『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

6巻22話戦いと王位を倦むヘンリーについて

(薔薇王の葬列アニメ9話対応)

 

6、7巻は、オマージュの使い方が上手いとか意味の重ね方が深いとかというよりひたすらすごくて、あまり書けることがないかも、書いても微妙かも……と心配しつつ、『ヘンリー6世』(第3部)(以下、HⅥ)との違いなどを追えればと思います。

 

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戦いを憂うヘンリーについて

ウォリック伯の元に戻ったヘンリーに、ウォリックはエドワード王との戦闘が開始されたことを告げました。ヘンリーとウォリックやジョージとのやりとりは、かなりHⅥを踏襲しつつも、戦況やヘンリーの態度についてはHⅥと逆の感じです。

 

HⅥではエドワード王側が国外の兵を率いて攻め込んでくることやロンドンに向かう途中で賛同者が集まっていることが語られた後、ヘンリーがまず「ただちに兵を召集し、たたき返すのみだ」と口火を切っています。それを受けてウォリックと周囲の諸卿が兵を召集する流れになっています。『薔薇』では、ヘンリーはあくまで戦を避けようと「大軍で圧倒」するよう要請し、「外国から借りてきた数合わせの軍など取るに足らんと言うのはウォリックですが、HⅥでは「私には、エドワードの引き連れてきた兵力はわが軍に敵しうるものではない、と思われる」と言っているのはヘンリーです。『薔薇』ではまだ実際にエドワード軍には十分な兵力がなく、それを適確に読んだウォリックの台詞になっているのに対し、HⅥでは既にエドワード軍は互角か勝機があるような状況で、それが認識できていないヘンリーの台詞になっています。

 

3巻12話などでも、HⅥではヘンリーの台詞を一部転用するような形で、情勢についての語りをウォリックとリチャードが担う形になっていましたが、ここも同様の転用がされています。3巻10話の記事で書いたように、HⅥ(3)の2幕5場を基調にして(「いっそ死んでしまいたい、それが神のみ心なら!この世には苦しみと悲しみのほかなにもないのだから。(中略)私にはどんなにしあわせと思えることか、貧しい羊飼いにすぎぬ身の上で暮らすことが!」)、『薔薇』のヘンリーはここでも戦争やそれが絡む王座を拒否しています。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

HⅥでは、ヘンリーの甘い状況認識に対してエドワード軍の兵が増えることを警戒する側近達の発言がなされ、そこに以下のヘンリーの台詞が来ます。

 

ヘンリー その恐れはあるまい、私は名君との評判を得ているから。私は国民の要求に耳をふさいだことはなかったし(中略)私は彼らの富をまきあげようとしたことはなかったし、彼らに臨時特別税を課して苦しめたこともなかったし(中略)彼らが私以上にエドワードを愛するはずはない。

 

『薔薇』では下線部の台詞を使って、何が問題か理解できない点は通底させつつ、「僕は…悪い王様だったかな……」に続いてそれが語られ、「僕は王になんか…なりたくなかったんだ……」と言われることで、HⅥとは逆のニュアンスが引き出されています。もちろん台詞が逆にされている訳ですが、舞台などであればこういうニュアンスで喋らせるための翻訳の改変とも(一寸無理して)言えそうです。素直に読んだ時と、舞台や映像で観た時とすごく違う印象になった、みたいな演出的采配を感じる箇所です。

 

更に言えば、23話以降でもう一度HⅥ2幕5場のエピソードが使われているように思います。そしてそこでむしろ『薔薇』のヘンリーは王として振る舞おうとするのに、それを否定されることになっています。

 

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https://www.pakutaso.com/20150452112crimson.html

 

ジョージの翻意について

決戦に備え、ウォリックは、フランスから戻るマーガレットたちの迎えにジョージを赴かせました。その途中でジョージは、リチャードとエドワード王と遭遇します。ジョージ軍とエドワード王の軍は、多勢に無勢という状況でしたが、「王にお仕えする為にここに来た!」と言ったジョージは、ウォリックに反旗を翻してエドワード軍に加わります。それによって形勢が逆転し、リチャードらは手薄になったロンドンのヘンリーの元に攻め込みます。

 

このジョージの翻意、ドラマティックですよね。そしてジョージがかっこよく描かれている数少ない場面(←不憫)と言ってもよいかもしれません。エドワード達が無勢であったことがそれを引き立てます。

 

『薔薇』ではジョージが寝返る背景やそのための策略が丁寧に描かれてきましたが、実はHⅥではこういった描写が一切ありません。ウォリックとの対立や王位が望めなくなった様子もなく、開戦後にジョージが突然エドワードの側につく形です。23話で描かれている場面が前触れなく来る訳です。予想外の展開なので上演上は効果的なのかもと思います(観客の多くはどうなるか十分知っていた気もしますが)。ただ、読んでいると「え?いきなり?」という感じでやっぱり腑に落ちないんですよ。それを納得がいく形にされ、しかも両軍が遭遇するという劇的な展開にされています。

 

また、この場面でのジョージの台詞は、元のHⅥでは、エドワード王に復位する気があるかどうかを試して味方についた騎士(モンゴメリー)の言葉です。それがアレンジされることで場面を盛り上げていて、こういう細かい工夫が素晴らしいですよね。

 

閨房の義務と被害について

そして今話では多分オリジナル展開としての、ランカスターのエドワードとアンの初夜と、マーガレットの回想でのマーガレットとヘンリーの性関係が描かれました。愛のない結婚であれ夫婦である以上は仕方ないこととはいえ、家臣の前で行うことになるという王の閨房事情にも触れられ、エドワード達は母親マーガレットの前で性関係を強要されます。それが、絵的には露骨な描写がないにもかかわらず、生々しい印象を生んでいる気がします。

 

とはいえ、その後にマーガレット達との対比が来ると、エドワードが「いいのか」とアンに対して思いやりを見せたり、アンが覚悟を決めていたり、強要されてはいても2人の関係が必ずしも酷いものではないと思えるのです。また、マーガレットに煽られたためであっても、エドワードが主導権を取る形になったこともむしろ幸いしたとも言えそうで、その後も2人が傷つかず徐々に信頼を築いたことが納得できるようになっています。

 

マーガレットとヘンリーについては、本当に踏み込んで描かれたシーンだと思います。19話でマーガレットが「どちらかが嫌だと言うのなら、力づくでモノになさい」と語ったような展開です。わずか2頁で、(これまで母親への嫌悪も示されましたが)ヘンリーが愛や性を拒絶する大きなトラウマ的背景が描かれ、それがヘンリーに与えたダメージ、エドワードがヘンリーの実子だろうこと、にもかかわらずマーガレットやエドワードに無関心な理由がわかる形になっており、加えてこの後の布石にもなっています。

 

男性が女性から受ける性被害を描いた点でもすごいですし、同時に、義務としての夫婦関係が示されこちらもエドワード達と対比されることで、マーガレットが置かれた状況もよくわかる形にされています。まだ若いマーガレットが、家臣たちの見守る中で嫌がるヘンリーと関係しなければならない屈辱と残酷さ。同じ19話でマーガレットは、ヘンリーと初めて食事をした時エドワード達よりまだ会話があったと言っていましたが、こちらは2人ともが傷つき、更に気持ちが離れてしまったのではないかと思えてきます。

 

互いの名を呼ぶリチャードとヘンリーについて

22話では相対的にリチャードがフィーチャーされず、21話と同様、羊飼いヘンリーと一緒に暮らすために、父の仇の王ヘンリーを討とうと考え、王宮に乗り込んでいくというところで幕でした。リチャードは、仇を捉えようと「ヘンリー…」と呼び、ヘンリーは1年経てばリチャードに会えると考えて「リチャード…」と口にする皮肉な運命です。

 

心配した通り短めになってしまいましたが、今回はこんなところで。

 

(※HⅥ は小田島雄志訳・白水社版から引用しています。)
 
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