展開になっているだろうと思うのです。『薔薇』のリチャードがこの時点でも自身の王位への欲望を抑圧しているのに対し、原典リチャードは王位への野望を明確に語っています。ですが、原典リチャードもまた、(神に)「愛してほしい」という欲望を抑圧している、ということなのでしょう。

 

そして、このことをジャンヌが指摘する直前に、HⅥ(3)やRⅢのリチャードの独白を使うシーンが置かれているのです。

 

以前の記事でも書きましたが、特にHⅥ(3)でリチャードは、エドワードやジョージより有能で武勲もあげているくらいです。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

しかし、有能で実績もある自分が王位に就くべきだ、とリチャードはストレートに言っていないのですよね。先ほどの引用箇所のRⅢでも「生れながら色恋遊びには向いておらず」(I, that am not shaped for sportive tricks)と言っており、HⅥ(3)の「この世にどんな楽しみが残されている?」の後の中略部(の一部)はこうなっています。

 

甘いことばと顔つきで可愛いご婦人がたを魅惑するか?ばかな!なんてみじめな思いつきだ、そいつは王冠を20個手に入れるよりできそうもない話だ。……愛の神はおれを見捨て、愛の花園から閉め出すべく言いなりになる自然を賄賂で買収した。……まるで天地創造以前の混沌か、母熊さえその醜さになめて育てることをしなかった子熊みたいに。……とすれば、この世がおれにあたえてくれる喜びは、おれよりなにもかもまさっている連中にたいして、命令……してみせる以外にない。(HⅥ(3))

 

自分の実力や王冠を取ることには自信を覗かせながら、(身体のせいで)愛されることを初めから諦めているリチャード。王位を求めるのは、それに相応しい実力があるからというより、得られない愛への代償行為であるようにも思えます。

 

原典のこうした機微にも言及するようなジャンヌの台詞です。しかもそれだけでなく、『薔薇』のリチャードはこの時点では愛も王位も諦めている分、「神様に愛してほしい」ということが、誰かからの愛情を求めることのようにも、神が認める王になることのようにも取れるのです。40話では神が王を選ぶというような台詞が出てきます。その上でジャンヌが、ヘンリーに王冠を乗せて示してみせるという画です。

 

更には、この後、バッキンガムから身体の秘密を探るよう言われたティレルが登場。眠るリチャード(←バッキンガムかティレルが多分薬を盛りました)に「僕の王」と言い、寝言でヘンリーの名を呼ぶリチャードに「愛しい誰かの夢を見ているんだね」と言っています。いやもう、話の展開も凄いし、この王と愛の掛け方も凄い。

 

ティレルの前でヘンリーと呟くリチャードにはもちろん大注目ですが、そこは今更何をか言わんやというところでしょう。結局、ティレルは、王以外の命令に従うべきでなかったと思い直したので秘密を暴くことは未遂に終わります。

 

王位を唆す『マクベス』の魔女について

ジャンヌが言った「嘘が真実……」は、多分『マクベス』冒頭の魔女の台詞でしょう。

 

Fair is foul, and foul is fair.

 

おぼろげな記憶では、ジャンヌの台詞に近い『マクベス』訳があった気がしたのですが、見つからなかったので英文を。(ここは読んだ瞬間、“『マクベス』だー!”と思ったのですが、記事を書きながら探したら「嘘」を使った翻訳が見つからず一寸気弱になっています。)

 

これは戦から凱旋するマクベスに、魔女が彼の王位を予言し唆す少し前の台詞です。『マクベス』での魔女の台詞は(様々な意味を含みつつ)、“魔女の予言”が真実で嘘、という含意が大きいと思いますが、上に書いたように『薔薇』ではリチャードの嘘と真実という意味合いが大きい気がします。

 

とはいえ、この時点で決着はついていないものの凱旋することになるリチャードに、ジャンヌ=魔女が、王冠(とヘンリー)を差し出し、「素直に言」ったら「欲しいものをあげる」と唆しています。今やエドワード以上に王の風格が備わっているリチャードに、王になりたいという本心を認めろと囁いてもいるのです。

 

同時に、オールバニ公にとっては、スコットランドの王位を唆すリチャードが魔女の役割を担っています。王に相応しいとは思っていないオールバニ公をイングランドのために利用し、王位を約束する点でも「嘘が真実」。「すらすらと誑惑の言葉を吐けた」自分をリチャードは「悪魔のよう」と考え、ジャンヌからもそう言われています。

 

どれだけ話が掛けられていることか。10巻41話の盛り込み方もすごいですし、マクベスモチーフは10巻43話に繋がっているだろうと妄想しています。

 

(翻訳については、HⅥ、RⅢ、『ヘンリー5世』を小田島雄志訳・白水社版、『ヘンリー4世』を松岡和子・筑摩文庫版から引用しました。)
 
『メタルマクベス』は好き嫌いが分かれるだろうと思うものの、“Fair is foul, and foul is fair”について、面白い扱いをしていました。小田島訳「いいは悪いで、悪いはいい」と松岡訳「きれいは汚い、汚いはきれい」の両方を3人の魔女が同時に喋り、内輪受け的なネタ(“こっちの翻訳の方が忠実よー”みたいな)や下ネタ(?)を入れて一寸解説してしまう形です。
『メタルマクベス』も宮藤官九郎さんの台詞のいじり方が説得的。下の紹介動画にその場面はありませんが、このdisc3は過去にヘンリー6世を演じたこともある浦井健治さんがマクベスです。disc1では、植本純米さんがベビーメタル風ゴスロリ(!)の魔女を演じていました(この動画は別の演者です)。植本さんは佐々木蔵之介さん主演の『リチャード3世』では丸坊主姿でエリザベス(!)を演じていて、それがなぜか違和感がないんですよね……。
 
 
 
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