『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

少年社中、毛利亘宏脚色・演出『テンペスト』感想

1月23日までの有料配信、1月28日までの上演です。

 

www.shachu.com

 

エンタメ的でエネルギッシュかつシェイクスピア

シェイクスピアの『テンペスト』を上演する劇団ものという翻案で、かなりエンタメ的でありつつ演劇比喩がシェイクスピア的でもあり。踊りあり殺陣ありでエネルギッシュ。舞台『薔薇王の葬列』や劇団☆新感線テイストが好きな方には楽しめる作品だろうと思いました。25周年記念公演で、25年も歴史のある劇団を他と比べるような言い方ですみません。地方在住でこれまで観る機会がなかった者の感想ということで許して下さい。

 

テンペスト』の解釈・読み替えとしても個人的には面白かったです。特にプロスペローの人物像や追放経緯の話は、“なるほど、こういうのもありか”と思えました。この辺、ネタバレ的なので下でもう少し書きます。

 

薔薇ステ同様、2.5次元で活躍の演者さんが結構出ていて、鈴木拡樹さんがエアリエルですが主役級。外枠ストーリーでのプロスペロー的な社中の井俣太良さんと2人が主役というところでしょうか。矢崎広さんは劇中劇プロスペロー役。鈴木勝吾さんがキャリバーン(一寸ジャック・スパロウ風?)、本田礼生さんがファーディナンド2.5次元舞台が、よい演者を育てる場になっているのだろうなと改めて感じました。舞台に映える演技がよいです。

 

鈴木拡樹さんが外見いかにも妖精エアリエルなのに(その外見通りの演技の時もありつつ)、時に漢前、時にべらんめえっぽく、こんなエアリエル初めて見た!と思いました。変幻自在なのがまたエアリエル的と言えば、エアリエル的。トリックスターのようなエアリエルです。エアリアル的存在の役はもう1人いて、それが萩谷慧悟さん。少し劇中劇エアリエルも演じます。萩谷さんは、透明感とどこか非現実感をもつ、こちらも素敵な雰囲気のエアリエルでした。鈴木勝吾さんのキャリバーンは、今作での改変に合わせて怪物的ではなくやさぐれ系、斜に構えた感じですかね。ミュージカル『憂国のモリアーティ』のウィリアム役でしか観たことがなかったので、あまりの違いに驚きました(←当たり前??)。一寸だけ歌うところもあるのですが、歌い方まで全然違うのです。

 

リンク記事と画像の下からネタバレ感想になります。

 

spice.eplus.jp

 

news.mynavi.jp

 

Photo by Johannes Plenio on Unsplash

 

翻案ストーリー

今作は、シェイクスピアテンペスト』の上演中に、過去にその劇団を追い出された演出家ギン(井俣太良さん)が、復讐のために上演を妨害したり罠を仕掛けたりするという、劇中劇『テンペスト』と外枠『テンペスト』的ストーリーが入れ子になった作りです。劇中劇『テンペスト』と外枠ストーリーが交差し収斂するような展開になります。ギンはパワハラで劇団を追われた設定で、それが『テンペスト』解釈としても私には興味深いものになりました。私にはプロスペローは老賢者のイメージが強固で、人間的に未熟なプロスペローや怒りを抱えたプロスペローも観ているのに、観終わると前者の賢者イメージに戻ってしまうのですが、確かにプロスペローには強権的でパワハラ的な面がある、あるいはそう読めると気づかされます。島での、特にキャリバーンやエアリエルに対する支配については、植民地主義的という指摘もありますもんね。

 

また、原案『テンペスト』の方ではプロスペローの弟が陰謀で王位を簒奪し島に追放した悪役になっていますが、今作では、弟(=今作では妹)は皆のために彼を追放した話になっています。原案の弟は明らかに野心的なので、弟については改変になるものの、エアリエル達へのプロスペローの態度からすれば、プロスペローの方にもかなり非があったという解釈もありうると思いました。原案ではプロスペローが弟達の罪を許す話であるのに対し、今作はむしろギン=プロスペローが劇団員達に対して許しを請う話になっています。パワハラ演出家設定が最初のネタになるだけでスルーされてしまったら嫌だなと思っていましたが、ギンが謝罪し、皆がそれを受け入れ彼が元の劇団に戻るという内実ある展開にされていました。(謝罪があってもパワハラを受けた後に一緒に創作ができるかとまで考えると、やや軽い扱いになるかもしれませんが。)

 

少し『テンペスト』の別演出版のことに触れるので、その作品のネタバレが嫌な方は、こちらをクリックして下さい。その箇所を抜かします。

 

baraoushakes.hatenablog.com

 

上リンクのロイヤル・シェイクピア・カンパニーでプロスペローを演じたサイモン・ラッセル・ビールは、プロスペローはエアリエルに対する力の行使(power play)を楽しんでいると述べていて(でも実際の演じ方はそれだけではなかったと思うのですが)、このRSCグレゴリー・ドーラン演出版は、エアリエルやキャリバーンへの支配も描いていたと思います。更に、キャリバーンがプロスペローを許すように見える演出だと思いました。少年社中版は、それを更に先に進めたように感じました。

 

外枠ストーリーでの役柄設定

劇中劇『テンペスト』で演じる役が、だいたい外枠ストーリー翻案『テンペスト』の役ですが、外枠ストーリーでの設定は以下のような感じです。

 

ギン井俣太良 劇団から追い出されたパワハラ演出家。彼だけ劇中劇の役はないものの原案プロスペロー。シコラクスも重ねられているかも。

ユメサキランノスケ(ラン):鈴木拡樹 海岸で『籠鶴瓶』の真似一人芝居をしていたところをギンに拾われ(←『ガラスの仮面』っぽいと思っちゃいました)、ギンの復讐のために劇団に入り込んでエアリエル役に受かり、劇団の芝居を滅茶苦茶にしようとする。原案キャリバーンも少し入っているかも。その企てを阻止しようとするゲキの霊に芝居中に体を乗っ取られ、その後ゲキに協力して、芝居の完結にも和解にも一役買う。

ゲキ萩谷慧悟 劇団の天才役者。ギンが横暴になった劇団を憂慮し辞めると告げるが、その直後に事故で亡くなり、霊になっている。もう一人の原案エアリエル。

カグラ矢崎広 劇団の現在の看板役者。劇中劇でプロスペローを演じる。「劇団を守る」が口癖、ギンのパワハラ演出に反発したが、ギンが追い出された後に劇団を守ろうとして徐々にギンのように振る舞うようになり、シュンに喧嘩を売られて諌められる。もう一人のプロスペロー。

シュン:鈴木勝吾 もう一人の看板役者、カグラとライバル関係。劇中劇でキャリバーンを演じる。ギンの追放後も彼にこっそり演技指導を仰いでいた。カグラが一人で全て背負おうとするのを不満に思い、喧嘩のように彼を愉し和解する。カグラをサポートしようとするなど、原案エアリエルも入っているかも。

ヒメ:大竹えり ギンの妹分。ランと同様劇団のオーディションでミラン役をゲット。やはり最初は芝居を壊そうとしたものの劇団に馴染み(原案でミランダが父に隠れてファーディナンドを助けようとしていたことを思わせます)、ギンが劇団に戻りたいことを見抜いてギンを挑発する。

ヒナタ:本田礼生 劇団の若手。ギンのことも追放経緯も知らない。劇中劇でファーディナンドを演じる。

ユッコ杉山未央 ギンを劇団から追放し主宰を担う。芝居と劇団員を大切に思う苦労人。劇中劇ではプロスペローの妹アンを演じる。劇中劇で女性役にされているが原案の弟アントーニオ=ミラノ大公。

ドラゴン:田辺幸太郎 ユッコの苦労をわかっており、共に劇団を支えている。劇中劇のアロンゾー役。原案アロンゾーはナポリ王で、アントーニオのプロスペロー追放に協力しミラノを従属させた。

他にゴンザーロ、多分セバスチャン、エードリアン、フランシスコー役も出てきて、少年社中の方達なのに役名と演者が一致しなくてごめんなさい……。

ジャンクなだぎ武 古参の劇団員。ユッコが追いつめられ、カグラとシュンの関係が危うくなった劇団の状況を見て、密かに主宰を狙う。劇中劇ステファノー。原案ステファノーは、船の難破で王達が死んだと思い、島で王になろうとする。

ダンケ: ジャンク派と見られている劇団員。劇中劇トリンキュロー(=ステファノーに従う道化)。

鬼瓦左近:日替わりゲスト(配信では松田凌) 劇団の脚本・演出家。『テンペスト』上演前に急逝。こちらは少年社中と縁のあった演出家へのオマージュもありそうですが、シェイクスピア的人物かなとも思いました。

 

ランは、ギン・プロスペローの計画を担うはずが、途中からカグラ・プロスペローを助け、劇の成功と和解に助力する、二重性のあるエアリエルの感じがしました。(あるいは以下に書くように、シコラクスの下からプロスペローの下に移行し、更には自分を解放したエアリエルということかもしれません。)ゲキはプロスペローとしてのギンによい感情をもちつつも解放と空気に戻ることを願い、和解を見届け去っていったように思えます。

 

ギンに重ねられているのではないかと書いたシコラクスは、プロスペローの前に島を支配していた「魔女」(とプロスペローに言われる)でキャリバーンの母です。彼女もまた祖国を追放され島に流された身で、既に亡くなっています。エアリエルは彼女に拘束されたのをプロスペローに解放してもらったものの、その恩を着せられて使役されます。キャリバーンもプロスペローに食べ物をもらったり言葉を教えてもらった一方、島をプロスペローに奪われるようになっています。ギンとカグラの関係が、シコラクスとプロスペローのようで、シュンがギンに師事し、カグラと対等の関係を望むのはその比喩に思われます。一見シコラクスよりましで先進的と思えるプロスペローも支配的であることが、今作でも示唆されていたと言えそうです。

 

今作では、ギンだけでなく、カグラもまた自省して支配性を認め、シュン=キャリバーンに、自身の弱さと恐れ、そんな自分が演劇を続ける迷いや虚しさを告白します。この辺もプロスペローとキャリバーンの関係解釈のようでもあり、プロスペローの最後の口上の変換のようでもあります。それもとてもよかったのですが、うわーと思って感動したのは、そのカグラの告白に対するシュンの答えにキャリバンの台詞が全く文脈を変えて使われていたことです。「怖がらなくていいんだ。この島はいろんな音や歌声でいっぱいだ(中略)そのまま夢を見ると宝物をいっぱい手に入れたような気持ちになるんだ、でもそこで目が覚めた時には夢の続きが見たくて泣いたもんだ。この島は素敵な場所なんだ。」

 

これは、元は、キャリバーンがステファノーに島の支配とプロスペロー殺害をもちかけ、それを妨害しようとするエアリエルの幻影に怯えたステファノー達に、そういう不思議現象はよくあるので怖がらなくていいと言っている台詞です。それが、「島」=「演劇」の夢のような楽しさを肯定し、それを再びカグラ=プロスペローと共有しようとする美しい台詞になった驚きと感慨がありました。

 

劇中劇との交差

最初にも書いたように、シェイクスピア作品では演劇の比喩がしばしば登場し、演劇であることに敢えて言及する口上が見られます。今回も引用されていた『夏の夜の夢』のパックの口上はおそらく代表的なものでしょう。「我ら役者は影法師、お客様のお気に召さずばただ夢を見たと思ってお許しを。幸いにしてお叱りなくば、盛大な拍手を。パックがお礼申します。」(←エアリエルのランがこれを語り出した時は、“あ、あれ?これは”と思ったら、パックとまで言っていて、突っ込まれていました(笑)。ランの名字はユメサキになっていたりもします。)その点でも劇団が『テンペスト』を上演するという翻案は、とてもシェイクスピア的に思えました。

 

プロスペローの謝罪を受け入れ皆で演劇を作ろうと和解するシーンでは、このパックの台詞で観客の拍手が請われ、そんなところもシェイクスピアっぽいし、プロスペローが最後に観客に口上を述べる『テンペスト』っぽいと思いました。一方、シェイクスピアの引退を示唆したともされる『テンペスト』口上内容とは逆に、今作の最後に語られるのは、むしろ劇団と演劇を続けることを告げる祝福的・祝祭的メッセージでした。

 

テンペストの最後の口上は次のようなものです。「この裸島に残るよう、魔法をおかけにならぬよう。」「もはやこの身には(中略)魔法をかける術もなく(中略)私もこの身の自由を、皆様にお願いします、このように」(小田島雄志訳・白水社)。ですが、今作ではキャリバーンの台詞「夢の続きが見たいと泣いた」と、おそらくパックの台詞が掛けられ(『マクベス』とかも入っている?)、その場で消える演劇、人生の儚さを、夢の実在として肯定する台詞での終幕でした。「ささやかな人生は眠りによって締めくくられる、それでも生きる」「この世には楽しいものがいっぱいある」「もっと見せてやる夢の続きを」。