『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

12巻55話夢の結末について

(薔薇王の葬列アニメ17話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

アンと『夏の夜の夢』の女性たちについて

55話冒頭では、弓を引くアンとエリザベスの画が交互に出てきます。54話の「絶望して死ね」という台詞はアンのもののようにも見え、55話になってからエリザベスのものであったとわかる形でした。また「雷を」は11巻でエリザベスがリチャードに対して言った台詞ですが、RⅢではもともとアンがリチャードに向けたものです。この「雷を」も、どちらの台詞か敢えてわからない形にされ、アンが夫リチャードに弓を向けたかに見せながら、その標的は別。

 

(※ 『夏の夜の夢』は『夏』、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。『夏』の翻訳は小田島雄志訳・白水社から、RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)

 

次のシークエンスではアンが王弟に向けて矢を放ったようにも見せ、エリザベスが「やめて」と叫ぶ、重ねてミスリードを誘う展開でした。『タイタス・アンドロニカス』では、復讐神を装おうタモーラと息子たちに、タイタスが騙されるふりをして、タモーラの息子たちを(こちらは実際に)殺す展開があります。また、タイタスの方もタモーラとその夫の皇帝に息子を殺されるので、タイタスが弟に皇帝の居城に矢を射かけさせつつ、報復をしたためた書状と鳥を使者に届けさせる箇所もあります。ここも多少掛けられているのかなと思いました。タモーラの息子たちの境遇については、後半、王子たちをロンドン塔に連行するところの方が更にそれっぽいですが。

 

アンは、リチャードだけでなく、父やランカスターも自分の人生を支配してきた、と言いました。そしてここでアンも、人生を取り戻す、「本当に欲しいものは、自分のやり方で手に入れる」と言って暗殺の取引を退けました。52話で、エドワード4世の出生疑惑の話が出た時に、アンが、父ウォリック伯が彼女の気持ちを利用したと回想したのは、このための布石でもあったのかと感嘆します。ウォリックによる噂の流布は、アンの決断と、後述のリチャードの王位継承の正統性の両方に掛かる話になっている訳ですね。複雑なパズルのように話が組み立てられているのに、読んでいる時は、ただただ、それがぱーっと並ぶ気持ちよさに酔い、後から、どうやって組み立てられているんだ、凄い……と感じます。

 

52話の記事で、アンが『夏』の女性の抑圧と抵抗を体現しているように見えると書き、53話の記事ではヒポリタと重ねました。タイテーニアと重なる部分としては、息子エドワードが取り上げられそうになったことでしょう。直接的にはエドワード5世から下僕に寄こせと言われたことですが、リチャードの命と引き換えに息子の将来を保証するという王弟の提案も、仮に実行しても安泰とは思えないものでした。

 

そして父親との関係ではハーミアの抑圧と反抗に重なります。言いつけ通りの結婚をさせようとする父親に反抗するのが『夏』のハーミアです。(実はこれについても『タイタス』で類似の関係性があり、タイタスの娘も言いつけ通りの結婚に反抗します。真逆と思ってきた『夏』と『タイタス』、意外に類似点もあるものですね、本当に菅野先生は慧眼。尤も『タイタス』では、それを庇った息子を怒ったタイタスが殺してしまう(!)という想像を絶する展開です。)

 

ハーミアは愛するライサンダーと結婚したいと父に反抗しましたが、アンは愛するリチャードを政治利用するための結婚はしたくないと父に反抗しました。『夏』では、偶然と妖精の力とで、大公シーシュースも父も承知してハーミアは自分が選んだ相手との結婚ができましたが、リチャードとアンには誤解が生じたまま、『夏』とは逆に、アンは、父が改めて決めた相手と結婚しました。更に2人は敵同士になって誤解が重なり、姪・甥を引き取る件で多少緩和した感もあるものの、再婚後も誤解や感情のすれ違いは解消されないままでした。

 

『夏』に垣間見えるとされる女性たちの抑圧を、アンの抑圧の形ではっきり示し、むしろそれらが重なったからこそ、リチャードだけが自分を支配してきたのではないと言って、アンが自らきれいにひっくり返してみせる。この反転は、快哉を叫びたいくらいです。

 

結果として、アンは、政治的判断込みで「私は私の意志で、貴方を選ぶ」とリチャードに告げて(ヒポリタ、ハーミア)、息子を取り戻します(タイテーニア)。リチャードと2人で息子を取り戻すことで、オーベロンとしても子供が得られる形にされています。解決の仕方が『夏』通りにも、逆にも見えるうまい形ですよね。

 

そしてリチャードの方は、実はその前の54話で、「彼女〔=アン〕の同意なしに、王にはなれない」言い、アンと向き合おうとしていた様子でした。ヒポリタに誠意を示す裏読みでない方のシーシュースか、「仲なおり」を提案して「妃、手をとろう」(『夏』)と言うオーベロンのようです。52話で諍いになったリチャードとアンの関係も、以前よりよくなるという『夏』っぽい展開です。

 

……ただ……リチャードとアンの関係については改善ですが、こう言ったリチャードにバッキンガムは非常に鋭い視線を向けました。リチャードにしてみればアンときちんと話すという意味でしょうし、アンも同意しましたが、覚悟を決めてここまでやってきたのに、今更“妻が同意してくれないと……”的発言はひどい(←なんだか離婚協議について書いているような錯覚に陥りました)。55話の展開からすれば、これも含めて「万事おさまる」(『夏』)形だったように思いますが、直前にあれだけ劇的に愛のもつれが解決したのに、ちらちらと不穏さが覗くのが『薔薇』クオリティと言うべきか。それとも、これも、結末に到るまで恋の鞘当てや嫉妬に振り回される『夏』のようだと言うべきなのか……。

 

そしてそもそも陰謀込み、多分『タイタス』込みなので、暗殺計画を仕掛けたエリザベスには更に過酷な結末が待っていました。

 

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エリザベスの夢と取り替え子のモチーフについて

55話では、エリザベスも夢を見ています。冒頭でエリザベスが見ているのは「子ども達やアンソニー〔=リヴァース伯〕が戻って」「イングランド」になる夢です。リチャードの暗殺で実現するはずの夢と言えますが、逆にリチャードが生きていれば彼らの命は危ういかもしれない状況です。11巻では、リヴァースとグレイの処刑の噂があるとヘイスティングスがエリザベスに告げていましたし、エリザベスも背水の陣の感はあるでしょう。

 

52話の記事で書いたように、『夏』には母方(母系制)と父方(父系制)の相克の構図もあるらしいのですが、55話冒頭のエリザベスの夢は、母方ウッドヴィル一族の支配が完成する夢とも言えそうです。ですが、これは夢に終わり、エリザベスはヒポリタのように敗北し、タイテーニアのように子供を渡すことになってしまいます。しかも、オーベロンの小姓になるのとは違い、『タイタス』のような恐ろしい事後を予想してしまうような連行です。

 

リチャードの暗殺計画について追及された王弟リチャードは「お母様のせいだ」とエリザベスを責めながら、エドワード5世とともに捕らえられてしまいました。それもエリザベスは夢か幻視のように見ていたようですが、「子ども達やアンソニーが戻って」くる方の夢だけを「きっと予知夢よ」と言いました。

 

そして、取り替え子モチーフのラストが、エドワード5世と王弟リチャードになっているのではないかと思います。王位継承権がなかったのに王や王弟となっていた点で、彼らもまた“取り替え子”と言えそうです。王弟については、ここで奪われる以前に、リチャードが聖院にいるエリザベスの元から取り上げた形にもなっていました。

 

エドワード4世がエリザベスとの結婚前に他の女性と結婚していたために、エドワード5世たちが庶子になり、リチャードの方が正統な王位継承権があるという主張はRⅢにも出てきます。RⅢでは、バッキンガムがリチャードの指示に従ってロンドン市議会で演説する際や、市民を連れてきてリチャードに王位就任を要請する中でこれを語ります。

 

『薔薇』では、(『夏』と『タイタス』を転用した)オリジナルエピソードの暗殺計画を告発するなかでこれが語られます。つまり、結婚が正式なものでなくエドワード5世たちの継承権がリチャードより劣るので、リチャードを殺そうとしたのだ、と、暗殺理由の言いがかりにもしてしまったわけです。ドラマティックですよね。

 

他の女性との結婚話については、2巻での一寸したエピソードが伏線でした。ここも、参りました!という感じです。2巻のエピソードも覚えていたのに、これが伏線だと気づかなかったー!重婚説だろうと思っていたのに鈍かった……、いや、菅野先生が素晴らしく巧みなんですよ、そうですよ、きっと。

 

正統な王位継承権の理由について

ところで、RⅢでは、エリザベスと正式な結婚でなかったことに重きが置かれているものの、バッキンガムの市議会での演説では、エドワード4世がヨーク公の実子でない話にも言及される形になっています。ですが、『悪王リチャード三世の素顔』によれば、エドワード4世が実子でないという話は、史料的には、まさに『薔薇』5巻のタイミングで、ヘンリーの復位のためにウォリック伯が主張したもののようです。『薔薇』は、この辺りをむしろきっちり史料準拠にしていたのですね。「戦時中はその手の噂に事欠かなかった」(52話)とその信憑性についてもちゃんと言及されています。

 

リチャードが主張した王位継承の正統性について、史料(公式文書)では、エリザベスとの結婚が正式なものでなかったとする理由だけが書かれていたそうです。チューダー朝になってから、この公式文書が破棄され、エドワード5世たちが嫡子とされるとともに、エドワード4世が実子でない話をリチャードが喧伝したことにされたそうです。『悪王〜』の石原先生は、チューダー朝の歴史家たちが、リチャードが母親を貶める嘘を広めてまで王位簒奪を謀ったとするイメージを作っていったのではないか、としています。また、ベスも庶子ということになると、チューダー朝には都合が悪かったこともあるだろうということです。

 

とはいえ、ウッドヴィル一族との覇権争いがあったことや重婚説が訴えられた時期を考えれば、エリザベスとは正式な結婚ではないという話も突然降って湧いたものとは思えません。その点で、リチャード側が王位継承の正統性についてなんとか理由を探そうとした52話からの展開は、(事実かどうかというより)とてもリアリティを感じさせる話の落とし方だと思います。

 

史料も踏まえ、しかも『夏』と『タイタス』をきれいに決着させる、という神業を堪能して狩りのエピソードは終了です。

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Arthur Rackham, "Titania lying asleep", Public domain, via Wikimedia Commons

 

“芝居”の前のやりとりについて

狩りの話を挟んで再びRⅢに戻る形でいよいよリチャードの王位就任に話が大きく動きます。

 

RⅢでは、ヘイスティングス粛清の直後に、バッキンガムが、エドワード5世の件だけでなくエドワード4世の実子疑惑や不品行なども含め様々な理由でリチャードが王に相応しいと市議会で市民たちに訴えます。そしてリチャードと事前に打ち合わせた段取り通り、その流れでリチャードの王位就任に賛同する市長や市民をバッキンガムが引き連れて来て、リチャードにそれを要請する展開です。

 

『薔薇』では、エドワード5世たちの王位継承権剥奪が奏功して、王宮や市民の間など様々なところでリチャードが王になるべきだと声が上がってくる展開になっていました。その一方、一難去ってまた一難の感で、ここでも対抗勢力が登場します。11巻最終話(50話)と同様、街頭で扇動者が、繰り返し登場する『ヘンリー6世』のリチャードは悪魔だとする台詞と共に、先王ヘンリー6世を殺し、兄や友を殺した、と触れ回ります。また、煽動された人々が「悪魔に王冠を渡すな!」と押し寄せて来て、やはり50話の時と同様、というより今話の方がネガティブに、リチャードは〈繰り返しだ〉〈希望(ひかり)は呪詛に〉という思いに囚われかけます。

 

RⅢでは賛同する市民たちが来ることも打ち合わせ通りな訳ですが、知らないふりの芝居をするために、ケイツビーが市民の前でバッキンガムに「このような大勢の市民たちを何のためにお集めになったのかとお尋ねです。……何かよからぬことをお考えではないかとご心配になっています。」と言っています。55話では、市民たちは本当に「よからぬこと」を考える扇動者に煽られて集まってきています。

 

また、10巻43話の記事で引用したバッキンガムの台詞が置かれている場所は、本来は王位就任要請の前、つまりこの場面に該当します。

 

バッキンガム 何か恐れているふりをなさい。(中略)こちらの求めにたやすく応ぜず、乙女の役を演じてください。いやよ、いやよと言いながら、結局受け入れるというわけです。(RⅢ)

 

これも本来は王位就任要請の“芝居”の打ち合わせですが、『薔薇』ではリチャードは「ふり」ではなく恐れを抱いています。そして、ここでも不安に駆られるリチャードの背中を押すのはバッキンガムなのですね。RⅢの王位就任をめぐるやりとりの中で「あらゆる障害が取り除かれ……私が受け継ぐべきものとして……王冠への道がまっすぐ通じているとしても」(RⅢ)と語るリチャードの台詞が、バッキンガムの「俺たちと王冠の間にはもう誰もいない、荊棘はすべて、取り除かれた」に使われているような気がします。アンとエリザベスでも台詞の入れ替えはありましたが、リチャードとバッキンガムの台詞の逆転(多分)はやはり特別感があります。

 

リチャードは、王(ヘンリー)を殺したとバッキンガムに語り、自分の矢傷で手についた血を見ながら、ヘンリーが自分を「悪魔と呼んだ」と思いに沈みかけます。ですが、その手の血をバッキンガムは舐め取ってしまいます。王殺しの後、手の血を見て自分を恐れるのがマクベスですが、マクベス夫人が洗えば血は落ちると叱咤するのみなのに対し、バッキンガムは血を拭いメンタル面のフォローもしっかりしています。51話でもバッキンガムが手の血を洗ってあげていました。リフレインの感じですね。そして、54話に続いてここでもヘンリーのことを払拭したのだなあと思わされます。

 

併せて矢傷にも口づけるバッキンガムに、リチャードは「お前のからだはいつも」「熱い」と言います。指舐めに続いて大変思わせぶりな台詞です。RⅢにはバッキンガムの「熱い気性」(こちらはあくまで“気性”)への言及があり、その艶めかしい転換だろうと想像するのですが、ここも素敵転換に痺れる一方、この台詞の転用だとするとフラグにも思えて気が気でないという盛り込まれようです。うん、「絶望して死ね」と同様、ここは全く別の文脈での転用と思うことにしましょう。(そして随分後になって気づいて追記ですが、ひょっとしてこの指舐めって『007 カジノロワイヤル』参照でしょうか。『カジノロワイヤル』のこのシーン自体が『マクベス 』っぽかったりするんですよ。)

 

バッキンガムは演説したり市民を連れて来たりする代わりに、「“脚本”は完成した、演じきれ」とリチャードに言いました。受けてリチャードが「神をも欺く、神聖な芝居を見せてやる」と市民の前に出ていくところで12巻完です。

 


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アシュトン振付のバレエ。オーベロンとタイテーニアの仲直り場面。なんとなくリチャードとアンっぽい感じがします。

 


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パーセルの『妖精の女王』(Fairy Queen)も『夏の夜の夢』が原作です。この演出では、オーベロンとタイテーニアが和解して、取り替え子を2人で迎えています。

 

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