『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

MARQUEE.TVのシェイクスピア・コレクション(2)

紹介・感想記事がどんどん長くなってきちゃって、第2段で分けました。今回の『ハムレット』と『夏の夜の夢』の感想は『薔薇王』とあまり関係ないですかね……。なのに『薔薇王』の記事を引いたりしてしまいましたが。

 

ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー 『ハムレット

All Blackではないものの、ほぼ黒人俳優のみのハムレットです。(演出サイモン・ゴドウィン。)ジェンダーや人種をミックスした上演が当たり前になってきていますが、All femaleやAll maleでの上演が意味を持つように、このキャスティングは意味を持っています。セットや先王のコスチューム、音楽もアフリカ的で、台詞は「デンマーク」のままですが現代のアフリカの国の設定になっていると思われます。そしてその設定が、劇中劇場面などで視覚聴覚的な魅力になると同時に、ハムレットの造形にも生きていると思います。ローゼンクランツとギルデンスターン、台詞がない臣下と、そして原作にはない最初のヴィッテンベルク大学場面での学長(?)が白人キャスト。ローゼンクランツ達は旧知の仲であっても国外の友人で、本当の国内事情は知らないんだろうと想像させます。

 

また、ギルデンスターンは女性にされています。最近この設定がよくある気がしますが、この演出ではそれによって、尼寺の場と、ギルデンスターンにハムレットが怒る場面(彼女に笛を吹けと言う場面でこのハムレットは怒ります)の類似性を見せている気がします。それもあって、一方に親や王の言うなりにハムレットに接するオフィーリア、ローゼンクランツ、ギルデンスターン、他方に信頼できるホレーシオ、マーセラス、バナードー、という線引きもされる感じです。オフィーリアが(国内の人間ですがハムレットへの対応の点では)ややローゼンクランツ達に近い位置づけにされているように思うのです。と、こんな演出や設定で、ついつい長く書きたくなります。ここまでネタバレ的に書いておきながら、自制して削った箇所もあったり……。

 

引き続きネタバレ的ですみませんが、最初に戯曲にはないヴィッテンベルクでの学位授与式場面があり(ここで授与する学長役?が白人)、ハムレットが笑顔で証書を受け取った途端に暗転、故国での葬儀場面、そして原作の最初の場面になります。で、クローディアスが初めは現代的な正装の軍服を着ているんですよ。この流れで、ヨーロッパに留学して勉強を続けたかったハムレットが、周辺諸国との衝突もある軍事国家に戻されてしまい、クローディアスの統治の仕方もきっと気に入らないんだろう、という想像(妄想)がぱーっと喚起されました。

 

パッパ・エシエドゥ(Paapa Essiedu)によるハムレットは、王位継承の重圧の下にある現代の若者の感じがしました。おうちシアターの記事の方に載せているエイドリアン・レスターのハムレットについて、演出家のブルックがレスターは現代の若者的と言っていたものの、私は王位継承者感はないけれどどこか高貴な王子を感じ、エシエドゥには逆に王位継承者ではあるけれど現代の若者という印象を持ちました。(加えて、様々な人種が出てくるブルック版『ハムレット』では、レスターは黒人である以上に魅力的な俳優であることが目立ちますが、ゴドウィン版『ハムレット』では人種と国家背景が、王位継承も含めたハムレットの葛藤と関連づけられていると思います。)モダナイズされたイーサン・ホークとかアンドリュー・スコットハムレットは現代の人物の感じですが、エシエドゥには彼らとも異なる王位継承の束縛が感じられます(スコットのは一部しか観ておらず、そこからの印象ですが)。

 

上述の想像=妄想での思い入れでそう見ているところもあるかもしれませんが、父の敵討ちも含めて、はずれた国の箍を元に戻すことを自分の使命と受け止めながらも、留学先での勉強やアートが好きで、その使命が負担でもあるハムレットという造形のように思いました。“何を愚図愚図しているんだ!”と焦る一方、“亡霊は実は悪魔かも”の台詞などでは逃避したい揺れを感じます。「いまの世の中は関節が外れている、うかぬ話だ、それを正すべくこの世に生を享けたとは!」エシエドゥ・ハムレットの葛藤の中心はそこにあるように思え、母親への愛着や、オフィーリアへの愛情や不審は、私にはそれほどは感じられませんでした。

 

(ちなみに『薔薇王』では、この“世界を正す”箇所は、14話でウォリックのエドワードに対する謀反の理由に使われていたんじゃないかと思います。) 

baraoushakes.hatenablog.com

 

 

河合祥一郎先生が、古典的なハムレットのあり方は、世界の秩序を取り戻す任を負うことで、母親への愛着、女性不審、優柔不断な性格という解釈は後世のものみたいなことを書いているのですが、そんな古典的な面と、それが背負いきれず不安定になる現代的な面の混合を感じます。で、エシエドゥ・ハムレットの後者の現代的な面に私は魅力を感じてしまうんだろうと思いました。……レスター、スコット、エシエドゥ、うるうる泣いている系ハムレット、好き……。スコットのハムレットもレンタルとか配信とかしてもらえないでしょうか。課金は喜んでします。

 

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(※「」部は『ハムレット小田島雄志訳・白水社版から引用しました。)
 

 

『夏の夜の夢』2本(としつつ、看板に偽りあり)

ロイヤル・バレエ『夏の夜の夢』“The Dream”スウェーデン王立バレエ『夏の夜の夢』(Royal Swedish Ballet,“Midsummer Night’s Dream”)。この時期だからでしょうか、『夏の夜の夢』は無料配信も増えてきた気がします。おうちシアターの記事の方で項目を追加しました。

 

ロイヤル・バレエの『夏の夜の夢』“The Dream”は、メンデルスゾーンの音楽を使ったアシュトンの振付。驢馬になったボトムの男性ダンサーが、蹄を表現するようにトウシューズで踊ったりします。アーサー・ラッカムの絵のようと書いている記事があって、まさにと思いました。

 


Ashton: The Dream/Symphonic Variations/Marguerite and Armad (The Royal Ballet)

 

確かにここで引かせてもらった絵のような雰囲気です。

baraoushakes.hatenablog.com

 

上の記事内でリンクしているのはバランシン振付のもので、フォーメーションが綺麗で音楽的なバランシン版に対して、アシュトン版は足技が細かくコミカルで演劇的でしたが、それはバレエ好きの方ならこの作品を観なくてもわかる定型的な言い方ですよね……。逆にバレエはあまり観ないという方に追加の説明をすると、CMなどでも使われた『ピーター・ラビット』の被り物のバレエの振付家がアシュトンです。あの可愛らしさと華麗な足捌きから雰囲気をご想像いただけるかもしれません。この作品では、足捌きの軽やかさが妖精が宙に舞う感じを出している気がします。アシュトン版が可愛らしくてラッカムの絵を思わせる感じだとすれば、バランシン版は、全体の配置が美しいペイトンの絵の感じでしょうか。

 

 

 

で、“看板に偽りあり”なのは、ロイヤル・バレエのタイトルが違うからではなくて、スウェーデン王立バレエの『夏の夜の夢』がシェイクスピア作品とは関係ないからです。(アレクサンダー・エクマン振付のこの作品はシェイクスピア・コレクションにも入っていなくて、バレエのカテゴリーの中にあります。)でも、なんだか脳に快楽物質が分泌される気がするような作品で、無理に託けて紹介してしまいました。『薔薇王』とも関係なくてすみません。意味はわからないまま気持ちよさだけで観ました。

 


Midsummer Night's Dream | Alexander Ekman & Royal Swedish Ballet | 2016 (DVD/Blu-ray trailer)

  

ついでながら、エクマン振付の“A Swan Lake”(←Aが付いています)も不思議な作品で、1幕は『白鳥の湖』作成の経緯を絡めたらしいすごくシュールな展開で、音楽もチャイコフスキーの『白鳥の湖』が壊されて再構成された感じの曲が使われています。マツ・エク版白鳥も超えるぐらいシュール。ですが、これは多分2幕がメインでしょう。白鳥、黒鳥らしきキャラクターは登場しますが、それより水の仕掛けと群舞(?)に目を見張ります。

 


A Swan Lake (Trailer)

 

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Arthur Rackham, Public domain, via Wikimedia Commons