『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

モネ劇場、ドニゼッティ作曲『バスタルダ』(Bastarda)感想

1つ前の“The Queen’s Guard”感想記事で、『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』や『王国の子』を彷彿とすることを書いたら、エリザベス1世のオペラも配信されていました。(前から配信されていたようなのですが、“The Queen’s Guard”の感想記事をアップしてから知りました。)

 

配信終了当日の更新になりましたが、一応最後まで観られました。部分的に観るとすれば、個人的には、第1話の戴冠式シーンと第6話がお勧めでしょうか。第6話は流れで観るから面白いのかもしれませんが。

 

www.arte.tv

 

ドニゼッティテューダー朝3部作(『アンナ・ボレーナ』『マリア・ストゥアルダ』『ロベルト・デヴリュー』)と『ケニルワース城のエリザベッタ』の4作をエリザベス1世年代記に再構成した作品とのことで、全部で6話あります。

 

www.lamonnaiedemunt.be

 

以下がtrailer。


www.youtube.com

 

第1話

第1話はエリザベスの幼少時から戴冠の少し後まで。演劇部分が多めの印象です。戴冠式場面がとても美しく、オーケストラ・ピットの上にレッドカーペットの道が渡され、舞台にいる子ども時代のエリザベスに向かって客席から登場した大人のエリザベスがゆっくりと歩いていく様がまさに劇的。客席も皆立ち上がって全体で戴冠場面を作っている感じです。以下の画像通りの長い髪を下ろしたスタイルと衣装も素敵でした。ケイト・ブランシェット主演の『エリザベス』も同様でしたね。黄金色の衣装のエリザベスを黒衣の臣下達が囲んで踊る場面はコンテンポラリー的でスタイリッシュ。構成と演出的には、子どものエリザベスがずっと登場していて彼女の不安や私的な内面(inner child)を表現しているのも見所なのでしょう。

 

After Levina Teerlinc, Public domain, via Wikimedia Commons

filmarks.com

 

第2話

エリザベス、レスター伯ロバート・ダドリー、その妻のエイミーの三角関係と、一世代前のエリザベスの母アン・ブーリン、父ヘンリー8世、彼の次の妻のジェーン・シーモアの物語が並行して進行します。(史実ではロバート・ダドリーがレスター伯になったのはエイミーの死後ですが、役名がレスターなのでレスターと記載することにしました。)エリザベス達の話は『ケニルワース城のエリザベッタ』、父母世代の話は『アンナ・ボレーナ』からでしょうか。これはうまい(そしてエグい)描き方ですね。王が権力を笠に犠牲者を生む構造が示されます。元の『ケニルワース城のエリザベッタ』のあらすじはわからないものの、今作では、ジェーンと父が結婚するために犠牲になった母、苦しんだジェーンを思い起こし、エリザベスは、レスターを諦め彼に妻に感謝するように言い、愛の平和を取り戻せるなら女王として幸せだとレスターと妻の関係を修復しようとさえします。おそらく原作でもエリザベスが寛大さを示す展開だろうと想像しますが、『アンナ・ボレーナ』が挟まれることによって、彼女の動機と心情が掘り下げられ説得的なものになる気がしました。

 

しかし、更に演出が加わっており、この大人で女王のエリザベスが想いを断ち切ろうとしているのに、inner childとして登場する子どもエリザベスは全く納得せず、レスターと妻の間に割って入ったり、大人エリザベスからの心を慰めるような抱擁を拒否したりします。また、エリザベスの仲介にもかかわらず、エイミーは夫の裏切りを許せず、悲しむアリアを歌った後、今作では(原作も?)階段から落ちて亡くなります。子どもエリザベスは、その死を喜び、きらきらした紙吹雪を撒いて、二重人格的にも見えます。

 

第3話

いよいよ『ふたりの女王』的な第3話、第4話。1〜3話、4〜6話を別日上演だったようです。元の『マリア・ストゥアルダ』を観たことがないので正確なところはわからないものの、あらすじなどを読むと割合そのまま持ってきたのだろうと思います。メアリー・スチュアートのコロラトゥーラもあるし、エリザベスとメアリーの二重唱も(レスター伯ロバート・ダドリーとの三重唱も)あって、特に第3話はオペラ的な盛り上がりを感じました。

 

ただ、多分『マリア・ストゥアルダ』を単独で観るのとはかなり印象が違うんだろうなと想像しました。元の方はタイトル・ロールのメアリー・スチュアートがやはり悲劇のヒロインで、エリザベスは共感可能な敵役的ダブル・ヒロイン、レスターは愛するメアリーを救おうとしながら、そのためにエリザベスの不興を買って却ってメアリーを窮地に追い込む皮肉な立場というところかと思います。政治状況も少し触れられるものの、エリザベスは、嫉妬と、メアリーによる「庶子」(Bastarda)という罵倒によって処刑を決定します。メアリーがそんな罵倒をしたのは、その前にエリザベスがメアリーを不貞と夫の殺害嫌疑で侮辱し、怒りにかられたためではあるのですが。元の方単体なら三者それぞれの心情に入り込んで鑑賞できたかもしれません。ですが、今作だと第2話がエリザベス→←レスター←妻エイミーの三角関係で、第3話でも三角関係、しかも、メアリー(→)←レスター←エリザベスになっている訳ですよ。史実のレスター伯ロバート・ダドリーの方が更に恋愛沙汰は多かった模様ながら、“レスター、お前……”みたいな気持ちになり、メロドラマ的悲劇性は薄れたかもしれません(ひょっとしてそれも狙い?)。

 

引き続きエリザベスの父ヘンリー8世と母アン・ブーリンの幻影が登場するのですが、『アンナ・ボレーナ』を挟んでいるというより、元の『マリア・ストゥアルダ』のウィリアム・セシルのパートをヘンリー8世に変更しているのかなと思います。父ヘンリー8世の幻影がメアリー・スチュアートの処刑をすべきだと言う形です。処刑する相手との関係性は異なるものの、恋愛絡みで王が誰かを処刑することがやはり重ねられているかもしれないと思いました。加えて、メアリーによる「庶子」という罵倒は、正妻の立場を奪われ処刑されたアン・ブーリンを貶めるものでもあることがよくわかり、その深刻さが際立つ形になったと思います。

 

第4話

元の『マリア・ストゥアルダ』では、エリザベスとメアリーの対面の直後に(セシルやレスターがそれぞれ進言する場面が入るものの)メアリーの処刑という展開だと思います。ですが、今作では歴史に忠実にその間に19年の歳月があることが示されます。『マリア・ストゥアルダ』や第3話では、冒頭に言及した“The Queen’s Guard”より政治的背景抜きかも、と思ったくらいですが、第4話ではその間の情勢が年表的にではあれかなり言及されます。第4話でもセシルの役がヘンリー8世に変更になっていて、エリザベスは父の幻影からメアリーの処刑を促されます。処刑前に死を覚悟したメアリーは、第2話のエイミーと同様の衣装、同様の場所で歌っていて悲劇の反復も思わせます。

 

メアリー処刑の時点でエリザベスは50代半ばになっている訳で、政治情勢と恋愛・私情に悩むうちにあっという間に歳を取っていくという描き方はシビアで面白いと思った一方で、オペラとしての劇的展開やまとまりは犠牲になった気もします。オペラとしてはメアリーが死にゆく場面の歌に魅せられますが、物語的にメインにならずそこが浮いてしまう感じもしました。

 

第4話の最後ではinner childとしての子どもエリザベスが、外見は子どもでも歳を重ねた冷徹な君主然としていて、中盤で大人の方のエリザベスが人形を抱いて心許なく迷いを見せています。第4話冒頭では屈託なくお人形遊びをしている子どもエリザベスの変化。メインの歌手の方達はもちろん、子役のネヒール・ハスレット(?Nehir Hasret)が素晴らしいです。

 

第4話最後の衣装はこちらあたりが参照されていそうでした。

Marcus Gheeraerts the Younger, Public domain, via Wikimedia Commons

 

第5話

第5話から『ロベルト・デヴリュー』。第4幕最後でレスター伯ロバート・ダドリーは亡くなっていて、ここからはエセックス伯ロバート・デヴァルーを巡る三角(四角)関係です(また!)。エリザベスはデヴァルーを寵愛していますが、デヴァルーはサラと相思相愛。ですが、父親を亡くし立場が弱くなったサラは、デヴァルーが戦争で不在の間にエリザベスにノッティンガム公と結婚させられていました。

 

この元の話に添いながら、第5話冒頭では子どもエリザベスがお菓子が欲しいと駄々をこね、それはデヴァルーへの寵愛の比喩に思えます。デヴァルーとサラが互いへの想いと結ばれない嘆きを歌う箇所では、子どもエリザベス達(ここでは子役のハスレットの他に、複製のような同じ髪型・白メイクで黒衣の何人もが登場します)がうごめき、エリザベスの策謀と執着のように見えます。

 

第6話

第5話より更に悪夢っぽくなり、エリザベスがデヴァルーの裏切りを疑い処刑を迷う場面では、多分『アンナ・ボレーナ』でのアン・ブーリン錯乱のシーンが挟まれます。錯乱するアン・ブーリン起き上がり小法師のように揺れるヘンリー8世とヴェールに隠れているジェーン・シーモア/サラ(=元々この一人二役)が登場。次の場面では、亡くなったはずのレスターとデヴァルーをエリザベスが両手に花のようにあしらいます。元オペラのノッティンガムをレスターの幻想に変更したのかなと思いました。おそらくデヴァルーの処刑を命じるエリザベスが狂気に陥っているという描き方の気がします。

 

更にエリザベスが自分のスカートの中に沈み込んで隠れたようになり、スカートの布部分が外れると以下の画像のように彼女が檻に閉じ込められたようになっています。そこに再びヘンリー8世アン・ブーリンの幻影が現れますが、ここでは母のアンがエリザベスにとても冷たい態度です。ここも曲は『アンナ・ボレーナ』が入っているのかもしれません。不倫の事実がなかったのにその嫌疑で処刑されたアンとデヴァルーが重ねられていそうです。

 

Bastarda | La Monnaie / De Muntより

 

エリザベスが中止を宣言するも既に処刑は実行され、衝撃を受けた彼女はジェームズ1世に王位を譲ると宣言します。元の『ロベルト・デヴリュー』はこれが終幕で、今作もエリザベスが亡くなったというナレーションも入りますが、エリザベスも化粧を落とし(あるいは歌手ミルト・パパタナシウが、と考える方がよいのか)エミーやメアリー・スチュアートと同様の白い衣装に黒髪を結わずに最後の歌を歌います。ここに『マリア・ストゥラルダ』の最後の、死にいく場面のメアリーが歌うアリアが使われていました。ジェームズ1世(メアリーの息子)に王位を譲るエリザベスが、メアリーと同様に王位の犠牲になったということなのでしょうか。

 

『ロベルト・デヴリュー』だけはMET上演のものを観たことがあって(曲までは覚えていないんですが)、MET版はエリザベスの老い(老醜と言ってもよい)を容赦なく描いていたのに対して、こちらは狂気と悲劇の反復の残酷さで来たかーという感じでした。音楽の派手さが却って恐ろしさや狂気にはまるのでしょうね。

 

キャスト情報は上の劇場のサイトに記載されているのですが、配信後にリンクできなくなるといけないのでこちらにも載せておきます。


Conductor & Musical arrangements FRANCESCO LANZILLOTTA

Artistic concept, Script & Direction OLIVIER FREDJ

Adaptation & Dialogue YANN APPERRY & OLIVIER FREDJ

Set design & Lighting URS SCHÖNEBAUM

Costumes PETRA REINHARDT

Video SARAH DERENDINGER

Choreography AVSHALOM POLLAK

Artistic collaboration CECILIA LIGORIO
Dramaturgy MARIE MERGEAYChorus masterGIULIO MAGNANINI

 

MYRTÒ PAPATANASIU (Elisabetta)

SALOME JICIA (Anna Bolena)

ENEA SCALA (Leicester)

LUCA TITTOTO (Enrico)

RAFFAELLA LUPINACCI (Giovanna Seymour & Sara)

VALENTINA MASTRANGELO (Amy Robsart)

LENNEKE RUITEN (Maria Stuarda)

SERGEY ROMANOVSKY (Roberto Devereux)

BRUNO TADDIA (Nottingham)

DAVID HANSEN (Smeton)

GAVAN RING (Cecil)

NEHIR HASRET (Elisabetta child)

 

アン・ブーリン → エリザベス は『セシルの女王』もありますよね。