『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

シェイクスピアズ・グローブ『マクベス』感想

クレシダ・ブラウン演出。中高生向けということなのに、これほどとがった演出になっていようとは。さすが本場ということでしょうか、一寸驚きました。「幸甚指数が多め」(『かげきしょうじょ!!』)なのはStratford Festivalのチモリーノ版の方でしたが、比べるとチモリーノ版はオーソドックスでもありました。ブラウン版は、一部マクベス夫人の改変箇所もあるし、マクベスを倒して次の王になるマルカムのイメージを敢えて変えていると思います。また、SFのイアン・レイクとは対照的なマクベス像だと思いました。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

魔女が戦禍の犠牲者であったり、マクベス夫妻の子供に意味を持たせていたり、主人公から王座を奪う正義の側のはずの人物(マルカム/リッチモンド)が“あれ?”みたいなキャラだったりするのが、一寸『薔薇王』的な気も……。(←無理矢理感がありますが、菅野先生の『ヘンリー6世』からのジャンヌの取り入れ方ってそんな感じがありませんか。)

 

この演目も以下のサイトでプログラムが提供されていたりして、本当にサービス満載です。無料配信終了後もレンタルとかにはなるだろうと思います。

 

www.shakespearesglobe.com

 

(以下、今回もかなりネタバレしています。)

 

 

中高生の観客が開演前でざわざわしているなか、そこに紛れていた若い1人の魔女がフラッシュモブ的に登場して始まります。次いで舞台にある死体の山から別の魔女達が現れます。魔女が戦争で犠牲になった女性・子供達のようです。この辺はパンフレットの演出意図でも述べられていました。その彼女達が予言によって権力者達を翻弄・報復する感じになりますね。
 

マクベスの主のダンカン王は、無責任で戦場を知らない君主にされていて、血塗れでやってきた伝令に自分には触れさせず内容だけ聞いてそのまま放置し、伝令は死にます(コミカルなシーンではあるんですが)。これでは、裏切りや反乱も起きるだろうと思えるダンカン王です。王の息子マルカムも、頼りないイエスマンな2代目の風情。パンフレットでは、演出家のブラウンが、『マクベス』は人々が専制にどう対応するのか、リーダーが権力とどう関わるのかという作品だと言っていて、特に若い人にそれを伝えたかったとしています。ダンカン、マクベス、マルカム、皆を敢えて無能な王にしているのでしょう。

 

マクベスとバンクォーは、戦争が終わってよかったという感じの登場で、衣装も現代風なので、将軍・領主というより明るくて飾らない同僚の兵士同士のような印象です。

 

マクベスは登場時は善良な普通の人の造形です。予言の後、マルカムが次の王とわかって少しだけ王冠に未練がありそうでしたが、マクベス夫人に強く言われなかったら、このマクベスは王を殺すなど思いもよらなかったように見えました。ダンカン王が屋敷に来る時、マクベス夫人が“ダンカン王が屋敷から出発する日は来ない(=自分達が殺すから)”と言ってもすぐにはわからず、“え”、と戸惑ったまま王を迎えています。他方のマクベス夫人も(特に後半の展開を考えると)悪女とまでは言えず、でも予言に舞い上がってしまったように思えます。

 

マクベスは宴席から抜けてやはり王を殺せないと独白するのですが、それがこのマクベスの本質という気がしました。それを夫人に責められ、マクベスが言い返そうと夫人を柱に押しつけてしまって慌てて離れており、本来は暴力に敏感で思いやりのある人だとわかります。

 

しかもマクベス夫人は懐妊している設定なので、マクベスは多分余計に気をつけたのだと思いますが、そんな夫人が、さっきの言葉は嘘だったのか、私なら一旦誓ったら自分の子供でも殺すと責める訳です。(でも、マクベスは王を殺すとは実は言っていないんですよね。)このやりとりで、このまま王を殺さなかったら夫人が生まれた子を殺してしまうんじゃないか、そんな風にマクベスが心配しているようにも見えました。優しい人が葛藤させられる感じです。

 

宴の終了後の場面では、とても面白い解釈・演出がされていました。 王をもてなす宴で、安っぽく子供っぽい風船で“CONGRATS”の装飾がされていたのが、王達が騒いで寝室に引き上げた時には“RATS”だけが残り、そこにバンクォーが来てその後のマクベスと同じように、剣を取り出して悩むんですよ!バンクォーも同様の思いを持っていて、魔女に唆されたら普通の人がその気になってしまうという……。ここはすごい!そこにたまたま彼の息子が来たので彼はとどまることができましたが、紙一重的というか。また、マクベスとバンクォーが子供に王位を継がせたい者同士として明確に対置されることにもなります。

 

マクベスが王を殺した後にうろたえて後悔する場面も、このマクベスにとっては、戦場で戦うことと人を殺すことは全く違うことなんだなと思わせます。剛勇な軍人が許されない殺人に倫理的に懊悩するというより、人を殺したこと自体に怯えている印象です。また、ダンカン王の死が明らかになる場面ではマクベスがしゃべりすぎて怪しく見えます(台詞は同じなのに、しゃべりすぎの感じがするんです)。パンフレットでは、“ダンカン王殺しがわかっていても、沈黙を保つ者とそうでない者がいる”と演出家のブラウンが述べており、もうこの時点で察しがつく演出・演技だろうと思います。

 

この辺からマクベスの明るさが朗らかさから胡散臭いものになってきます。王になってからは俗物的で、王の器ではないように見えます。チープな王冠、派手目なスーツに金のスニーカーという衣装のせいもあると思いますが、やはりマクベス役のEkow Quarteyの演技が見事なのでしょう。戴冠の宴は、グローブ座らしく、観客を民衆に見立てて語りかけたり、観客の手にタッチしたりの楽しい場面でもありましたが、マクベスが軽躁状態のようでした。

 

そんな中、マクベスの命令で殺害されたバンクォーの亡霊が普通の人のように淡々と登場。原作を知らなければ、殺し損ねたかとも思えるくらいで、勿論、マクベスは驚き騒ぐのですが、バンクォーが他の人には見えないので亡霊だと確認できる、そんな作りに思えます。

 

この後にマクベスが洞窟で魔女に会うシーンは、この版では宴の後の席に魔女達が登場する形になっていましたが、それまでの心労のためか魔女達のためか、ここで夫人がお腹を手で押さえ痛みを堪えるように退場します。(このシーンで流産したようにも思えるんですが、後のシーンでも夫人は身重に見えます。ただ、ここでお腹の子供が危なくなったことは確かです。)魔女の”Why, how now, Hecate, you look angerly.”が、様子がおかしい夫人に向けて“ヘカテ、どうしたの?”みたいなニュアンスの台詞にされていました。ヘカテと夫人を重ねているのは興味深いのですが、ここも含めて恐いんです……。3人の魔女が、チャッキーみたいな不気味人形を使って予言を見せ、1人目の魔女は人形の首をもぎ取って“マクダフには気をつけろ”と言います。これはマクダフの子供を殺す予言にもなっているでしょう。2人目の魔女は、宴席で饗された豚の丸焼きの中から血塗れの人形を取り出して、“女が産んだ者にマクベスは倒せない”と言います。これもマクダフの生まれ方を示してもいますが、首のもがれた人形、豚から取り出された人形が流産を示唆するようにも見え、かなりエグいシーンになっています。原作で王冠を被った王子の幻影が現れるところは、3人目の魔女が王冠を被った人形を示す形です。バンクォーと子供のシーンの使い方もそうですが、ブラウン版ではマクベス達の生まれなかった子供、マクダフの殺される子供と、子供との関係が強調されていると思います。魔女達が若くて少女っぽく、無邪気なのが残酷さを増幅させます。

 

この後、マクベスは暗殺者にマクダフの妻と子供を殺させます。危険が迫っていることをマクダフの妻に知らせるのは原作では名もない使者ですが、この版では、それを知らせに来るのがマクベス夫人になっていました。“私の方はあなたを存じ上げている。卑しい者の言葉ですが、どうぞ聞き入れて逃げて下さい”という台詞をうまく使って、ここではマクベス夫人がマクダフの子供を助けようとするのです。夫と子供のために王殺しには加担しても、マクダフの子供を殺させたくないというのがこのマクベス夫人なんだろうと思いました。(この場面でもマクベス夫人は身重に見えたので、宴の後からかなり危うい状態で、それを押しても伝えに来たということかもしれません。)

 

戴冠のあたりでは俗物的に見え、また殺害を重ねながらも、それでもマクベスは根底にいい人感があって道を踏み外したのが切なくなります。マクベス夫人が亡くなった後のtomorrow speechは、悲しみに目を背けるかのようにどうせいつか死ぬんだと自嘲気味に語り、直後に自刃しようとします。そこにダンシネーンの森が動いたという報が届いたので、逆に、自暴自棄的に開き直ったかに見えました。

 

マルカムについては、マクダフが説得に来た場面から格好よくなるのかと思いましたが(『メタル・マクベス』だとそんな感じですよね。原作でも愚劣を装いますし。)、こちらのマルカムは最後まで残念なままという形でした。マクダフの妻子が殺害されたとわかった時に、マルカムが言った慰めの言葉は見当違いという扱いで、マクダフも“何言ってるんだ”と反応する形になっていました。肝心の戦闘でも逃げているし、最後にマクベスから奪った王冠を被ろうとしてもぶかぶかだったりもしました。

 

原作でマルカム達に助力するイングランド軍指揮官は、イングランド王の設定になっているのか(指揮官のままかもしれませんが)、その助力もスコットランドイングランド支配下に置こうとする下心によるものという演出です。マルカムの元に参じた臣下達からスコットランドの青地に白クロスの旗をはがし、白地に赤十字イングランドの旗を付けさせます。マルカムに至っては、最初からイングランドの旗を身につけていました。1700年代のグレートブリテンの国旗が大きく下がる中で、マルカムの勝利宣言が空しく響きます。(歴史的には、マクベスの統治は1040年代からなので、国旗については政治的介入の象徴とだけ見るのがよいのでしょう。歴史上のマクベスは、そもそも統治期間も長くてよい君主だったとされていますが。)

 

そのマルカムの台詞の後に、原作の最初の魔女の台詞“When shall we three meet again”が繰り返されるという皮肉な終幕になっています。一寸ネタバレしすぎではありますが、魔女の台詞のリフレインについてはパンフレットにも書いてあるので、これはむしろ言及していい/言及すべきポイントなんだろうと思います。