『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

野田秀樹潤色、シルヴィウ・プルカレーテ演出、『真夏の夜の夢』感想

ややダークで悪夢感のある『真夏の夜の夢』。もちろん群像劇的ではありつつ、原作には出てこないメフィストフェレス今井朋彦さん)と、1人目覚めていたようで実は夢を見ていた原作ヘレナ=そぼろ(鈴木杏さん)が実質主役感のある作品でした。『夏の夜の夢』に『ファウスト』や『不思議の国のアリス』が重ねられているからでもありますが、メフィストはパックになりすます展開になっており、更に獏(バク)とも掛けられているので、彼はパックのダーク面でもあるのでしょう。

 

キャストや概説、写真などがリンク先記事にあります。鈴木杏さんがコメントで、この作品は「ダークファンタジーと言っています。やはりなんとなく『薔薇王』12巻的な……。

 

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今回もかなりネタバレのところがありますので、ご了解の上でお進み下さい。

 

下の1つめの記事でリンクした論文に、パックには、いたずらな妖精の語源と、聖書上の悪魔の語源があるという話があり、2つめの記事で参照したシェイクスピアズ・グローブのパンフレットにも、妖精が闇の領域のもの、マクベスの魔女や亡霊と近いものという解説もありました。野田版ではそれを反映するように2人に分けられ、悪魔の方が狂言回しになるのが私には一番面白いところでした。そのため、原作パックは、ハーミアと両想いのライサンダーうっかり間違えて恋の花の滴を塗ってしまいますが、メフィスト2人の仲を引き裂くためにそうします。(とはいえ、手塚とおるさんのパックもかなり活躍します。お2人がとてもよかった!)

 

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また、原作パックが夜明けによって自分達が消えるのを恐れるのに対し、獏でもあるメフィストは企みで森=夢を焼失させ、そうしておきながら泣くのです。更に、メフィストは、オーベロンとタイテーニアの喧嘩の元になった取り替え子でもあったことがわかります。妖精と人間の境界的な存在で、タイテーニアが招き入れて2人の欲望の対象になり、諍いの種になった子供とメフィストが重ねられるのも陰のある解釈ですよね。原作ではこの諍いのために気候までおかしくなっていたりしますし。

 

ボトム=福助は驢馬ではなく蛸にさせられます。これも、この下に書いた、ヘレナ=そぼろが「言葉を飲み込む」=自分を飲み込む=「自分の足を食べる」ことと掛けられているのでしょう。あと、驢馬って性的象徴の意味もあったり、ボトムに対するタイテーニアの台詞もかなりセクシュアルな比喩が入っていたりするようなので、ひょっとして北斎春画連想とかもあるんでしょうか。

 

最初の方からメフィストが登場したり、原作のアテネが日本料理屋設定だったり、台詞の改変はあっても、前半はかなり『夏の夜の夢』のままです。後半、若者達4人の中で1人だけ眠っていないそぼろにメフィストが語りかけ、彼女の鬱屈や「飲み込んだ言葉」に気づかせ、彼女の暗い思いがメフィストを呼び寄せてしまったことがわかる辺りから、掛け言葉のイメージで物語を紡ぐ野田テイストが濃厚になります。オリジナル部分の詳細は書きませんが、夢や魔法の役割を“言葉”が担ってもいるように思いました。それが野田テイストであると同時に、『不思議の国のアリス』的でもあり、魔法と言葉に翻弄されるそぼろがアリスの役割です。

 

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原作では(野田版にもそのシーンはありましたが)、始めの方では互いを美しいと言っていたヘレナとハーミアが、ライサンダーの心変わりをきっかけに互いの容姿の短所を言い出し(ライサンダーとディミートリアスがハーミアに言う言葉の方が酷いのですが)、「みにくい」争いを始めます。また、ヘレナは始めの方でもハーミアを美しいと言いつつ、独りになると自分も同じ程度には美しい、なぜ自分にディミートリアスは振り向いてくれないのかと独白しています。メフィストとそぼろの会話で語られる、「飲み込んだ言葉」=みえない=「みにくい話」はこういう原作の解釈にもなっているのかなと思いました。また、彼女達のみにくい争いもそちらが本心とは限らず売り言葉に買い言葉的でもあり、野田版ではオーベロンがメフィストが見せた言葉を信じてはいけないと言っていました。

 

そういえば一番心情的な独白が多く、自分自身は変わらずに魔法で変わった周囲に翻弄されるのがヘレナだな、それがこの作品では1人目覚めている設定なのかと思ったクライマックスの後、その全体がそぼろの夢であったという、逆転というか入れ子のような展開になります。原作も、妖精の介入で恋人達の関係が変わる一方で、最後のパックの台詞では、自分たちは夢にすぎないもの、この芝居は夢を見たようなものという言い方がされていて、原作の入れ子的なところと『アリス』がうまく組み合わされている気がしました。

 

最後は『夏の夜の夢』に戻って台詞もかなりそのままながら、それまでが夢だったのか、今がどうなっているのかわからないそぼろ視点に同化できる作りになっていて面白かったです。窮地に陥った時に目覚めたアリスにも近い形で、“夢だったのか現実だったのか”というような原作の台詞が生きる一方、通常版とは違ってあまりすっきりしない終わり方です。原作でも “ディミートリアスは魔法でヘレナに気持ちが移ったんだよね、大丈夫なの?”とか、“揉めた時にハーミアに言われた酷い言葉は遺恨を残さないのか”とか、ちらっと気になったはずなのに、ハッピーエンドに紛れて今まで見なかったものを見せられたようで、この辺もダークな印象です。悪夢から目覚めた後の、何か落ち着かない不思議な感覚にも近いような。

 

このダークなテイストが、プルカレーテの演出によって強調されていたんじゃないかと想像します。NODA MAPなど野田演出の舞台は(いくつかを観た程度で、過去の『真夏の夜の夢』がどうだったかはわからないですが)、白っぽく明るい照明で、演者がスピーディーに動き、台詞も敢えて早く軽く語られて、掛け言葉によるイメージ連鎖に拍車がかかっていく印象があります。今回のプルカレーテの方は視覚的にも夜を思わせる暗さや陰影があり、運動量は凄いのですが、演者ー特に『リチャード3世』参加組の皆さんーの台詞の語り方にも陰影や重さを感じました。的確に言えていないと思いますし、詳しくないのでざっくりした感覚にすぎませんが、イメージの連鎖より個々の台詞の意味が大事にされている印象です。野田演出でも作品によって違うかもしれませんし、原作に近くストーリーがはっきりしている作品だからかもしれませんが、私にはこちらの暗い作りが好みに合いました。

 

しかし、日本語はわからないというプルカレーテが、しかも(Zoomを使った稽古はしていたそうですが)現場に立ち会って数日でこんな舞台ができてしまうのは驚きです! 演出家と演者の双方に実力があるとこんな凄いことができるんでしょうか。『リチャード3世』参加組の方が多かったのは、信頼できる方達を揃えたということなのかもしれませんね。

 

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真夏の夜の夢』収録の『廻をしめたシェイクスピア』はどうも絶版のようですね(中古のみ)。


廻をしめたシェイクスピア