『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

17巻77話 ケイツビーの願いについて

(薔薇王の葬列アニメ24話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)

 

前の76話がメインの主題に焦点化し、物語を円環的に閉じることに絞り込まれている点で濃い内容だったとすれば、この77話はいつものように盛り沢山で『リチャード3世』(以下、RⅢ)と歴史の組み合わせや変換の面白さの点で濃い内容でした。

 

リチャード軍とリッチモンド軍の戦況とその裏での画策がRⅢと史料を組み合わせて示され、その戦略・政治的画策に重要になるベスの結婚も劇的に描かれます。そしてやはりRⅢの夢の話の変換の面白さ。に、加えて。各人の思いがリチャードに届き、リチャードが応答しようとする形になっている16巻17巻、最後の今回はケイツビーのターンです。

 

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リチャード軍・リッチモンド軍の状況について

ボズワースに到着し、リチャードはRⅢの台詞とほぼ同様に布陣や戦術を指示します。すごく細かいところで、またもしかしたら訳し方のためもしれませんが、この箇所がRⅢでは「弓隊」だけなのに、『薔薇』では「射手と大砲」と「大砲」が入っています。2005年の発掘調査で、かなりの火砲が使われたことがわかったとのことで(陶山昇平『薔薇戦争』)、ここは布陣や武器については史実を踏まえて描かれているんじゃないかと思います。史実やRⅢの自由自在な変換の一方で、こういう丁寧な史料の扱いやRⅢの細かい捻りがこれまでもいっぱいありましたね。展開自体がものすごかったりすると、感想記事で細かい部分が書きにくくて省いたこともあるくらいでした。今話ぐらい様々な話が入っていたり、歴史背景的な話が多めの回は却ってこの辺も書きやすいです。

 

スタンリー卿が旗色を鮮明にしないままだったのも、スタンリー軍がどちらにつくかで兵力が違ってくるというのも史料通りです。RⅢでは、スタンリー卿がリッチモンドを裏で支援しつつ実子をリチャードに人質に取られ思うに任せない描き方、史料では、リッチモンドに加勢する約束をしたというRⅢに近いものも、リッチモンドが使者を送っても、リッチモンドが戦場に現れたら加勢するとあまり期待できない返答をしたというものもあるようです(『薔薇戦争』『悪王リチャード3世の素顔』)。この77話では一番最後の説に近い形にされています。

 

リッチモンドの計略について

スタンリーの寝返りとリチャード軍の切り崩しのために、今話でリッチモンドが採った手段がベスとの結婚でした。リチャードによって斥けられたエドワード4世王の血筋がリッチモンド側に行き、またヨークとランカスターの統合ともなり「単なるランカスターの“簒奪者”」でなく「過去の王達の無念を背負った正義の勇者となる」と、リチャード軍の将達に迷いが生じてきます。史実ではベスとリッチモンドが実際に結婚したのはボズワースの戦いの後ですが、戦いの前に、ウッドヴィルの親族にベスを妻に迎える誓いを立てていたそうです。また、エリザベスが正式の結婚ではなかったという理由でエドワード5世達が廃位されたので、それを覆すための手続きも必要だったそうで、その点で時期の前後はあれ、いずれにしてもリッチモンド=ヘンリー7世の正統性演出なのでここまでやり手のリッチモンドを描いてくればこれで十分だろうと思います。貴族達がリッチモンドに靡いた理由も“王位の正統性”というよりはリチャードの北方重視への不満だったようですが、貴族達が様子見をして参戦を渋ったことはリチャードの台詞でも語られています。

 

リッチモンドが裏切りを促す文書を送った話はRⅢ準拠で、RⅢではやはりハワード卿(=ノーフォーク公)が“こんなものが入っていた”とリチャードに伝えています。私が見た歴史関係本にはこの話はなかった気がしますが、RⅢのエピソードで出てくるからには何か史料があるのかも。尤も、RⅢでは“リチャード自身が既に買収されて手を打った”という内容の文書になっています。

 

ベスの愛について

遠い聖院に避難するとされ、母エリザベスに連れられベスは王宮を離れました。77話ではこのシーンが冒頭に来て、先が読めない形になっているのも、毎回うまい!と思います。王妃になるかもしれない大切な存在だというエリザベスの言葉も、ベスには、噂されているリチャードとの結婚のことと聞こえ、そこには葛藤もありそうです。エリザベスが「大丈夫、神は必ず正しき者を守ってくださるわ」と見守るように言っても、もう読者には何か企んでいるとしか思えませんが、ここまでだと、リチャードとリッチモンドの二股の様子見で避難するようにも見えます。

 

が、その先に待っていたのは、リッチモンドとの結婚式。ベスはいきなり強姦される形で無理矢理リッチモンドと結婚させられます。

 

リッチモンドと同衾せずベッドの側に蹲りながらも、「王冠を被って戻れば、少しは愛情がわくのかな」と問われて、ベスは答えます。「私が貴方を愛さないと思っているんでしょう」「私は、私の母のようにならない!」

 

ごめん、ベス! 私、実は第2部開始の8巻の頃からそう思っていた、というより、エリザベスと同じことになっちゃうんじゃないかと心配していました。またもや菅野先生の掌で転がされた感じです(この後の外伝でも転がされたい)。ベスの境遇には他のキャラクターのマイナスの境遇が重ねられていますよね。母親からの愛情は得られず(=リチャード)、意に染まぬ政略結婚で(=アン)、いきなり襲われて(=セシリー)、自分の愛する人を殺した/殺す敵方の妻になっています(=エリザベス)。それにもかかわらず、それを反転するかのように「あなたも、子どもも、死ぬほど愛してみせる」とベスは宣言し、自分の血統が利用されることを「私に縋って生きる」ことだと言う……。リッチモンドもベスに対しては毒を抜かれてしまった印象で、ベスは自分で自分の呪いを解いてしまっている感じです。表紙からしてケイツビー回ではあると思うんですが、個人的にはかなりベスに持っていかれました。

 

エリザベスと呪いについて

「あなたは生涯私に縋って生きるの」〈この“血”と、“愛”に〉というベスの台詞は、虚ろな表情の母エリザベスのコマに渡って書かれていて、これは母親に向けられた台詞にもなっているかもしれません。

 

再び王族の地位を取り戻し、リチャードが討たれることを予想しながら空虚に見えるエリザベスは、RⅢ4幕4場で退場する王妃マーガレットとも重なって見えます。(歴史的にはエリザベスも更に色々あるようですが。)RⅢ4幕4場では、エリザベスは退場するマーガレットから人を呪う仕方を教わって呪いを受け継ぐかのようになっています。『薔薇』エリザベスは、『ヘンリー6世』やRⅢのエリザベスと(台詞自体は同じ時でも)キャラクターが違うような印象がありましたが、最初からこの完成形で登場していたのかもしれない、と、本当に今更ながら思いました。

 

マーガレット もはや返らぬ幸せを、今の不幸とひき比べ、死んだ子供が実際よりかわいかったと思い、それを殺した者は実際より忌まわしいと思え。失ったものをよりよく思えば、奪ったやつがより憎い。以上を肝に銘じれば、呪い方が覚えられよう。(RⅢ)

 

写真AC

 

ケイツビーの願いについて

ケイツビー おひきください、陛下。馬は私が用意します。(RⅢ)

 

「ご撤退ください」「今ここで王座を奪われても、ご療養の後万全の大勢で戦えば必ず奪い返せます」「今まで一度たりとも……貴方の行く道を己の願いで塞ごうとしたことはない…、ですが最後に我が儘を聞いてくださるなら」「生きてください、私の為に……」(77話)

 

前回76話では「陛下のご壮健と御心の安寧」という言い方だったこともあり、リチャードにはケイツビーの言いたいことが伝わりませんでしたが、その本心をケイツビーが熱く語って彼の思いがリチャードに届くこの77話はRⅢと独立に見ても感動的です。RⅢでは上の1行のみの台詞なのにここまでの場面になっていることが(『薔薇王』はずっとそうだったとも言えるものの)改めてすごいですし、それだけでなく、『薔薇王』フィルターを通すと、RⅢのケイツビーにもその軸が書かれているように思えるところにも感嘆します。11巻の感想記事で書いたようにRⅢでもケイツビーは何も求めてもいなければ、「おひきください」の台詞までリチャードに意見することもありません(加えて台詞は少なめ→寡黙です)。そのケイツビーが、RⅢでリチャード登場の最後の場面、次の78話で描かれる過酷な戦闘の只中で、自分が馬を用意するからひいてくれと言うんです。こういう原案の解釈が見えるところに、私は痺れる場合が多いんだなと思いました。

 

11巻47話ケイツビーの忠誠について

 

ケイツビーの願いに対し、RⅢでもリチャードは後には引かないと言い、77話でも「戦場(ここ)が王のいる場所」「俺の望んだ場所」という決意を覆しませんでした。76話の流れからすれば当然そうだろうと思います。とはいえ、思いは届いており、その願い自体にでなくてもリチャードがそれを受け止め応えようとしたのは今話でも同様です。その最後回がケイツビーなのもある意味RⅢ踏襲かもしれません。

 

子供の頃のケイツビーが幼子のリチャードの笑顔を守りたいと願っただろう回想シーンには台詞がなく、戯曲はそのままに映像で効果を狙う演出手法に近い印象を受けます。(怖い夢を見たと泣いている子供の頃のリチャードには台詞がありますけれども。)

 

RⅢでは、有名な夢のシーンの後、悪夢を見たリチャードがラトクリフに恐ろしい夢を見た」「俺は怖い」と言い、それにラトクリフが「どうか、陛下、影におびえなさいますな」と答えています。画集『荊棘の棺』のキャラクター表には、ケイツビーにはRⅢのラトクリフも混ぜていると書かれてあり、次の悪夢のシーンだけでなくここも美しく変換されています。怖い夢を見て泣いた子どもの頃のリチャードの回想シーンと、「戦場で安眠は叶わないと言ったが」「共に寝てくれないか」とリチャードが頼むシーンが交差し、子どもの頃のように〈どうかあなたが悪い夢を見ませんように〉と願いながらケイツビーはリチャードと同じベッドで眠ります。関係を持たないまま、レディを崇拝して仕える騎士のイメージが私の中で強化されました。

 

 

リチャードの夢とリッチモンドの夢について

RⅢでは、リチャードに殺された人々が戦での敗北と戦死を、リッチモンドには勝利を祈りますが、この有名な夢のシーンは、なんと逆にされています。

 

今話では、リチャードの夢枕には愛する人達が現れ薔薇を手渡しました。リチャードの夢に出てきた薔薇は、8巻では息子のエドワードから受け取らなかった薔薇、14巻で〈意味など求めずともただそこに在るだけで、愛しいと感じている〉と思いながら受け取った薔薇ということでしょう。ヨーク公が最初で、バッキンガムまではリチャードが薔薇を受け取り、最後にエドワードが来て受け取った薔薇と共にエドワードをリチャードが抱きしめたのは、受け取った愛を子どもに返し繋いだということではないかな、と思いました。

 

それに対してリチャードの王冠を取って被ったリッチモンドに、RⅢでリチャードに浴びせられた呪い「罪を悔やみ幾度も目を覚ませ!」「絶望して死ね!!」と、RⅢにはない「終生恥と裏切りに怯えて死ね!」が降りかかります。

 

『薔薇』リッチモンドはこれまでもRⅢリチャードだった面もありこの逆転も不思議でないと言えますが、RⅢにない台詞やベスの「きっと予知夢だわ」も含め、「闇の君主(ダーク・プリンス)」とも言われ内乱にも悩まされたヘンリー7世の今後を暗示するものとされている気もします。

 

それに加えて(例によって胡散な推測ですが)、特に王冠を持ち出してかぶるシーンがあるので、やはり『ヘンリー4世』的な印象をもちました。これから亡くなるはずの眠っている王から、次代の王が王冠を持っていくようでもあり、王冠は「不眠の夜を招き入れ」「持ち主を食い尽くす」(『ヘンリー4世』)ものでもあるというモチーフも重ねられている気がします。『ヘンリー4世』では、苦悩の王冠と同時に、父から子に愛も伝えられています。王冠に苦悩しながら最終部である種の安らぎを得られたヘンリー4世がリチャード、苦悩を引き継ぐことになるヘンリー5世がリッチモンドとも見えますし、『ヘンリー4世』の愛の部分がリチャードの夢に、苦悩の王冠部分がリッチモンドの夢にされているような気もします。そう考えると(そう考えていいかわかりませんが)、今話ではリッチモンドが見たRⅢでの悪夢の呪いすらなんだか少し肯定的なものにされたようにも思えます。

 

(※RⅢは河合祥一郎訳・角川文庫版、『ヘンリー4世』は松岡和子訳・ちくま文庫版から引用しています。)

 

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