『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

9巻38話ジョージ暗殺について

(薔薇王の葬列アニメ14話対応)

 

38話は台詞の1つ1つや設定がHⅥ、RⅢ、史料と複雑に絡まっていて本当に濃密な展開になっていると思います。いや、他の回も同様なのに、気づいていないのかもしれませんね……。

 

(※『ヘンリー6世』(第一部)(第二部)(第三部)はHⅥ(1)(2)(3)、『リチャード3世』はRⅢ、『薔薇王の葬列』は『薔薇』と表記します。
翻訳は、HⅥ(2)は松岡和子訳・ちくま文庫版、HⅥ(3) は小田島雄志訳・白水社版、RⅢは、河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)
 

「地獄をもたらす」「悪魔」について

37話で出てきた男が、リチャードをグロスター公と知り、身体の秘密を町で触れて回ります。その男の「王宮に悪魔がいる」という言葉が、ジョージの元に行くリチャードの正面のアップに重ねられています。

 

「悪魔がいる」は、兄の暗殺という「悪魔」的な行為となぞえられているでしょうが、その重ね方はRⅢにも見られます。RⅢでは、暗殺を依頼する前にリチャード自身が「聖者ぶりが板につけば、悪魔の演技は完璧だ」と独白します。また、ジョージの投獄で揉めているところに、マーガレットが割り込んできて(RⅢではマーガレットがイングランドの王宮に残っています)王子エドワードやヘンリーの殺害を言い立て「生まれながらにして烙印を捺された者、悪魔の申し子」とリチャードに呪いの言葉を吐きます。そしてバッキンガムに「用心しろ。あの体には罪と死と地獄のしるしがついている」と警告するのです。

 

『薔薇』では男の話をジェーンが耳にして、バッキンガムに伝えていますね。

 

(ところで、RⅢのこの箇所を見て、マーガレットが「バッキンガム、その手に口づけしよう。おまえとの同盟、友好のしるしだ」と言っていたことに気づきました。8巻35話でバッキンガムがリチャードの手に口づけするのって、ここと掛けられている?)

 

ジョージの元に赴くリチャードは、余白の独白で〈この世が地獄なら天国を夢見ればいいこの世の先に天国はない、何処まで行っても、共に地獄に堕ちる者さえ〉と語ります。ジョージのことを言っているようにも、リチャード自身のことを言っているようにも見えます。これも原典の複数の台詞と、そしてもちろん7巻のリチャードとヘンリーの件と結びついているだろうと思うんです。

 

まずは、リチャードがジョージに向けた「だからすぐにもその魂を天国に送ってやろう」という暗殺と直接関係するRⅢの台詞。そして何度か登場しキーになっているHⅥ(3)のリチャードの独白「今後は生きているかぎりこの世を地獄と思おう」。更に、マーガレットが上述の場面でリチャードに言う「恥じて地獄に行き、この世を去れ。この悪魔め、それがお前の王国だ」(RⅢ)という台詞。

 

そして、『薔薇』ではセシリーが途中で待ち構えていて、「悪魔が地獄をもたらす」とリチャードに食ってかかります。セシリーがRⅢのマーガレットの役割を兼ねてもおり、また、自分にはジョージ暗殺の犯人がわかっているとセシリーが話す場面(RⅢ2-2)とミックスされているんじゃないかと思います。

 

ここだけでも十分凄いんですが、更に話の混ぜ方の絶妙さが出るのはこの後です。

 

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ジョージと裁判について

RⅢではジョージは投獄されそのまま暗殺されるのに対し、史料ではジョージの裁判が開かれたという記載もあるそうです。(しかも刑を言い渡したのはバッキンガムとのこと。史料についての情報は、ほぼ、石原孝哉『悪王リチャード三世の素顔』からです。)

 

38話でもRⅢと史料との間に巧みに話が落とし込まれています。裁判の話が入ることで、ウッドヴィル(エリザベスの親族)との対立という背景についても史料に近い形になり、また、その対立を煽ったリチャードとバッキンガムの策略がRⅢ以上に巧妙なものとして描かれます。RⅢではこの件に関与していないバッキンガムがその策略を提案しています。加えて、そのような展開になることでここもHⅥ(2)にも近い話になっています。

 

ジョージの投獄がエリザベス達の企みによるものだ、とリチャードがジョージに告げるのはRⅢ通り。直接名指しをするRⅢに対し、『薔薇』ではここも「“悪魔”の企み」と同じ「悪魔」という言葉で仄めかすのみですが、更に違ってくるのは、リチャードがわざと牢の鍵を置いていき「死刑判決が下される」とミスリードすることです。リチャードに煽られたジョージは、“実は(ジョージの、ではなく)呪いを行なった呪術師を裁くための”裁判に乱入してエリザベス達やエドワード王を非難します。

 

RⅢでリチャードは、エリザベス達の陰謀だとジョージに告げるだけでなく彼女達に直接非難を向けています。陰謀だという非難や、エリザベス達が身分の低い成り上がり者であることは、RⅢではリチャードが語る台詞であり、また内輪揉めの中で相手を罵る形ですが、『薔薇』では公的な場でジョージが「謀反」のように騒ぐ形になっています。正式な裁判もなく自分を殺すのは不当だ、というジョージの台詞も、RⅢでは殺し屋に向けられた真っ当な言葉であるのに対し、『薔薇』では裁判に乱入して言う被害妄想や暴言のように聞こえる仕掛けになっています。

 

この展開によって、呪いの実行と、エリザベス達との対立やエドワードへの反逆という史料に近い外観を呈することになり、その裏にはRⅢのような策略があるという話になります。

 

また、リチャードに非難され侮辱されたエリザベスが、「これまで我慢してきた罵詈雑言、誓って陛下のお耳に入れます」と怒り、2人があからさまに対立するのがRⅢ。『薔薇』では、リチャードが、名誉を傷つけられたエリザベスの意見を聞くべきだ、と、忠信を装ってエリザベスに処刑の責任を負わせ、エリザベスは、私の名誉は問題ではないが謀反を見逃せない、とこちらも殊勝に振舞って進言します。

 

そしてここも引き続き、HⅥ(2)の、エリナーの夫のグロスター公ハンフリーの暗殺と似ています。エリナーの追放と呪術師の処刑後、グロスター公は、賄賂の件で大逆罪の嫌疑をかけられます。自分を失墜させ命を奪うための陰謀だ(実際その通りなのですが)、と言うグロスター公はその関係者を非難します。

 

切れ者バッキンガム〔=先代〕はその下で心にわだかまる悪意を吐き散らし、頑迷なヨークの犬めは……偽りの告発を武器に私の命を狙っている。そして、お妃様〔=マーガレット〕、あなたは……全力をあげて陛下〔=ヘンリー〕のお心をあおり立てた。(HⅥ(2))

 

しかし、逆にその言葉を捉えて「彼はこともあろうにお妃様まで無礼千万な言葉で槍玉にあげた」(HⅥ(2))と言われます。この時はヨーク公らとともに陰謀に加担しているマーガレットは、「私なら平気です」と言いつつ、彼らと共謀し、謀反の危険があるという理由で裁判前にグロスター公を暗殺します。

 

昔日の思い出について

38話ではエドワードが王位がもたらす対立や王位の虚しさを語ることはありませんが、ジョージが「王侯の栄誉など虚飾に過ぎん」「安眠を失う代わりに不安と悲しみを手にしただけだ」と語ります。そしてエドワードがジョージを慮り、かつての家族の思い出を語る場面とここが交互に展開されることで、ジョージとエドワードの思いが重なって読めます。このジョージの台詞は、RⅢではジョージを見た家臣が言っているもの(に『ヘンリー4世』の台詞をアレンジしたもの?)ですが、ジョージに語らせることで、エドワードとの共振性が出ますよね。38話の表紙は兄弟3人の画でしたし。

 

王位のための対立や虚しさは、『リチャード2世』から『リチャード3世』までの史劇の主要モチーフの1つとも考えられ、各作品で類似の台詞が出てきます(BBCのこの史劇のシリーズ名が『リチャード2世』の台詞から取られた『ホロウ・クラウン』(The Hollow Crown)とされているのもそのためでしょう)。ジョージとエドワードについても、これが強調される形になっているように思います。

 

その一方で、エドワードやジョージがかつての家族の暖かい絆や思い出を語る中でも、母親セシリーが言った魔女や悪魔の話が出てきたり、幼いリチャードが取り残されている画が出てきます。エドワードやジョージにとっては暖かい家族の思い出や絆でも、リチャードには違っていること、それが兄弟には見えていないこともしっかり描写されています。もう本当に抜かりがなく、どれだけ密度が濃いのだろうと驚くばかりです。前半のセシリーの登場も、これを際立たせる効果もあったことがわかります。

 

ジョージ暗殺について

エドワードがジョージの処刑を覆した裏でリチャードが暗殺を指示することも、眠っているジョージのところに暗殺者が来てワインで溺死させるのもRⅢ通りです。

 

「ワインを一杯くれ」(RⅢ)は、元はここでのみ語られる台詞で、そこにちょうど殺し屋が殺害のためのワインを持ってきていたというシンプルなものです。『薔薇』ではリチャードの苺と同様、ジョージのワインもずっと前から出てきており、8巻では「樽ごと持ってこい」(……!)という台詞もありました。第2部になってからは依存を思わせる描写があり、38話前半での「ワインをくれ…!」は離脱症状のように描かれていました。RⅢでの暗殺場面と掛けつつ、ヨーク家にとってジョージが厄介な存在になっていることや、裁判の場で妄言を言っているようにみえることに非常に効果のある設定だと思います。そんなジョージに、エドワードが処刑の前にワインを差し入れてやれと言ったわけです。

 

そして暗殺の場面では、RⅢでジョージがワインで溺れる予兆のような夢の話であったものが、まさに死にゆく時に見る光景として絵だけで描かれています。漫画化や映像化の醍醐味ですね。9巻出色のシーンの1つだと思います。

 

クラレンス ……私はまっさかさまに大海原の怒濤の中へ落ちていった。……目に迫る醜い死の光景!千艘もの難破船のぞっとするような残骸があり、千人もの男たちが魚に食わ れていた気がする。金の延べ棒、巨大な錨、真珠の山、無数の宝石、高価な宝玉、そういう ものが海底一面に散らばっていた。(中略)それからゆらゆらと現れたのは天使のようなだ。(RⅢ)

 

『薔薇』ではこの「天使のような影」がイザベル! 不幸な結果になったジョージとイザベルですが、互いを想い合う最期でした。リチャードが「誰とも似ていない」、「地獄に共に落ちる者」さえいないと言うことと対照をなしてもいます。RⅢでの「影」はイザベルではないのですが、なんと美しく転換されていることか。

 

 

……と、本当にそう思っていたんですよ。そう思って書いていました。

 

でも待って。

この後の台詞、こう続くんでした……。

 

ゆらゆらと現れたのは天使のような影だ。輝く金髪は血まみれだった。(RⅢ)

 

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acworks    写真AC

 

ジョージを殺害するティレルについて

「金髪」の「天使のような影」は、RⅢではジョージに殺されたことを恨む王子エドワードで、ジョージは恐ろしさに震え、またその後、殺し屋たちにも忠誠を誓ったランカスターの王子を殺した罪があると言われ、報いのように殺害されます。王子エドワードの代わりに、『薔薇』ではティレルが暗殺者として登場。ジョージは「どこかで見覚えがある」と言い、ティレルは「どうか味わって……罪の味を」と言っているんです。バッキンガムが「斧」と見込んだティレルは、斧でワインの樽の蓋を割りジョージを溺死させます。

 

リチャードが“救う”と言ったのは、“この世から救う”ということだと殺し屋が言うのもRⅢ準拠ですが、ティレルが言うとなんだか説得力と凄みが増します。

 

8巻35話の記事で、ティレルがジョージ暗殺の殺し屋2人も兼ねていますね、などと軽いことを書きましたが、人物の省略・集約なんていう生温いものではなかった!王子エドワードの幻影もマーガレットも登場しない代わりにティレルがいる。血を洗わないティレルはこことも掛かっているのかもしれません。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

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