『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

2巻6話ヨークへ向かう道について

菅野先生のインタビュー等でも取り上げられた名シーンが入っている回なのに(だからこそ、でしょうか)、いつになく本編が短い記事になりました。

死んだ兵達とヘンリーについて

ヨーク公を殺害し、ランカスターが勝利した後のマーガレットとヘンリーの会話はほぼHⅥ(3)通りです。1幕1場と2幕2場が巧みにミックスされていたり、他人物の台詞がマーガレットの台詞に加わっていたりはしますが、上手い台詞のカットや省略ってこういうことなんだろうと思います。

 

※『ヘンリー6世』(第三部)はHⅥ(3)、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。2幕3場など細かいところまで書く場合は2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。翻訳は、松岡和子訳・ちくま文庫版から引用します。

 

HⅥと異なっているのは、マーガレットが「貴方が ●●●殺した兵達」とヘンリーに死んだ兵を見せつけ、ヘンリーがそれに対しても「私のせいじゃない!」と、兵の死について2人の会話で語っていることです。HⅥ(3)1-1ではヘンリーは、王位継承権を譲ってしまったことについてマーガレットと王子エドワードに「許してくれ」と詫びています。また、2-2では「これは私の落ち度ではない」「ああ、ヨーク、(中略)さらされたおまえの首が私をどれほど悲しませるか」とヨーク公殺害が自分の意志ではなかったと言いますが、これらの場面では兵のことは触れられていません。6話のこの場面ではヘンリーが「許してくれ」と何度も言いますが、それはマーガレットやヨーク公に対してだけでなく、死んだ兵達にも向けた台詞にされているように思います。

 

ヘンリーが兵達のことを嘆くのは、5話の記事でも引いたようにHⅥ(3)2-5で、兵に召集された親子が知らずに自分の親や子を殺してしまい、それをヘンリーが見た場面です。この挿話の代わりに工夫された台詞かなとやや強引に考えたりします。6巻でのヘンリーと兵士のやりとりもHⅥ(3)2-5を彷彿とさせるものがありますし。

 

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写真AC acworks

 

ヨークへ向かう道について

6話冒頭でヨークへ向かう道を聞いたリチャードに、ランカスターの兵士が心配してくれ「無事に家族に会えるといいな」と言ったシーンも、やはりこの挿話を想起するものがありました。その兵は「略奪しなきゃ金も払えない軍なんて」とも言いましたが、HⅥ(3)2-5では、親や息子を殺した兵は、相手が誰か気づく前に死体から金を奪おうとしているのです。また、リチャードの父は既に亡くなっており、こんな風に気遣ってくれたこの兵士にも7話で悲惨な運命が待っています。

 

リチャードは〈ご無事でいらっしゃるだろうか〉〈あの気高い父上が薄汚い牢なんかに入れられていたら……〉と心配しつつ、独りでヨークの町に向かいました。HⅥでは、兄エドワードとリチャードが「父上はどうやってお逃げになったのだろう」「とても明るい気分にはなれない、勇敢な父上がどうしておいでかわかるまでは」と2人で安否を気遣います。HⅥでは大人2人が語り合える状況なのに、それに比べ、こちらはまだ幼気なリチャードが独りで過酷な目に遭いながら旅をするのか、と、健気さが倍増する感じです。おかしい方向での比較なのですが。

 

夜になるから迂回した方がいいと言われながら、リチャードは急いで森を突っ切ろうとしましたが馬が疲れて進めなくなります。途中で見つけた家に入っていくと、ランカスターの略奪後らしく、そこでリチャードは盗賊に襲われ、女性だと思われて強姦されそうになります。リチャードの身体に触れた男が「こいつ…、何だ…?」と戸惑った隙をついて反撃し何とか逃げたものの、その衝撃と夜の森の恐ろしさと寒さとが重なって、森で倒れたまま眠りについてしまいます。

 

雪も降ってきましたが、白猪とジャンヌのおかげで(?)朝になって無事に目覚めたリチャードは〈おれを救ってくれたのは…〉〈あれはきっと父上だ〉と思うのです。(ジャンヌの意味するところは何でしょうね。ここは想像が及びませんでした。)ここだけでなく、5話と6話では、リチャードは、その安否を気遣い、また衝撃的な出来事が起こるたびに、ずっと「父上」と言っています。

 

そんな精神的な拠り所のヨーク公だったのに、ヨークの町にたどり着いたリチャードを待っていたのはその戦死の報でした。

 

光の奪還について

立ち寄った教会に、ランカスター側の兵に雇われたヨークの市民がおり、リチャードは彼からその報を聞くことになりました。この市民もまた、「実入りの良い方に加勢」したと言っており、HⅥ(3)2-5のように偶々敵味方になることがある事実も語っています。HⅥでは、兄エドワードとリチャードに使者が戦死を知らせに来た形でした。エドワードが「もう何も言うな、それだけ聞けば十分すぎる」と言うのに対し、リチャードは「ご最後の様子を言え、おれは細大漏らさず聞く」と言います。『薔薇』では「 あれ ●● はあんまりひどすぎた」と言う市民に「言え…、……何もかも…」「俺に聞かせてくれ」とリチャードが言います。

 

市民/使者が語る内容はほぼHⅥ通りなのですが、6話を読むと、6話の形の方が自然でHⅥが不自然だということに気づくんです。ランカスター側の兵士としてその様子を目撃するのはおかしくありませんが、ヨーク側の使者が見ているとなると一寸詳しすぎるんですよね、本当は。『薔薇』を読むまで気づきませんでした。

 

ここから6話最後まではオリジナルの展開ですね。怒りに駆られたリチャードは、城門に単身で攻め入ってランカスターの兵達を殲滅します。ヨーク公の首級が据えられた城門の頂きまで駆け上がったリチャードに一瞬見えたのは、凛々しい生前のヨーク公の姿。この後の画面の展開は『薔薇』の屈指の場面の1つだと思います。

 

リチャードはヨーク公の首級を取り戻し、〈俺の光——〉と口づけします。

 

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