『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

ナショナル・シアター(at Home)、オコナー&バックリー『ロミオとジュリエット』感想

サイモン・ゴドウィン監督、ジョシュ・オコナー&ジェシー・バックリー主演、2021年の映像作品です。

 

毎回のようにリンクしていますが、NTatHomeで有料配信中です。

National Theatre at Home

2022年1月28日から映画館公開も決まりました!

www.ntlive.jp

 

今年観たシェイクスピア作品の中でベストになるかもしれません。ここまで感動すると思っていませんでした。

 

シェイクスピア作品については通常は解釈を楽しむ感覚が強く、ロミジュリは何度も観ていることもあって、今回もそういう期待で観たら、その面白さもさることながら気持ちの方が大きく揺さぶられました。この切なさと重さは何でしょうか。何が起きたんだろうと不思議です。

 

台詞は驚くほどカットされていて、通常なら演出・演技上強調する重要な台詞だけ残したような感じ。(そういえば、吉田鋼太郎さんは、流す部分と強調する部分のメリハリをつけて、喋っても“捨てる”作業をしているそうです。橋本さとしさんがそう言っていました。)シェイクスピア劇としてここまでカットしていいかとも思えるんですが、その台詞がリアルに切実に響きます。

 

そして台詞だけでなくかなり映像で見せている印象です。元々は舞台化の予定でキャストも押さえてスケジュールを組んだらコロナで中止になったため、ゴドウィンは勉強しながら初めて映像制作をしたそうのですが、舞台でない映像ならではの見せ方も効果的な気がしました。現代というか時代不詳設定であったり、後から書くような工夫があったりはしても、それ以上に演技や映像から醸し出される情感が力をもつ作品だと思います。その分感動するかどうかの個人差が大きいかもしれませんが、序盤から悲劇の予兆が入るようなややダークなテイストで、映像も美しく、また最初のキスシーンも印象的です。

 

オコナーのロミオ、バックリーのジュリエットをはじめ、若手の配役もとても魅力的でした。大人世代では、これまでNTの配信などで馴染んだ演者が脇を固めています。登場順にルシアン・ムサマティ(『アマデウス』『間違いの喜劇』『オセロー』)、エイドリアン・レスター(『オセロー』)、タムシン・グレイグ(『十二夜』マルヴォーリア)、デボラ・フィンドレイ(『コリオレイナス』ヴァラムニア)。

 

これ、新作なんですけど、やはりかなり詳細にというか、実況中継風に書いてしまうので……観ようと思う方はこの下のTrailerかVOGUEの記事まででむしろ引き上げていただいた方がよいかもです。新作だから自重しようかとは思ったんですが、演出や演技のよさを書きたくなってしまって。私には、Trailerで期待した以上の素敵な作品でした!

 

www.youtube.com

 

www.vogue.co.uk

 

この下から内容を書いています。

 

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稽古場からの序盤

Trailerでも冒頭が映っていますが、スタジオに稽古着で集まる演者達の前で、稽古か事前レクチャーのような感じで、プロローグの序詞をムサマティが語る始まりです。佐々木さんの『マクベス』で患者の世界と、シェイクスピア・トリロジーで受刑者の世界と作品が重ねられていたように、稽古場の俳優同士の関係に作品が重ねられるように始まっていき、ロミオ役とジュリエット役は相思相愛の設定です。他でもありそうな設定なんで軽く見ていたら、ちゃんと効果を持たせる演出がさすがです。

 

俳優同士のおふざけと喧嘩と、作品での2つの家の若者達の喧嘩が移行するような形で騒ぎになったところで、エイドリアン・レスターの大公登場。喧嘩に自ら介入して止め、この時点では稽古のスウェット姿でもあるので、問題地区でケースワークにも力を入れている頼れる検事か判事みたいに見えます。レスターが好きなので欲目かもしれないものの、この大公だと中盤のロミオ追放決定も、制裁と温情のバランスを取ったきちんとした判断に思えますね。

 

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“O, swear not by the moon, th' inconstant moon”
Romeo and Juliet
バルコニーシーンの月も美しくロマンティックですが、この台詞があるのに満月を目立たせているのも意味深?

 

ロミオとジュリエット

沈んで物憂い感じのオコナーのロミオは、そんな騒ぎを遠巻きにしています。こちらのロミオとジュリエットは少し暗めで憂鬱感があります。ロミオに絡むマーキューシオは明るくからかってはいるんですが、ロミオの首を絞めるような仕草があったり、BGMも含めてこの時点からなんだか不穏です。ロミオは、「今夜の宴会を境に(中略)いのちの期限が切れたと清算を迫るのではなかろうか。」と言い、ここに焦点を当てるような作りです。舞踏会に行く前のロミオにこんな不吉な台詞があったのか、と初めて気づきました。ぼーっと読んだり観たりしているせいですが、この版はここを聞かせるようになっています。今までの感想で、“今回はこの台詞が聞こえた”と書いたりしていましたが、そういう時は聞かせ観せる工夫がされていたんだろうなと思いました。最後にロミオが飲む毒薬も早めに出てきます。好みはあると思うんですが、最初から悲劇と死を予感させ、個人的にはそれがとてもよかったです。

 

ジュリエットの方は、母親から結婚するよう言われ、この時点で親の決めた結婚を嫌がっている風です(バレエ版でも最近はこういう解釈の振付がありますね)。キャピュレット卿と夫人の役(台詞)の入替えがあり、グレイグのキャピュレット夫人がこの家を采配している感じで、パリスとの結婚も彼女が決めています。それをジュリエットに告げるのは原作通り夫人(母)ですが、夫人はやや近寄りがたく有無を言わせない雰囲気。バルコニーシーンで、ジュリエットがすぐ結婚を言い出すのも、熱情からだけでなく、パリスか好きになったロミオかの選択を既に迫られているからでもあることをこの演出とバックリーのジュリエットは感じさせてくれます。なぜこの文脈に私は今まで気づかなかったのか……。

 

乳母は世話好きで気の置けない感じで、母と乳母が並んでいるだけで、甘えたり相談したりするなら乳母だと思えます。2人すごい。乳母は、コリオレイナスの列母だったデボラ・フィンドレイ。その時は『薔薇』セシリーみたいだったのに、全然違って優しそう……。乳母のコミカルで下世話な面が抑えられ、育ての親的で頼り甲斐がある感じです。そのため、後半で、乳母に頼れなくなったジュリエットの追いつめられ方も強調される気がします。(ジュリエット・パパは優しいので、パパを頼れなかったかーと思ったりはしますが。)

 

キスとバルコニーと結婚

舞踏会(パーティ)もなんだか不穏で、そこで歌っているジュリエットも他の版とは違うダークな怪しさがあります。2人が出会うというより、ロミオがまずそんなジュリエットに魅入られるのですが、彼女を通じた死に魅入られたような気すらします。

 

欲望が交差するような暗いパーティー会場で、2人が互いを探す様子が映された後に有名なキスシーンです。最初の出会い・キスシーンなのにエロティック! 通常版よりキスに行くまでは長いくらいなのに、ロミオの声がけは耳元での囁きで、手を絡めるところさえ官能的です。しかもエロティックなだけじゃなくて、出会いのシーンで切ないです。このロミジュリ、公開映像が結構多くてこのシーンも公開しているんですが、観るつもりの方は最初から通して観る方が絶対よいと思うので文字リンクにしておきます。これだけ書いておいてと思われるでしょうが、これでも内容については控えているつもりなんです。

 

A Tender Kiss ❤️ | Romeo & Juliet Act 1 Scene 5 with Josh O’Connor & Jessie Buckley - YouTube

 

バルコニーシーンも短くなっていますが、この2人ならこれで十分気持ちが通じる気がします。恋愛中でも理性的に見える(!)ジュリエットも、誠実さが感じられるロミオも本当にいいですね。この辺から既に目頭が……。

 

結婚のシーンがまたとても美しく幻想的なのですが、なんだか現実やこの世でないような印象も受けたり(本当は午前のはずですが陽の光でない)、こういうイメージがうまく作られていると思います。

 

結婚式を行う神父役がムサマティで、学者的でやや厳格な人物になっています。他の演出だと神父がもう少し大らかだったりすることもあるし、これまで観た作品のムサマティはコミカルな感じだったので少し意外でしたが、追放が決まった時に死のうとするロミオを真剣に叱ったり、一方であまり感情が読めないのでジュリエットが薬を飲む間際に不安になったり、やっぱり全体にうまく嵌るんですよね。

 

乱闘と夜

主役2人と並行してベンヴォーリオとマーキューシオも青春を謳歌している感が出ていて、そんな彼らを見てもその後を考えると切なくなってきます。マーキューシオがティボルトと揉めることも、ロミオがティボルトに復讐することも伏線が作られていて(内容は書きませんが、余計に切ない)、ロミオがティボルトを許せなかったことに一層共感できるようにされています。こちらのロミオは、激情に駆られたというより、マーキューシオが殺された時点で幸福になる道が断たれてしまった感じで、死ぬ覚悟で復讐をしたように思えました。でも追放となると死刑以上に辛い(台詞通り)ということか、と台詞が素直に入ってきます。

 

その殺害事件の場面と、ロミオとの初夜を待ち望むジュリエットの場面が、この作品ではカットバックで重なって進行します。そしてここもジュリエットの語りの雰囲気が暗めです。英語が苦手な私にも“black”という単語の重なりが不穏に響きます。「来ておくれ、謹厳な夜、黒一色のいかめしい喪服の未亡人」「うぶな血を黒いマントで包んでおくれ」。これに次いでロミオの“This day’s black fate on more days doth depend.”(「今日のわざわいはこれからの日々にのしかかっている」)が来るんですよ。更に、ジュリエットの“when he shall die, Take him and cut him out in little stars“「ロミオが死んだら〔夜に〕返してあげる、切り刻んで小さな星にするといい」という台詞で、ティボルトを切ったナイフを持つロミオの血塗れの手が映されます。(また、この作品では“when he shall die”が”when I shall die”になっていて、ジュリエットが死んだらロミオが死ぬ予兆的にされているのかもしれません。)

 

ジュリエットの台詞もこんなに不吉な面があり、また昼に黒い夜を待つジュリエットに対してロミオはdaysが黒く運命づけられると言っていると示す作り。「切り刻んで」の箇所もそうですが、元々の台詞でも(違う場面に置かれていても)そういうことが意図されていたかもしれません。「切り刻んで小さな星にするといい」の台詞は記憶にあったものの、この後「そうすればロミオは夜空を美しく飾り」と続くので、この台詞、これまでは夢見る乙女的モノローグの印象でした。愛を語りロミオとの夜を待つ台詞に、多分、死や運命がしっかり織り込まれているんですね。もっとも、そう考えて納得したのは後からで、観ている間は、“えー、black 、black、blackってなんか不吉。うわーん、cut him outの台詞でナイフ持ったロミオ!”とサブリミナル的に(←一寸違う)台詞や映像が効く感じです。ここまで対応があると、研究とかでは既に指摘されているのかもしれませんが、やっぱりシェイクスピアってすごい、それをエモーショナルに見せる演出も見事、と思いました。

 

事件後に追放が決まったロミオとジュリエットが結ばれるシーンは、ベッドシーンの描写はありつつ、ここは官能的というよりむしろ2人の魂の叫びのようです。そうじゃなきゃですよね! 一方、そのジュリエットの部屋の下の階では、葬儀中のティボルトの亡骸はあるは、ジュリエットの両親とパリスが結婚話を進めているはで、辛い……。(パリス役Alex Mugnaioniは、大人でセレブ感はありつつそれが鼻につき、このジュリエットと合わなさそうです。配役・演技がいいなと思ったら、終盤は原作通り真摯・紳士な人で、ここも悲劇感増幅……。多分その辺も狙った演技・演出じゃないでしょうか。)朝を迎えても“まだ朝ではない”というジュリエットの台詞も、“このまま死んでもいい”というロミオの台詞もとても真実味があります。

 

終幕

ジュリエットが薬を飲む直前に迷うシーンも、悪夢的な怖さや他方での死の静謐さを暗示するように映像が効果的に使われています。

 

ロミオにジュリエットの死の知らせを持ってくる人物達は原作からアレンジされて更によくなっています。追放されたロミオは幽閉されているようで、憔悴し涙ぐみながら無理に微笑んで、見た夢の話を語ります。それは逆夢のような、死んだロミオのところにジュリエットが来てロミオが生き返るというもので、この版ではここも予兆的で不吉な感じです。また、ジュリエットの死を伝える彼が、荒れ狂うロミオに“have patience“という箇所も切実で、残された人達にも思いを巡らせてしまいます。

 

墓所ではバレエのマクミラン版やヌレエフ版に近い2人だけでの展開だったりするんですが、終幕はそういう工夫より何より、演技の説得力で引き込まれます。台詞がカットされた分、その台詞の密度が濃いというか、台詞の情感が味わえるというか、それを引き出す演者達が素晴らしいというか、最終部のよさがうまく説明しきれないのはもどかしいです。

 

(※「」内の台詞は、小田島雄志訳・白水社版『ロミオとジュリエット』から引用しました。)