『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

2巻8話踊りの宴とエリザベスの登場について

ヨーク軍の勝利によって兄エドワードが王になり、新展開のための転換回といった感じです。少し大人っぽくなったリチャードとジョージや台詞の端々から、ヨーク公の死からの時間の経過を感じさせます。史実準拠とすれば、7話から2,3年ぐらいでしょうか。ヨーク公の死で自分を失ったかのように敵兵を殺戮したリチャードでしたが、片手にガントレット(って言うんですか、2巻の表紙にもある手甲のようなもの)を着けてはいるものの、エドワードを王とする新しい局面に感情を見せず淡々と対応する様子が宴のシーンを通じて描かれます。

 

もう1つの注目点はエリザベスの登場でしょう。『ヘンリー6世(第3部)』(以下HⅥ(3))ではエリザベスが正式に請願に来るのに対し、8話では、宴の最中に割り込んで衆目を集めます。『薔薇』のエリザベスが、楚々とした美人ながら、強気に撃って出る戦略家であることを早くも示す描き方ですね。

 

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冬の終わりと宴について

宴のシーンでは、早くも『リチャード3世』(以下RⅢ)冒頭の独白が出てきます。〈勝利の冠を戴いた今—進軍楽(マーチ)は浮かれたダンスに変わり、傷ついた甲冑はただの記念の飾り物だー〉。マーチは、エドワードがマーチ伯だったことと掛けられているのでしょう。

 

RⅢのリチャードの独白は、8巻32話の祝宴の描写にも使われていますが、この2巻8話と配分というか書き分けなされていたり、同じ箇所が違う含意として使われていたりすることに気づきます。RⅢの元の台詞を、今話分をこの色、8巻分を下線(双方で使われた箇所がこの色と下線)で表記してみます。こんなに後から2巻の感想を書く利点ってそれぐらいな気がするので。(※以下、8巻の話が入りますが、重要なネタバレ箇所については画像を挟みます。)

 

リチャード 今や、我らが不満の冬も、このヨークの太陽輝く栄光の夏となった。今や、我らが額には勝利の花輪が飾られ傷だらけの鎧兜は記念に吊るされ、いかめしい鬨の声 はさんざめく宴の声に、猛々しい進軍は賑々しい踊りに変わった。(中略)武装した軍馬に うちまたがることもなく、今や、淫らなリュートの音に合わせ、ご婦人がたの部屋で器用 に軽く飛び跳ねる。(中略)噓つきの自然に体つきをだまし取られたこの俺は──。寸足らず の歪んだできそこないのまま、月足らずの未熟児としてこの世に放り出され、あまりにぶざまでみっともない……。軟弱に浮かれ騒ぐこの平和な時代に、何の楽しみがあるものか。日向で己の影でも眺めて、その醜さを鼻歌で歌うのが関の山。となれば、美男美女と口上手だけがもてはやされるこの時代に、恋の花咲くはずもないこの俺は、もはや、悪党になるしかない。世の中のくだらぬ喜び一切を憎悪してやる。(RⅢ:1-1)

 

夏の明るさを感じさせる8巻32話の屋外の祝宴に対し、今話は7話との対比で冬が終わったことの方が印象づけられます。また、8巻32話とそれ以降では「リュート」の箇所を中心に、「淫らな」展開になっていきますが、同じ宴でも今話の方はダンスを中心にする健全な宴です。ウォリック伯の監視の目が行き届いているせいかもしれません(苦笑)。

 

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アンとのダンスについて

今話ではリチャードが「鍛えた腕を披露する場所がない」「とは言え…平和が続くことを祈っている」と言うなど、32話に比べて台詞の用い方がわかりやすい感じもありますよね。リチャードの身体については、従者に身体を見せず自分で支度をする描写があったり、それを「貧弱な体を見られるのが恥ずかしい」と言い訳したりしています。それに対して、エドワード王が、リチャードの細い身体を「恥じることはない」「男の価値は女性で決まる!」と言い、「気になる女性はいないのか?」と弟達にダンスのパートナーを選ぶように命じます。(もっとも、「男の価値は女性で決まる」と言うエドワードに、ジョージは白目であきれています。RⅢの「美女」や「恋」の台詞と掛けながら、エリザベスを選んだために戦に発展するエドワードにこう語らせるのも本当にうまいですよね。)

 

ダンスの相手として偶然リチャードが手を取ったのが、誤解を招く発言でリチャードを傷つけた(4話)と気後れしているアンでした。RⅢでは、上記独白の1幕1場の次の2場が、アンに求婚する場面になっているのも面白いと言えば面白いです。そこでアンの心を捉えたRⅢのリチャードは「どうしてだかわからんが、あの女の目には、俺がすばらしく立派な男に映ったに違いない」と言っています。『薔薇』のリチャードは、アンにはまさに眩しく映っていて、「本当は私…貴方と、お友だちに……」と言って過去に傷つけたかもしれないことを謝るアンに、リチャードも頬を染めたりしていい雰囲気になります。ですが、その場のダンスのみで「これで終わりです、この場限りの、遊戯ですから」と、こちらのリチャードは自分から恋に繋がりそうな関係を切ってしまいます。

 

「己の影」としてのジャンヌについて

「日向で己の影でも眺めて、その醜さを鼻歌で歌うのが関の山。となれば、美男美女と口上手だけがもてはやされるこの時代に、恋の花咲くはずもないこの俺」の箇所は、ジャンヌとの対話の形で再度展開されています。宴の後、ジャンヌが現れて「美しいエリザベス」「可愛いアン」「リチャードが恋をした」と揶揄います。「俺は恋などしない」と否定するリチャードに、ジャンヌは「どうせ愛してもらえないからね?この身体じゃあ……」と返します。

 

その上で「恋しい人は他にいる」とリチャードの気持ちを言い当てるのです。しかし、それに対してもリチャードは〈…俺は誰も愛したりしない…〉と自分に言い聞かせるかのように独白します。8巻までのネタバレを避ける方は下の画像をクリックして下さい。

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https://www.pakutaso.com/20130539150post-1.html  フリー写真素材ぱくたそ

 

8巻32話では、この「己の影……」の箇所は、HⅥ(3)の最終場面を使った道化芝居に転換されている気がします。そこでは、その身体ゆえにヘンリーに愛されず(とリチャードは思っています)、ヘンリーを殺したリチャードを、道化芝居としてジャンヌらしき人物が演じており、恋の否定と喜びへの憎悪として間接的に描かれる形になっているように思います。

 

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「日向で己の影でも眺めて」については、これに加えて、訳者の河合祥一郎先生が、注で「兄(太陽)と自分(影)を比べるという意味もある」と書いています。こちらの含意の方は、7話で〈俺は影、光の裏の闇〉という形で出てきていました。

 

エリザベスの登場について

亡夫の所領の返還を請願に来たエリザベスをエドワードが見初めるのはHⅥ通りですが、『薔薇』のエリザベスは、従者たちの制止をふりきって宴の最中に闖入します。ここまで、専らリチャードとの関連で宴のことを書きましたが、この宴は、「なんて美しい王様かしら」とエドワードにときめき、王妃になろうとする女性達で溢れる場としても描かれています。その中に突如現れる美女というわけで、シンデレラ感すら漂う登場です。衣装は普通か粗末なぐらいですが、美人さんなら素晴らしいドレスでなくても大丈夫。その美しさに人々が見入り、エドワードも瞬時に心を惹かれます。ですが、シンデレラのハッピーエンドとは異なり、2人の結婚は外交・内政問題に発展します。

 

そして、エリザベスが初めから王妃の座を狙っていることや、しかも亡夫グレイ卿の復讐のためにそうしようと考えていることは、HⅥとも異なっています。この辺はオリジナル設定でもあり、『タイタス・アンドロニカス』のタモーラを重ねているだろうと思いますが、この時点では『タイタス』を感じさせる印象はほとんどなく、この後から徐々に示されていく形になっています。リチャードもエリザベスのことを〈どこかで見たような〉と思いながら、その因縁に長く気づかないまま、物語的にはここでも爆弾を抱えたような形で話が進みます。

 

3兄弟の恋について:『恋の骨折り損』?

RⅢ冒頭の独白との関連ではかなり苦い展開のはずなのに、恋はしないはずのヨーク家3人兄弟がそれぞれ惹かれる相手に出会う(再会する)ところは、『恋の骨折り損』的な気もします。恋をしない誓いを立てたナヴァール国の王と家臣が、その舌の根も乾かぬうちに、領地返還の請願に来たフランスの王女一行にそれぞれ恋をする喜劇です。

 

恋に落ちるつもりはなかったエドワード王は、所領返還の請願に来たエリザベスに惹かれ、「まるで……恋文」のような手紙を送っています。HⅥでは彼はエリザベスと王宮で会いますが、HⅥの狩りの台詞とも掛けられてこの後野外で会うことになります。『恋の骨折り損』では、恋文がうっかり別人に渡り、謀反の計画をしたためたものと間違われますが、『薔薇』ではエリザベスがエドワードを籠絡して結婚での復讐を狙い、その結婚がウォリックの謀反に繋がります。また、フランス王女達は野外で迎えられ、その後舞踏会になる展開です。

 

ジョージは、「女よりも」「葡萄酒に溺れたい」(!)と言い、「男の価値は女性で決まる」というエドワードにあきれ、ダンスの相手への声がけを「お前も苦手だろ」とリチャードに聞いていましたが、イザベルと楽しげに踊りました。

 

俺は恋などしない」と言うリチャードは、偶然、リチャードに惹かれているアンの手を取り、己の影のようなジャンヌに「恋をした」と言われます。別の「恋しい人」である(元?)国王も、リチャードに会うために、スコットランドからはるばるやって来ようとしていました。

 

(※翻訳については河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しました。)
 
ディズニー『シンデレラ』は、もうすぐ続編もできますね……。


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『シンデレラ』の監督ケネス・ブラナーは、『恋の骨折り損』も監督・主演していました。ミュージカル仕立てで、ブラナー版の仮面舞踏会シーンは『薔薇』第2部的なエロティックな感じでした。Trailerが以下のリンクから見られます。