『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

8巻35話暗殺の道程と暗殺者たちについて

(薔薇王の葬列アニメ13話対応)

 

ジョージの逮捕と暗殺をめぐる話は9巻半ばまで続いていきますが、35話は、この件へのリチャードの関わりを、『リチャード3世』(以下、RⅢ)と史実(史料)との間に見事に落とし込んでいるように思います。『ヘンリー6世』(以下、HⅥ。(第1部)〜(第3部)を明記する際は(1)〜(3)と表記)や『薔薇』7巻からの流れもミックスされています。

 

ジョージ逮捕の背景について

RⅢではリチャードがエドワード王を唆してジョージを投獄させる展開です。それは既に書いた通りですが、またもや石原孝哉『悪王リチャード3世の素顔』によると、古い史料からはジョージの件にリチャードの関与の記載はなくエリザベスの親族ウッドヴィルとの勢力関係エドワード王との対立の方がジョージの処刑には決定的であったのではないか、ということです。

 

『薔薇』では、ジェーンの提案を受けて、エドワード王がリチャードにジョージ関与の真偽の解明と犯人の逮捕を命じるという展開になっています。エドワードは健康を害しはじめており、“それ、明らかにジェーンが絡むsex & drugのせいだろ!”と読者には思える訳ですが、ジェーンはその原因もジョージの呪いのせいにしています(34話)。

 

エドワードの部屋から下がったリチャードは、ジェーンに、彼女自身が呪いに関与したのにジョージを犯人に仕立てるつもりかと問い質し、犯人を捕えればジェーンにも「嫌疑がかかる」「お前の命は俺が握っている」と警告します。しかし、ジェーンからは、王の堕落とジョージが「酒浸りで……平和をかき乱」していることを指摘され、また逮捕に必要な証拠は揃っていると言われ、そこに理があるとも思ってしまいます。

 

王宮に新参のジェーンにも見て取れるジョージの危険性をリチャードは改めて認識し、呪いの真偽がどうあれジョージを排除することを決意します。「呪い」自体も実はどうでもよいジョージ排斥の裏事情や王に対する危険という史料に近い話(呪いの罪状ってそもそもそんなものみたいですし)が、このジェーンの指摘やリチャードの決断を通して示されます。(エリザベスの親族とジョージの対立については、9巻38話で、そういう対立があるかのようにリチャードとバッキンガムが画策して作り上げた形で描かれています。)

 

7巻からの流れで言えば、この時点の『薔薇』のリチャードは、有能で行動力もあるものの、まだ「心を殺した」まま、受苦的・受動的にすべきことをこなしている感があります。少なくとも自覚的には王位を目指しているわけではなく、犠牲を払って得たヨーク家の王位のために、言われるままにアンと結婚、祝宴にも忠実に出席。ジェーンを探ったのも王宮への影響を懸念してでした。ジョージの逮捕もリチャードが決断はするものの、これも自分の野望のためではなく、ジェーンとエドワードに言われた後にそれを実行する形です。

 

リチャードはある意味、ジェーンのお膳立てにそのまま乗ってしまったことにもなるわけです。と同時に、ジェーンは、リチャードが無自覚に望んでいることを言い当てているようにも見えます。リチャードは、エリザベス親族への牽制に使うためにジェーンをそのままにしておきますが、ここはジェーンの方が何枚も上手な感じもしますよね……。

 

また、リチャードはヨーク家のためと考えているものの、長兄は薬物依存、次兄はアルコール依存……。外(またはジェーン視点)から見ればヨーク家はかなり詰んでいたりもします。

 

(とはいえ、ジェーンが何もかも画策したという訳でもなさそうですね。34話の記事で、イザベルが飲んだ薬もジェーンが与えたと書いてしまいましたが、これもよく読むと微妙で、むしろ違うかもしれません。本当にジェーンかはわからないまま、やりとりの食い違いでジョージがエドワードを疑うという流れですね。史実でもジョージは侍女を毒殺容疑で告発したりしているそうです。)

 

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バッキンガムの同行について

ジョージ逮捕に向かうリチャードをバッキンガムが追って来て、リチャードは同行を認めます。

 

HⅥ(2)でのエリナー逮捕の話が、この後の9巻36話で転用されているだろうと思うのですが、エリナーを逮捕するのがヨーク公と先代バッキンガム公(『薔薇』バッキンガムの祖父)です。これをリチャードとバッキンガムにしているということがあると思います。

 

ですが、それだけでなく、バッキンガムはリチャードに同行を求めて「どれだけあんたが否定しようと」と言いかけるのです。バッキンガムは、RⅢのリチャードのように、リチャードの玉座への道程としてジョージの暗殺を考え、リチャードの玉座への欲望も想定しています。

 

その言葉を遮ってリチャードは「手を貸せ」と言いますが、このやりとりも曖昧さを残したままにされています。バッキンガムには、リチャードが王位に就くために「手を貸せ」と言ったと聞こえたと思いますが(この時のバッキンガムの驚いた顔!)、ここでリチャードは自身の王位については何も言っていないんですよね。ジョージ逮捕のための「手を貸せ」にも取れます。

 

逆に、リチャードも王位に就くために「手を貸せ」と言ったのかもしれませんが、「俺に隠していることはないな」と聞かれて、怯んでしまったようにも見えます。リチャードの抱えた“身体の秘密”の重さや、逡巡や、王位に対する複雑な心理が反映されているようにも思えます。

 

こうして複合的に話を絡めることで、ジョージの逮捕と暗殺は、リチャードがエドワード王やヨーク家のために受け入れなければなかった行為であると同時に、無意識に望んでいた行為として描かれているように思えるのです。

 

ついでにいえば、「魔女」の筋書き通りの行為にもなっていると思います。

 

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John Martin   Macbeth  [Public domain]

血を洗わないティレルについて

そして8巻最後の最後にジェイムズ・ティレル登場!!あの方がティレル!(もう周知のところですが、ここは一応お約束的表現で。)

 

バッキンガムが暗殺を引き受ける者がいると言ったのがティレルでした。

 

死んだはずの人が生きていたという話はシェイクスピア作品にしばしば出てきて、特に、晩年のロマンス劇と括られる4作のうち3作に(!)そういうエピソードがあります。その中でも『冬物語』は、主人公の王が自分の愛する伴侶=王妃を投獄して殺そうとしたり、羊飼いが重要な役割を担っていたりします。『薔薇』ではティレルは表向き「羊飼い」のようですが、これは『ヘンリー6世』や『薔薇』第1部との関わりの方が強いだろうと思いますし、関連づけは流石に苦しすぎるでしょうか。いずれにしても『冬物語』のような幸せな結末には全くなりそうにありません……ね。

                                                                                             

RⅢでのティレルの登場はもっと後ですが、RⅢでジョージの暗殺に関わる2人の殺し屋も『薔薇』ではティレルにされています。仕事を請け負うフォレストとダウトンやバッキンガムを仲介させて、リチャードと直接合わない形にしているのもなるほどという感じです。RⅢでは名前しか出てこないフォレストとダウトンが、2人の殺し屋(←殺し屋なのにコミックリリーフ)に近いキャラクターになっている気がします。こういう人、シェイクスピア作品にいるいる!っていう2人ですねー。

                                                

“仕事”を終えたティレルは手についた血を洗わないまま食事に帰って来て、彼らから手を洗えと怒られています。これは多分直接には、2人の殺し屋のやりとり「こんな恐ろしい犯罪からはピラトのように手を洗いたいもんだ」(RⅢ)を反転させたものだろうと思います。

 

ただ、話の流れとしては、むしろ『薔薇』6巻で、ヘンリーが兵士から「国王がそうやって汚れずにいたから僕たちが血で汚れるはめになった……」と責められたこととの対照性を強く感じる箇所です。ティレルは自ら血に塗れています。ですがその一方、記憶を失っていたり、言われるままに人を殺したりで、血で汚れることに自覚や責任はないようにも見えます。

 

また、HⅥでは「神よ、わが罪を許したまえ、おまえも許されるよう!」(HⅥ(3))と言って亡くなるヘンリーが32話で道化の芝居になり、35話では積極的に罪を犯す人物になっています。そもそもRⅢの元の台詞が皮肉で、キリストを処刑したピラトの手を洗う行為は、むしろそれ自体罪や愚かさを示すものと言えるでしょう。手を洗わないティレルは、どちらにしても拭えない罪を象徴しているようにも思えます。

 

もう1つ、手の血を洗わない、ということで思い出されるのが『マクベス』です。1巻1話で『マクベス』オマージュの話を書いてからずっと放置したままでしたが、ようやくここで一寸書きます。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

第1部ではHⅥには出てこないヨーク公の亡霊/幻影が出てきて、『ハムレット』的な色を添えているように思いましたが(ヨーク公の亡霊/幻影は第2部でも登場するものの)、王位簒奪に向かう第2部では『マクベス』的な色合いが入っているように思えるんです。

 

明らか(?)な『マクベス』オマージュが出てくるのは9巻40話なので、マクベスとの類似については後々もう少し書ければと思いますが、35話でもなんとなくそんな雰囲気を(勝手に)感じてしまいます。

  

・最初から王位を狙っているわけではなく、王に忠実なリチャード(この辺が一番マクベス的だと思うところです)

・魔女に唆されて筋書き通りに実行

マクベス夫人的な立ち位置のバッキンガム(RⅢのリチャードのようであることは11巻46話の記事などで書きましたが、マクベス夫人のようでもあると思います)

・リチャードについてではないものの、殺人の犯行後に手を洗わない話

                                                                                                 

マクベスは殺人後に手を洗わずに戻ってきて、夫人に手を洗えと怒られます。(これはマクベスが殺ったとわかったら困るからですが。)そう言われて、マクベスは拭えない罪の重さを語ります。

 

マクベス 大ネプチューンの支配する大洋の水すべてを傾ければ、この手から血を洗い落とせるか?いや、この手がむしろ見わたすかぎり波また波の大海原を朱に染め、緑を真紅に一変させるだろう。(小田島雄志訳、白水社

 

(HⅥ(3)の翻訳は小田島雄志訳・白水社版から、RⅢは、河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)

 

スタイリッシュな感じが『薔薇王』っぽい気がした英国ロイヤル・オペラの『マクベス』のtrailerです。


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