『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ハンブルク・バレエ、ノイマイヤー 振付『夏の夜の夢』感想

NHKBSプレミアム・シアター放送。ハンブルク・バレエ、ジョン・ノイマイヤー振付。

 

下でリンクした動画によると、舞台を撮影したものでなく、映像用に同じシーンを複数回撮影して完成させたものだそうです。DVD /Blu-rayにもなっています。


A Midsummer Night's Dream [Blu-ray]

 

もし身も蓋もない言い方に聞こえたら申し訳ないんですがいい意味で今まで観たバランシン版・アシュトン版とマイヨー版の中間に位置するような感じに思えました。アテネのシーンはバランシンやアシュトンに近く、妖精達のシーンはマイヨーに近い感じがしますし、しかもアテネの恋人達のシーンはメンデルスゾーン、妖精のシーンはリゲティの現代音楽、職人達はオルガンと音楽を使い分けていることもマイヨー版と類似しています。

 

パリ・オペラ座『夏の夜の夢』感想・紹介

モナコ公国モンテカルロ・バレエ、マイヨー 振付『Le Songe』、『La Belle』感想

 

調べてみたらこういう成立年代なんですね。

 

バランシン 1962年

アシュトン 1964年

ノイマイヤー 1977年

マイヨー 2005年

 

実際に参照したかどうかは不明ながら、ノイマイヤー版を観たら、マイヨーはこれを発展させたような感じがしました。妖精の描き方などはノイマイヤー版はマイヨー版に近い印象ですが、年代的にはアシュトン版から10年ほどでむしろマイヨー版と隔たりがあります。(尤も、ベジャールの『春の祭典』は1950年代、キリアンの『シンフォニー・イン・D』は1976年だったりしたので、年代よりは作風と考えた方がよいのかもしれません。ついでに調べたら山岸凉子先生の『アラベスク』が1971〜75年の連載、有吉京子先生の『SWAN』が1976年開始でした、そんな時代ということですね。)ノイマイヤー版の面白さは、アテネのシーンはクラシック(完全クラシックというよりロミジュリや、ノイマイヤーの『椿姫』ぐらい)で、妖精達はコンテンポラリー的、と踊りや雰囲気自体がくっきりと異なるところです。マイヨー版でもアテネ、妖精界、職人達の踊り自体がかなり違っているものの、マイヨー版は全般的にコンテ寄りな気がします。

 

下の記事では、ノイマイヤー自身が、「『真夏の夜の夢』は3つの異なる世界で物語が構成されている。その3つの世界の物語を明確にするために、音楽を場面ごとに変えることを思いついた。」「妖精の世界はリゲティの“宇宙を表すような不思議な音楽”で」「私が考える妖精の世界はサイバー的なもので、目に見えない不思議な世界、不思議な感覚を表現したかった」と語っています。

 

ebravo.jp

 

こちらの動画でも、バレエのシーンと重ねてノイマイヤーによる同様の解説があります。ハーミア役の菅井円加さんのコメントも出てきます〜。

www.youtube.com

 

バランシン、アシュトン、マイヨーが、どちらかと言えば妖精世界の魅力を目一杯描いている感じがするのに対し、ノイマイヤー版はアテネの貴族達の方がロマンティックで、雰囲気が異なる妖精界との両方が楽しい、あるいはむしろバレエ好きな人はもしかしたらアテネの方に魅力を感じるかもしれないと思いました。(ノイマイヤーの妖精描写は嫌だという意見も散見されます。また、音楽の使い方はノイマイヤーとマイヨーが類似していますが、マイヨー版もやはり妖精界の方により惹きつけられるような気がします。)

 

始まりは妖精の場面でなく、結婚式前の宮殿のヒポリタの部屋から。一瞬だけ結婚行進曲が流れてから、序曲に入り、序曲では原作冒頭のアテネの恋人達の森への駆け落ちまでのシーンが描写されます。とはいえ衣装は18世紀末〜19世紀初めぐらいの感じで、これはメンデルスゾーンの作曲年代ぐらいの設定でしょうか。このシーンはクラシック・バレエ的でもありつつ、とても演劇的でわかりやすくなっています。ハーミアとライサンダーは無邪気で可愛いカップル、ディミートリアスは気取り屋、ヘレナは眼鏡っ娘という、この辺は定番な印象なのですが、大公シーシュースが不穏。結婚間近のヒポリタに関心がなさそうで、薔薇を持ってきても自分では渡さず、フィロストレート(パックと2役、この役とダンサーも魅力的です)に渡させて、貴族の娘と親しげに語らっている……。

 

ノイマイヤー版独特と思ったのは、妖精界のオーベロンとタイテーニアの対立をそこまで明確には描かず(その雰囲気は十分ありますが)、「妖精の世界はサイバー的」とあるようにやや超然とした印象で、逆にヒポリタとシーシュースの方に拗れた関係を転写しているところです。演劇でのナショナル・シアターのハイトナー版のような趣きを少し感じます。取り替え子のエピソードは出てきません。今まで観たバレエ版で、ヒポリタとシーシュースの結婚の暗い影を描いているものはなかったんじゃないでしょうか。

 

ナショナル・シアター『夏の夜の夢』感想

 

そしてこの最初の場面で職人達が宮中にやって来ていて、職人のボトムがヒポリタを見て一目惚れします。ここではヒポリタとタイテーニアが1人2役ですが、この辺からタイテーニアとボトムの関係の伏線が作られている感じです。ボトムはコミカルで目立ちたがりなのは原作通りながら、明るくて誠実そうでいい感じなんですよ(ダンサーによる性格づけかもしれませんけれど。しかも割とかっこいいボトムだし)。冷たいシーシュースと対比されるので、“政略結婚のしがらみや身分の問題がなければボトムと一緒になった方が幸せに暮らせそう〜、ヒポリタも森に逃げちゃいなよ”と一瞬思い、もしかしたらこう思わせる演出かと考えました。こちらのヒポリタはシーシュースとの結婚自体を嫌がっている訳でもボトムに惹かれる訳でもなく、むしろ受動的に運命を受け入れているように思えますが、ヒポリタが眠ると森のシーンになっており、妖精世界はヒポリタの夢というニュアンスもあるかもしれません。

 

Photo by engin akyurt on Unsplash

 

パックがボトムを驢馬に変えたり、タイテーニアに花の滴の魔法をかけたりするのは原作通りですが、この版では最初の場面でシーシュースが持ってきた薔薇が恋の花“love-in-idleness”として使われます。タイテーニアとボトムの振付は、かなりエロティックではあるものの(←特にストーリーを知る大人目線だと)、マイヨー版ほど“子供と一緒に見たら気まずい”感じではない気がしました。

 

他版によく見られるオーベロンとタイテーニアが和解する場面や踊りはないまま、アテネのシーンになり、夢うつつのヒポリタと薔薇を拾って愛に目覚めたようなシーシュースのロマンティックなパ・ド・ドゥになります。これも話がヒポリタとシーシュースの方に移されている感じです。ヒポリタ役のアンナ・ラウデールが長い髪を下ろしたままで踊るので、この髪がヴェールのようにシーシュースも覆う形になったり、ふわっと広がったりして、美しく官能的。演劇でよくあるようにシーシュースとオーベロン、ヒポリタとタイテーニアが1人2役で、更にメインの2人がクラシックとコンテの、タイプの違う踊りを踊る面白さがありますが、(オーベロンとタイテーニアではなく)シーシュースとヒポリタがメインの位置を占めるのもバレエでは珍しい気がします。そうすることで、人間的な感情の機微を織り込んでいるような気もするのです。

 

4人の恋人達の関係修復についても、ハーミアとライサンダーは2人の関係が落ち着いて思いやりを深めたように見え、ディミートリアスはハーミアへの想いを諦めてヘレナの愛を受け入れるような、一寸リアルな雰囲気もあります。

 

そして、クライマックスの結婚行進曲での結婚式場面。今まで観た中で、衣装も含めて一番“結婚式感”があるのがノイマイヤー版の気がしました。バランシン版もフィンランド国立バレエのヨルマ・エロ版も素敵でしたが、バランシン版はデフィレ感やディベルティスマン感が、エロ版はスパルタクス感(←個人の見解です)があるのに対し、こちらは紛れもなく結婚式!という感じです。

 

フィンランド国立バレエ『夏の夜の夢』『ロミオとジュリエット』他感想

 

結婚行進曲の後は、台詞が聞こえてきそうな職人達のダメな芝居、その後に『眠りの森の美女』のような雰囲気も感じるヒポリタとシーシュースのパ・ド・ドゥでした。こちらのボトムは最後までヒポリタが好きだったという展開になっていました。ボトム健気……。

 

クライマックス的なパ・ド・ドゥがはけると、エピローグ的にフィロストレート=パックが薔薇を投げ、最後はオーベロンとタイテーニアというシェイクスピアの原作を思わせる終幕です。