『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

2巻7話血と薔薇について

ヨーク公を失ったリチャードは、我を失った状態でランカスターの兵を次々と殺しながら主戦場にまで赴き、戦場でも殺戮を繰り広げます。リチャードが凄惨な戦いに自分の居場所を見出す端緒が描かれているように思います。 6話のヨークの城門でリチャードは既に多くの兵を殺しており、5話と6話の間で、戦場での殺人という行為がリチャードの中で大きく変わった感があります。

 

※『ヘンリー6世』(第3部)はHⅥ(3)、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。2幕3場など細かいところまで書く場合は2-3のように表記しますが、書いたり書かなかったりです。翻訳は、松岡和子訳・ちくま文庫版から引用します。注記したもののみ、小田島雄志訳・白水社版からです。

 

リチャードの涙について

7話ではHⅥ(3)2-1,2-2の台詞がかなり使われていますが、元の場面は、リチャード、兄エドワード、ウォリック伯の3人が(後からジョージも加わって)弔い合戦をする形です。他方、『薔薇』では、エドワードとウォリックの表の戦争と、その指揮下にはないリチャードによる戦場での殺戮が同時進行で進みます。

 

HⅥとはリチャードの年齢設定を変え、また史料では、ケイツビーが7話後半の場面で語るように「お母上やジョージ様と避難されていることになって」いるところを、HⅥ通り戦闘に絡ませ、裏で貢献した形にしている訳ですね。HⅥと史実の間で話を展開しただけではなく、5話からリチャードはずっと独りでヨーク公の死や敵の殺害に向き合っており、その喪失感と絶望も一層強調される形になっているように思います。

 

リチャード 俺は泣けない。体じゅうの水分をすべて集めても、心はすでに溶解炉と化し、そこに燃える怒りの火を消すには足りないのだから……何かを語ろうと息を吐けば、その息がふいごとなり、石炭を燃え上がらせ……涙で消そうとしても炎が俺を焼き尽くす。……だから、涙は赤ん坊にくれてやる、俺がつかむのは剣と復讐だ。(HⅥ(3))

 

この台詞が7話ではリチャードの独白として使われていますが、HⅥではエドワードとの会話の中で語られ、2人が仇を討つと宣言するように言っています。もちろん強い怒りと復讐を語る台詞ということに変わりはありませんが、絶望したリチャードが独白するのと、エドワードとともに復讐を誓う形で語るのとではかなり印象が違ってきます。「涙は赤ん坊にくれてやる」は使われていないものの、『薔薇』では5話で泣いていたリチャードと断絶する形にされている気がします。

 

この台詞の後、1巻4話の記事で引用した台詞(「父上と同じ名を持つこのリチャードが、父上の仇を討ちます」)が出てきて、HⅥではリチャードが「公爵の位……でなく、王位と王国をねらうのです、それを我が物としないなら、父上の子ではない」と言いますが、7話ではこれはウォリックの台詞になっています。HⅥのウォリックの台詞と混ぜて使われ、エドワードを大将にヨーク軍として戦うパートをウォリック一人が担う形になっています。

 

エドワードの方は『薔薇』でもウォリックに王として鼓舞され、共に戦える立場にいます。また、HⅥではリチャードもエドワードを兄や王として盛り立て、戦のことを考えています。それに対して7話のリチャードは、最後の最後で「兄上は勝ったのか?」とケイツビーに聞いており、父の死の代償にひたすら敵兵を殺すだけで、戦の勝敗は眼中にないかのようです。リチャードの自暴自棄のような状態と、5話の時点とは違っているもののリチャードがまだ幼いことを感じさせる展開です。

 

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ヘンリーの“戦線離脱”について

ヨーク公を討ち取り、勝利したようにみえたランカスター軍ですが、首都ロンドンへの入場を拒否され、再度形勢が逆転します。この入場拒否については史実準拠で、HⅥには出てこなかったと思います。言及されてはいませんが、ランカスター軍の略奪が入場拒否の一因だったらしいですね……。

 

王子エドワードが「王世子として剣を抜きます」(『薔薇』)と言うのはHⅥ通り。ただ、HⅥでは(マーガレットに強く言われてではありますが)ヘンリーが父としてナイトの称号を与える儀式を行い、それに王子エドワードが答えて言う形です。7話では、ヨーク派の娘でも和平工作のためにエドワードの妻にもできるというマーガレットの発言に、エドワードが大変に張り切って宣言をします。こちらのヘンリーは普通の精神状態ではなくなっており、マーガレットに「貴方のお父様もこの凛々しい姿を見てそのなよなよしたお心を鋼に変えて下されば良いのだけれど」(『薔薇』)と言われています。これはクリフォードとマーガレットの台詞を合わせたものでしょう。

 

HⅥ(3)では、ヘンリーもそれなりに、というか、和平や神の教えの観点から、戦のやり方や戦況に介入しようとするのですが、その度にマーガレットやクリフォードに“黙っていろ”とばかりに遇らわれたり、“戦場にいない方が兵の士気が上がる”と離脱を勧められたりしています。7話の方ではヘンリーは精神的に戦線離脱している状態で、夢想の中でリチャードに〈また一緒に遊ぼう〉と語りかけたりしています。リチャードの現実との対比が残酷です。

 

ケイツビーは見た、だった件

12巻の内容に触れますので、そこを飛ばしたい方はこの下の薔薇画像をクリックして下さい。

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ヨーク軍とランカスター軍の対戦の前に、12巻の伏線になった兄エドワードと恋人とのエピソードが出てきました。55話の記事に書いたように、RⅢ既読なのに伏線だと気づかなかった迂闊な読者なんですが、あの……皆さんは、エドワードたちを目撃するケイツビーが描かれていたことに気づいておられましたか……?私は気づいていませんでした orz 。

 

確かに12巻でも「かつて戦場で耳にした」と言われていましたけれど、その場にいた訳ですね。この話の出処自体がケイツビーという設定かも、と想像が掻き立てられます。いや、多くの方は “ケイツビーがバッキンガムに言ったのか?” とかとっくに色々考えていたのかもしれません。重婚については公式文書にもあるとされるものの相当政治的な感じもしますよね。ケイツビーは証言を集めただけでなく、掘り起こしや画策をしたのではないかとも思えてしまいます。

 

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恋人と別れを惜しむエドワードのエピソードの直後に、3つの太陽が絵だけで描かれます。HⅥでは3つの太陽の場面で、sun=sonのジョークを使って(「兄上の好みはお日様よりもおひい様だからな」)エドワードの女性遍歴が仄めかされています。それも踏まえての恋人エピソードなのでしょう。本当に色々掛けられていますね。

 

3つの太陽の描写について

その3つの太陽の描写についてですが、HⅥでは、やはり兄エドワードとリチャードが3つの太陽を見て、自分たち兄弟が一体となって戦い、統治をする啓示だと受け取ります。少し前まで、7話では正式に戦場にいるのがエドワード1人だからここはHⅥに比べて印象が薄いかも、一寸不吉な感じの描写だし……、などと実は思っていました。

 

読み、浅すぎ。7話ではこの後リチャードが血の雨を降らせるようにランカスター軍を殲滅していく描写に繋がっているので、ここは不吉だったり禍々しかったりする感じで妥当なんですよね。力を合わせて統治する話は、8話の方に分けて描かれています。戦場で “力を合わせよう” と熱く語る形にしないことで、3つの太陽を言いながら、すぐに離反が起きる皮肉の方が浮かび上がる効果も生んでいる気がします。

 

5話の記事で引いた「おれの魂は天に昇り、血はおまえらの頭上に降り注ぐぞ!」(小田島訳:白水社版)というヨーク公の台詞は出てきませんが、太陽の描写に次いでの血の場面は、この台詞とも掛けられているような気もします。光であるヨーク公と太陽が重なり、ヨーク公とシンクロしていたリチャードが血の雨を降らせる、という感じです。

 

そして、実は兄弟が一緒に戦っていた=太陽が重なる  ことになります。同時に、2人とも父の仇を討っているのにリチャードとエドワードは対照的です。リチャードの方は〈俺の光は奪われた、永遠に、闇の中で、血の色しか見えない〉と殺戮を続け、長男のエドワードは「天は我らの味方」「あの太陽は吉兆だぞ!」と表舞台で軍を勝利に導いているのです。

 

血と薔薇について

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フリー写真素材ぱくたそ

 

そんな殺人鬼のようなリチャードを見たマーガレットは、恐怖を感じて「化け物」と呟きました。HⅥ(3)では、ヨーク公に向けた台詞の中で息子たち全員を揶揄し、リチャードについて「あの背中の盛り上がった化け物、リチャード坊やは?叛乱軍のただなかでうなるような声をあげ、しきりにお父ちゃまを元気づけていたけれど」と、その身体を化け物呼ばわりしているのですが、ドラマティックな転用になっています。

 

そして、再度、HⅥ(3)2-5の親を殺す息子の変奏かと思うのが、6話でリチャードを慮ってくれたランカスターの兵士との話です。怪我をして動けなくなった兵士は「家族が待っている」とリチャードに助けを求めますが、リチャードは「見えない……、あんたの顔が」と、誰かわからない状態で彼を殺します

 

HⅥ(3)2-5では、親子の嘆きを聞いた後、ヘンリーがこう言っています。

 

あの男の顔に浮かぶのは、しのぎを削る両家の宿命の色だ、あの真紅の血はランカスターの紅バラそのものだし、あの蒼ざめた頬はヨークの白バラを表している。どちらでもいい、一方のバラはしおれ、他方を満開にさせろ

 

7話では、兵を殺した後に〈この眼に見える、すべてがー、世界が染まる……、薔薇色にー〉と、リチャードには降ってくる雪血=薔薇に見えています。血の海に倒れた兵士達と、薔薇が降る凄まじくも美しい画になっています。

 

リチャードはそのまま倒れ、外套の「薔薇の色が血に染まりすぎてて」ヨークかランカスターかわからないと言われているところを、探しにやってきたケイツビーが見つけます。ケイツビーに背負われているリチャードにはやはり幼さが見え、直前までの壮絶さが一層印象づけられます。

 

「ただリチャード様のお側にいること……、それが私に与えられた人生の役割です。」ケイツビー、2巻の頃から既にこんな風に言っていたことに改めて気づきました。ケイツビーがそう言っていても、リチャードは〈闇の中でも…ひとりで歩いていく、その方法(すべ)を見つけた〉と思っていて、ケイツビーの思いが届かないのがもどかしい……。