『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

2巻5話ヨーク公の死について

第2部については、既刊の12巻まで記事を書いたので、13巻が出るまで遡って2巻からまた記事を書いていくことにしようと思います。

 

(※『ヘンリー6世』(第三部)はHⅥ(3)、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。2幕3場など細かいところまで書く場合はHⅥ(3)2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。翻訳は、HⅥ(3) は小田島雄志訳・白水社から引用しています。)
 

ヨーク公の死について

5話の冒頭ではジャンヌが登場し「死神達がやって来たら、誰も逃れることはできない」と言います。この元になっているのは、HⅥ(3)のヨーク公の台詞でしょう。1巻4話の記事で引いた「リチャードは三度までおれのために血路を開き……」の同じ台詞の後半部で、もう逃げられないとわかったヨーク公が以下のように言うのです。

 

ヨーク ああ、あれは!死神のような追っ手が追ってきたな。俺は力尽き、その凶暴な手をのがれるすべはない。(中略)おれのいのちの砂粒も、もはや数えられるほどになった。(HⅥ(3))

 

ジャンヌの言葉は、リチャードの夢の中でヨーク公の死が間近であることを知らせるもののようでもあり、自分を処刑したヨーク公の死を茶化しているかのようでもあります。

 

ヨーク公はマーガレット達に捕らえられており、上の台詞の後半が、ヨーク公によってマーガレット達に向けて語られます。マーガレットがヨーク公に偽の冠を被せたり、精神的にいたぶったりするところはHⅥ通りですが、マーガレットがヨーク公に差し出すハンカチの血が『薔薇』では偽物になっています。

 

HⅥではリチャードの下に弟ラトランドがおり、ラトランドは実際に既に殺されていてその血がついたハンカチをマーガレットは差し出しています。ラトランドは多分『薔薇』のリチャードと同年齢ぐらいかもう少し下の設定でしょう。(史実としてはラトランド伯の方がリチャードの兄で、戦死しています。)

 

『薔薇』では、マーガレットはリチャードを殺したと嘘を吐いています。ラトランドがいない設定でもこの場面を生かす形にもなり、マーガレットの知略家としての残酷さが強調されることになっているようにも思います。勿論実際に子供を殺す方も残酷ですが、HⅥのマーガレットが憎悪を感情的にぶつけた形だとすれば、『薔薇』のマーガレットは実態なしにヨーク公が最も苦しむよう仕組んだ形と言えそうです。

 

HⅥのヨーク公は涙にくれつつもマーガレットを散々に非難し「おまえが窮地に陥ったときおまえに訪れる慰めは、いまおれが残忍なおまえの手から受けるようなものであれ!……おれの魂は天に昇り、血はおまえらの頭上に降り注ぐぞ!」と言って殺されます。そしてHⅥ最後部でマーガレットが同様の立場に置かれる構成になっています。『薔薇』にはこのヨーク公の台詞は出てきませんが、「血」が「降り注ぐ」は7話の展開に繋がっているように思います。

 

対して、そのハンカチを見せられて心が折れてしまった『薔薇』のヨーク公は、以降、一言も発さないままマーガレットに殺されます。この沈黙が逆にヨーク公の絶望とリチャードへの愛情を印象づけます。マーガレットの「絶望して死になさい」はRⅢの有名な台詞からですね。

 

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リチャードとラトランドについて

1巻に続いて、リチャードとヨーク公の繋がりは、精神的なシンクロのように描かれており、ヨーク公が殺される時にリチャードは呼吸困難で倒れています。そのリチャードを塔に進攻してきたランカスターの王子エドワードが連れて行きます。

 

リチャードが一人残されランカスターのエドワードの元にいる形になったのは、1巻と同様、クリフォードに捕まったラトランドを思わせます。但し、ランカスター側のクリフォードに命を狙われたラトランドとは逆に、リチャードは母セシリーに塔に閉じ込められ、ランカスターの進攻に際して母と兄に「捨てられ」、その事実をエドワードから告げられます。また、クリフォードとは異なりエドワードの方はリチャードに心惹かれ始めていますが、リチャードはそこから逃げ、ヨーク公の死を知らないまま一人でヨークの町に向かいました。

 

グレイ卿の殺害について

逃げる途中で、不審に思って尋問してきたランカスターの将をリチャードは殺害し、鎧を奪って身につけます。リチャードが殺した将(グレイ卿)の妻が、実は2巻最後の方に出てくるエリザベスだったというのは、ヘンリーとの出会いと共に今後の軸になるオリジナル設定で、これも後から凄い展開になっていきます。

 

そして、自分の殺人に怯えて精神的に追い詰められたリチャードの前に、戦闘で隠れていたところだったとヘンリーが再び現れました。この再会はキツいですよね。〈こんな時に、どうして〉とリチャードが思ったように、こういう状況でおそらく一番会いたくない相手。しかもヘンリーは純粋に再会を喜んでしまっている……。リチャードの気持ちを更に抉るような展開です。

 

とはいえ、1巻2話の記事で書いたように、リチャードの不安や傷心をいち早く察知するのがヘンリー。手負いの獣のように「来るな!」と言うリチャードに、「じゃあ、君がおいで」と手を差し出し、一緒に「連れていってくれないか」「2人でまたあの森に行きたい」「誰も傷つかない世界に行きたい」と言います。

 

この箇所は、HⅥ(3)2-5でヘンリーが羊飼いになりたいと言った独白の直後の挿話を使っているのかなとも思います。3度目の邂逅もHⅥ(3)2-5からということになりますね。グレイ卿の持っていた妻と子の肖像画からリチャードは〈この子供の父親ー〉〈俺が殺した〉と恐ろしさや罪責感を覚え、死体がヨーク公に見えたりしています。HⅥ(3)2-5では、戦場で、それぞれ、父とわからず父を殺してしまった息子、逆に息子とわからず息子を殺してしまった父とが嘆く状況にヘンリーは遭遇します。ヘンリーは彼らを見て嘆き、「つねの悲しみにまさる悲しみだ!私が死ねばこのような悲惨事も起こらぬのであればいいが!」と、確かに優しいのです。ですが、「ここにいるのはおまえたち以上に悲しみ嘆く王なのだ」とも言い、この光景を目撃しながらどこまで本当に当事者/責任者の意識があるか微妙です。ヘンリーのその微妙な感じも、リチャードとのやりとりに反映されているような気がします。

 

HⅥでは、ヘンリーが息子と父を見送ったところに、マーガレットや王子エドワードが退却の必要を告げにやって来ます(HⅥ(3)2-5は、状況が逆転してランカスターが撤退を迫られている箇所になっています)。HⅥでは「一緒に連れて行ってくれ」は「妃の行くところへ私も行きたい」と、マーガレット達に言う台詞になっています。

 

4話では「俺はお前なんかいらない」と、自分でも気づかないまま泣いているリチャードとヘンリーが話しているところで、「おい、あそこだ」と言う人影が見え、リチャードは逃げました。直後にマーガレットが(『薔薇』4話はランカスターが勝利している箇所なので)、ロンドンに帰りましょうとヘンリーに声をかけます。HⅥに近い形でヘンリーの家臣がヘンリーを探していた訳でしたが、グレイ卿を殺害したリチャードは追っ手と思って逃げ、お互いに誰かわからないまま別れます。

 

リチャードの年齢設定をHⅥとかなり変えているのに戦闘に絡ませるやり方も、すれ違いの構成も見事ですし、(ここは推測なんですが)親子が戦闘に巻き込まれる悲惨さを描いた箇所を、リチャードの物語にしていることは本当にいいなあと思うんです。10巻の『ヘンリー5世』の参照のような、作品の主題と絡ませる使い方に近いような感じがします。

 

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