『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

MARQUEE.TVのシェイクスピア・コレクション(1)

(5/31に更新)おうちシアター忘備録の記事に載せていたMARQUEE.TV作品感想・紹介について、記事を分け、追加しました。こう、ついつい『薔薇王』と絡めてしまっていますが、各方面にごめんなさいという気はしています。

 

 

https://www.marquee.tv/  シェイクスピア以外のバレエやオペラもいっぱいあります。

Shakespeare Collection)https://www.marquee.tv/series/shakespeare

14日間無料トライアルで見ることができますが、クレジットカードを登録してキャンセルしないといけないので、無料で一寸試しに観たいという方には容易にはお薦めしにくいです。ただ、1ヶ月1000円くらいなので無料でなくてもリーズナブルかもしれません。私は『シェイクスピア三部作』まではなんとか無料視聴期間内に観たものの、迷いながら結局1ヶ月契約更新してしまいました。(だ、大丈夫、スポーツジムも休館になってしまって、その分浮くから)なんて思いながら。

 

『薔薇王』で(多分も含めて)使われたものでは、『ロミオとジュリエット』(バレエもオペラ版もあります)『ハムレット』(オペラ版もあります)『十二夜』『ヴェニスの商人』『恋の骨折り損』『ヘンリー5世』『リチャード2世』(←3世じゃなくて2世の方)などがあります。

 

 

ドンマー・ウエアハウスシェイクスピア三部作』 The Donmer Shakespeare Trilogy

斬新だったのがtwitterの方にも載せた、オール・フィメールの刑務所内劇設定の『シェイクスピア三部作』の『ヘンリー4世』。『ヘンリー4世』も多分そうかなぐらいで、『ジュリアス・シーザー』、『テンペスト』は『薔薇王』では使われていない気がしますが、この3本が同じ刑務所内劇設定で演じられます。『ヘンリー4世』、すごく面白かったです!そして『ジュリアス・シーザー』は更にすごかった。

 

twitterに載せたのとは一寸違う3本の紹介の方↓。

 


The Donmar Shakespeare Trilogy 

 

(以下、『シェイクスピア三部作』については、『薔薇王』とほぼ関係ない話です。)

  

『ヘンリー4世』では、最初にハル王子役の人が、まずこんな感じのことを語るんです。“私、薬物依存で14歳の時から刑務所に出たり入ったり。女性収監者の半分位は依存に苦しんでいる。リハビリして、もうすぐ出所だけどちゃんとしたい。この芝居は、過去の問題と未来に不安を抱える人の変化の話。誰もがやり直す機会は欲しいですよね。”

 

え?本物の受刑者が演じる芝居なの?それともハルの現代的解釈+受刑者との結びつけをしたってこと?と惑います。同演出の『ジュリアス・シーザー』のプロローグで語るのは、パートナーのDVに反撃して受刑したという女性。ここでも女性受刑者の半分以上が家族からの暴力の被害者であったという事実に触れ、自身の加害行為について“ブルータスは「よい言葉は悪い剣に勝る」と言っています。私も言葉にすることが苦手だったけれど、演劇を通じて自分を表現できるようになりました”みたいなことを語っていて、これも迷います。(しかも彼女が演じるのは、演説で民衆の心を掴んでしまうアントニーだったりもする……。)

 

エンドクレジットで出てくるのですが、theater company Clean Breakという劇団と協働で、受刑者と俳優とのやりとりもされて制作されたようです。Clean Breakは、受刑者自身が設立した女性の劇団で、演劇を通じて女性受刑者のサポートをしたり、司法制度や社会への問題提起を行う演劇を上演したり、ワークショップを行ったりしているそうです。

 

映画やロイヤル・シェイクスピア・カンパニー出身の人もいますが、何人かはこの劇団の演者なのかもしれません。youtubeの紹介動画などによれば、この演目については、それぞれが受刑者役の上にシェイクスピアの役を演じるという二重の形になっている、ということらしく、受刑者のモデルもいるとのこと。女性受刑者の状況とそれぞれの作品を絡めているということらしいのです。

 

と、書くと何だかお堅い印象になりますが、動画を見ていただくと多分わかる通り、むしろ例えば『ホロウ・クラウン』のような正統派のものより全然とっつきやすかったです。(ただ、シェイクスピアに入ると、私には台詞は追いきれなくなってストーリーしか覚えていない『ヘンリー4世』はもったいない感じはありました。)

 

放蕩息子のハルがヘンリー5世として戴冠する方は比較的わかりやすい類似ですが、ジュリアス・シーザーに、DVや家族の暴力というプロローグを持ってくることで、女性にとっての、支配や抑圧への恐怖と反撃という形で読ませてしまうのか!と驚きます。『シェイクスピア三部作』は女性が演じているだけで、キャラクターを女性にしている訳ではありません。動画でもわかるようにむしろ男性的とも言える(でも無理にやっている感もない)演技です。でも、このプロローグがあると、ブルータスが“自分はシーザーを愛していたんだ”と言う台詞が、私にはすごく複雑にかつリアルに聞こえました。愛していた、でも、シーザーのために他が奴隷になることを望むのか、と。“給付金は世帯主でなく個人に”してって話に見えません?いや、ローマでは、女性や奴隷は市民にカウントされていなかった訳ですが、でもそこをオール・フィメールで演るって更にいいですよね。

 

一方、そうではありながら、シーザーに暴力で反撃したことによって、暴力とシーザーにずっと憑かれてしまうというか、そこから抜け出せなくなってしまうように見える演出でした。この演出によって、暗殺後もブルータスやキャシアスの台詞に「シーザー」が出てくることに気づかされます。結末まで、どんどん怖く美しくなっていく展開。内容は書きませんが、最後の演出も効いていました。

 

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原ヘッタリーナ    写真AC

 

(ここから5/25記載です。)3本目のテンペストも感動的で泣けました。『テンペスト』は、他2作以上に主役のプロスペローが受刑者ハナと重なっているのがわかる演技・演出で、自らの怒りや寂しさと闘っている荒ぶるプロスペローという感じ。報復から許し(修復)に向かい、自由になることを求め、人と関係を結び直すストーリーが、刑務所設定ですごく胸に迫ります。結婚式の場面の美しさ。キャリバンの位置づけもよかったです。演者を愛しく思えてしまう作品ですね。ハル/ポーシャ役の人がこれには出ていなくて一寸寂しくなったりしましたよ。3本目の最後が『テンペスト』というのも感慨深かったです。

 

オール・フィメールということもあって、女性からの見方がかなり意識されている気がしました。『ヘンリー4世』で滅茶苦茶かっこよく登場したホットスパーが、妻の言葉を聞かず戦地に赴くシーンで、“ああ、この夫婦ワンオペ育児。しかもホットスパー、身の回りのことできないな(更に恐妻家)。“と思わせる演出にしたり。『ジュリアス・シーザー』では、女性だから自分は弱いというような台詞がブルータスの妻ポーシャにあるのですが、ポーシャが懐妊している設定にしてあり、その状態で内乱に突入した時の女性の弱さを言っているように聞こえます。こういうのを観ると、そうか、これまで一寸我慢してシェイクスピアを観たり読んだりしていた、片目をつぶって自分を誤魔化していたと気づきます。いや、何百年も前の作品だからある意味当然なんですけど。でも、皮肉を効かせたり、こんなにストレスをなくしたりして観せてくれるんだ、とも思えました。

 

知らなかったんですが、演出のフィリダ・ロイドって『マンマ・ミーア!』の監督だったんですね。『三部作』はこれとは違ってハードモードなんですが、どれも歌や音楽がいい感じで入っていたり、わちゃわちゃする場面もあったりしてなるほどと思いました。

 

普段にないほど多くの作品を観ていて、これから先もかなり観るだろうと思うんですが、それでもこれが今年観た中で1番になるような予感がする作品です。

 

『薔薇王』もそうですが、ジェンダーの実験的な視点が入ると、抜群に面白くなるのかもしれませんね。一寸遠ざかっていたシェイクスピアに関心が戻って、戻ってみたら色々楽しい実験に巡り合って、と、『薔薇王』さまさまです。

 

 

ヴェニスの商人』 途中まではまさに『薔薇王』13巻のような……

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『ヴェニスの商人』もそんな実験的な作品でした(演出はポリー・フィンドレイ)。途中までは、“そうかアントーニオは、あまり隠さないゲイの設定か。本当に悲しそうで自信なさげなアントーニオだな。”とか思いながら観ていましたが、不穏な展開になってきます。うわ……、台詞すら変えていないのに『ヴェニスの商人』がこんな話になるのか……、という。(←いや、それじゃわからなすぎるよ。)

 

ええと、アントーニオがバッサーニオに想いを寄せている読みは、13巻59話の感想記事でも書いたように多分それなりにあると思うんですが、キャラクター的には全く違うものの、このプロダクションでの関係性は、まるでアントーニオ=バッキンガム 、バッサーニオ=リチャード、ポーシャ=アン。そしてアンが夜中に一緒にいた2人を目撃して不審に思い……、まさにそんな感じです。そんな読みができることも記事に書きましたが、このプロダクションはまだその先があります!

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

これも現代的な演出になっていて、アントーニオは、ゲイをオープンにしているだろう(そうでないとしても周りにはわかっている)ITビジネス起業家といった感じで、服装も一寸ラフ。なので一方では若手実業家っぽいサレーリオたちと、他方では金持ちフリーターかニートのようなバッサーニオやロレンゾーたちの両方と交流があります。対するシャイロックは、昔ながらの小売店で頑張ってきた自営業主といったいでたち。一生懸命貯蓄してきたのに、娘のジェシカは金を持ち出して(多分)遊び人ニートと駆け落ちです。勿論ポーシャは更にハイソなお嬢様なので、人種対立というよりは、階級的な対立や憎悪にも見えます。ですが、この演出の焦点はおそらくそこじゃない!アントーニオ、バッサーニオ、ポーシャの関係性が肝だと思います。駆け落ちしたジェシカも……。

 

『妖精の女王』Fairy Queen 

『夏の夜の夢』をパーセルがオペラにしたものです。これは衣装と装置・演出がすごく綺麗でした。タイテーニアが眠る時に蜘蛛の巣の中に絡まったり、ボトム に愛を囁く時に2人でエンドウ豆の船に乗ったり。宙乗り(?)での歌などバロック・オペラ感もありつつ、時にはぎょっとするブラックユーモアの漂う演出も(子供と観に行ったりしたら気まずいんじゃないかと思うような)……。タイテーニアたちの衣装の感じは、どちらかといえばブリテンのとんがった音楽の方に合う気もしました。パックの羽はタトゥー風に背中に描かれていて、それもおしゃれ。

 

ブリテン版と違って、台詞は台詞で役の人がしゃべり、後からググったら、どうも歌はメインの役でない妖精などが歌う形になっているようで、私は途中で“これ誰?”、“俳優と歌手が1人の役を演じてたりするの?”と迷子になってしまいました。アダムとイブも出てきます。ダンスも入っていて、バレエは元々オペラの中で演じられていたんだっけと思い起こさせます。盛り沢山です。

 

取り替え子をタイテーニアとオーベロンが2人で迎えて和解という感じの演出になっている場面の動画をリンクします。ここではパックが出ていないのが一寸残念。何でもかんでも結びつけてしまいますが、和解して2人で子どもを迎える感じが12巻のようだったり、取り替え子の雰囲気にエドワードっぽさを感じます。ただ、この場面も歌っている人は何の役なのって思いませんか?

 


The Fairy Queen: 'Now the night is chas'd away' – Glyndebourne

 

 

スペイン国立バレエ『ロミオとジュリエット』 

ゴヨ・モンテーロ振付。コンテンポラリー的振付で、詳しい方には“違う”と言われそうですが、街のシーンなどはローザスのダンスのような気持ちよさ。キャピレット家の舞踏会のシーンは、マシュー・ボーンの『Sleeping Beauty』での結婚式の場面や、『Swan Lake』の舞踏会場面を思わせる感じでした。似ている、みたいな言い方は失礼だと思うんですが、そこは、うまく説明できないところを何とか近いイメージでわかってもらうためとご寛恕いただければ……。

 

狂言回し的なキャラクターが最初から最後まで出てきて、運命や死の擬人化に見えました。ロミオとジュリエットは、運命に導かれて出会い、愛し合い、引き裂かれ、死を迎えるといった印象。ただ、スペイン語は全くわからず自動翻訳で読んだ限りですが、下の動画でのモンテーロ自身の説明だとそういう解釈ではないのかもしれません。

 

ジュリエットの父は出てこなくて、母・キャピレット夫人と乳母が一人二役というか、ケープを被ると優しくて陽気な乳母で、ケープを脱ぐと厳格な一方で女を感じさせる母になります。それが母親の二面性だったり、愛情と家の体面の間での夫人自身の葛藤を想像させて面白いです。

 

最近、振付の違うロミ・ジュリをいくつも観ていて、直近で観たのがChristian Spuck振付チューリヒ歌劇場のバレエでした。マクミラン版やヌレエフ版はバルコニーシーンでかなり盛り上がるんですが、シュプック版(という読みでいいのだろうか)では、バルコニーシーンでは、まだそれぞれに恋に気持ちが高まっている段階、本当の愛に深まるのは別れの場という印象を持ったんです。また、互いの顔を撫でるような仕草が繰り返され、触れ合い方も優しい雰囲気。対してモンテーロ版は、舞踏会で出会ったところから、恋に落ちたというよりは愛し合うようになった感じで、バルコニーシーンは、ここでもう関係を持ちましたねと思わせるほど官能的でした。どちらもよかったー。

 

魂が惹かれあって少しずつ深まっていく感じのシュプック版は、ロミジュリオマージュもある『薔薇王』第1部のようでモンテーロ版の激しさは第2部のようと言いますか。

 

スペイン国立バレエのものは、音楽も一寸印象が違っていて、弦がクリアで軽快で爽やかな演奏でした。そこも好みでした。

 


"Romeo y Julieta" Compañía Nacional de Danza


 

恋の骨折り損』 2つの版

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーシェイクスピアズ・グローブ、異なる趣の2本でしたが、どちらもちゃんとロマンティックな喜劇です(怖い背景は感じさせません)。RSCは20世紀初頭あたりを思わせるコスチュームで、歌は少なめながら『マイ・フェア・レディ』とかの時代のミュージカルのような楽曲です。

 

SGは衣装も歌・音楽もシェイクスピア時代のものでしょうか、比べると伝統芸能を観ている感じになりました。SG版を観て、『恋の骨折り損』ってすごく様式化されていることに今更ながら気づきました(4組のカップルで、似たような台詞を繰り返す。考えてみれば当たり前なんですが、気がつかなかったんです)。そうでありながら、観客を巻き込み、より即興性やドタバタ感があるのがSG版、ソフィスティケートされた感があるのがRSC版です。

 

ケネス・ブラナー監督の映画しか観たことがなくて、戯曲通りの上演ならまさに『骨折り損』な宙吊りというか中途半端な結末になるのではないかと思っていましたが、観た印象は違いました。そのままでちゃんと、しかも想像以上にいい形に終わるんだと思えた2本でした。独りよがりの想いや計略から相手に対する思いやりに移行する、その転換が見えます。

 

13巻での『恋の骨折り損』オマージュを、一寸悪い方に考えすぎたかもとか思ったりしました。

 

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原ヘッタリーナ    写真AC

 

(5/31記載です。)

ロイヤル・バレエ『冬物語

ロイヤル・バレエの『冬物語』もしみじみする感じでよかったです!音楽もアコーディオンや民族楽器っぽいバンドの演奏が入ったりして素敵でした。

 

なるべくネタバレしない書き方にしたいですが、そうすると意味不明になってしまって難しいですね。シチリア王リオンティーズが、突然、妻ハーマイオニーの不倫を疑い……という始まりで、話を知らなければ、バレエ版の方が原作以上にリオンティーズの視点でハーマイオニーを疑ったり、彼の妄想なのか真実なのか迷ったりしながら物語に入り込めそうな気がします。最後のシーンもバレエになると説得力が増すように思いました。

 

MARQUEE.TVにあるものは平野亮一さんがリオンティーズ役、期間限定無料配信された方はオリジナルキャストのエドワード・ワトソンがリオンティーズ役でした。(日本名だとつい「さん」付けしたくなり、外国名は「さん」付けに抵抗があってダブスタになっちゃいます。)無料配信の方は終了日の情報が2つあり油断して見逃してしまいましたが、もう1回観たいぐらいよくて、見比べたら絶対面白かったはず……。平野さん自身が自分の表現を心がけたとおっしゃっているので、ダンサーによってリオンティーズは異なる印象になるんじゃないでしょうか。

 

spice.eplus.jp

↑こちらにプロモ用の動画もリンクされています。

 

ハーマイオニーはどちらもローレン・カスバートソンだったそうで、聡明で忍耐強く美しいハーマイオニーにぴったり。平野さんは、途中まではとても優しい、妻や子供への愛に溢れているリオンティーズで、単に嫉妬に憑かれたというより、突如狂気に陥ってしまったという演じ方に思えました。それが振り付けでも表現されますが、表情でもおかしくなってしまった人に見えるんです。十数年後のシーンでも、登場時はまだ回復していないか、あるいはずっと閉じ籠もってきたんだろうという感じで、そこから段々元の精神状態に戻ります。臣下のポーライナは、原作では果敢にリオンティーズを戒めたり非難したりしますが、バレエ版では狂気に陥った王にずっと付き添ってきたんじゃないかと思えました。で、王が元に戻ったのを見て「奇跡」を起こすことにした、と。最後の場面の、リオンティーズの安堵と、自責と、愛情がない交ぜになった感じも素晴らしかったです。

 

間に挟まれた村祭りのシーンは幸福感満載で、遺棄された王の娘・パーディタが、育ての父と兄に愛されていることもよくわかります。『冬物語』では、ボヘミア王子が羊飼いになりたがりますが、このバレエだと(パーディタと結婚したいからというだけでなく)そりゃーそう思うよね、と納得してしまいます。

 

シェイクスピアズ・グローブの『冬物語を続けて観たら、原作の方は群像劇として面白いんだなと思いました(こちらはシェイクスピアズ ・グローブの無料配信で観ました)。今観るからそう思うのかもしれませんが、おかしくなった王に、周囲が、時には危険も犯しながらどう対応するかという話になってもいるのですね。ポーライナはtyrannyという言い方もしますし。パーディタのことも「奇跡」も、バレエ版の方は偶然的な僥倖の感が強いですが(周囲の人物も省略されています)、原作の方は人の力で起こされるのだと思えました。