『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

カクシンハン『シン・タイタス REBORN』感想

⽊村⿓之介演出・構成・脚色、10月13〜15日上演。

 

Unsplash  Pawel Czerwinski

 

どうも急遽(?)生配信+アーカイブ配信が決まったようで、ありがたく視聴しました。DVDも作成されるとのことです。クラファンは終了していますが、作品コンセプトなどの記載もあるのでリンクはそのままにしておきます。

 

readyfor.jp

 

キャスト情報もpiatix.comのページ内にありますが、メインキャストだけこちらにも。

タイタス・アンドロニカス 山井綱雄
ラヴィニア 春名風花
サターナイナス 栗田芳宏
タモーラ 貴島豪
カラスと呼ばれる男 大山大輔
バシエイナス 岩崎MARK雄大
ルーシアス 淺場万矢
エアロン たきいみき
語り部 三遊亭遊かり

 

カクシンハン『スマホVS.リア王』は主演の栗田芳宏さんに魅了され(今作も栗田さんは出演されています)、今作では主演の能楽師・山井綱雄さんの素晴らしさを堪能しました。山井綱雄さんは前半では能楽を意識させない普通の演技なのに、その時点からなぜかとても説得力があります。古典芸能の方のシェイクスピアとの相性のよさを再認識しました。

 

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タモーラの貴島豪さんも迫力のある朗々とした語りが素敵でした。他にも性別、年齢をミックスした配役があり、ルーシアスとエアロン(共に男性役)が女性の淺場万矢さんとたきいみきさん、若輩設定のサターナイナス(ローマ皇帝)が栗田さんで老齢設定のタイタス山井綱雄さんより年上です。エアロンのムーア人設定については、ローマ人達が白い衣装エアロンが黒い衣装で、台詞を語るうちに“あ、エアロンか”とわかるうまい作りと見立てになっています。サターナイナスには“見た目はお年寄りですがこの物語ではまだまだ駆け出しです”と敢えて説明も入っていましたが、こちらは役不足というか人物像が一致しない感じがしてしまい、設定も変えて貫禄のある悪役にしてもらった方が観やすい気はしました。

 

『タイタス・アンドロニカス』はかなり残虐な話なので苦手で、以前観たロイヤル・シェイクスピア・カンパニー作品は構えて観てもきつかったのですが、そんな私でも今作は割合大丈夫でした。上でリンクしたクラファンのページでも「私たちが届けたいのは、残酷な描写でも、恐ろしい表現でもありません」とされていて、残酷な箇所もあまり直接的な表現になっていません。中盤くらいまでのドタバタ喜劇風味は違和感もあったのですが(でも『タイタス』の悪ノリ的とも思える残虐展開は喜劇風味が正解なのかもとも考えました)、後半を相対的に静かな雰囲気にしているように思い、その流れもよかったです。例えば、タモーラが復讐神に化けてタイタスを騙す箇所はカットされ、タモーラの息子カイロン達にタイタスが復讐する箇所は能の場面のようになっていました。タモーラの造形が(貴島さんとは別方向で)とてもよかったロイヤル・シェイクスピア・カンパニーも、今作のようにタモーラの仮装場面をカットすればよかったのにとすら思いました。

 

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ただ、そういう工夫がされていたのに、今回は、今この時期にあまりに不毛な復習劇につらくなったり、演出上のメッセージをストレートに受け取るのが難しくなったりしてしまったのでした……。

 

この後の話は若干ネタバレ的かもしれないので、画像ツイート(タイタスの能面)挟みます。

 

 

山井綱雄さんのタイタスは、頑迷な感じはあまりせず、高潔で上品でありつつ前半はあまり感情が見えない抑制的な人物のようにも思えました(結婚式シーンでの明るさはやや不気味にも思えましたが)。息子2人が罠に嵌められて殺された時に、能を感じさせる低く響くゆっくりとした語りになり、鬼と翁の特徴が入ったような上画像の能面をつけます。その面をつけることによって、彼が初めて怒りと怨みの感情をあらわにできた感じがしました。娘ラヴィニアを強姦し舌を切ったのがタモーラの息子カイロン達だと知った時に、面はつけないものの、再びこうした語りで怨みを感じさせます。

 

上で書いたように、カイロン達を捉える箇所は能のようになっており、この場面では照明によって橋掛かりから能舞台に登場するようにも見えます。タイタスはこの場では更に赤頭を被り(神、鬼、閻魔などを示すものだそうですね)、連れ立って来たラヴィニアと2人で相舞をするようで、話すことができないラヴィニアの悲しみ怨みとタイタスの怒りが渾然一体になったような今作の見せ場だと思いました。能面をつけると声もくぐもってそれが怨恨の表現としてもよいと思いましたし、晴明な声で忠節を示していた前半のタイタスとの違いを感じることにもなりました。

 

原作通りタイタスは最後の饗応の場面でラヴィニアを殺すんですが、その前も2人は寄り添うように一緒にいて、殺される前にラヴィニアはタイタスに向き合い彼をじっと見つめています。ラヴィニアを手にかけるのは原作的にも衝撃でタイタスの独善にも見える箇所を、今作の流れだとラヴィニアの望みでもあったと感じさせ、ここもよかったです。それでも被害を受けた娘ラヴィニアの思いをタイタスが同化・領有しちゃうのはどうなのと両価的に思ったり、そもそもラヴィニアの恥じゃないよと(原作台詞・展開に)文句をつけたくなったり、もやもやは残るものの納得度はかなり上がりました。原作の方は、多分、最後まで衝撃と残忍さで押す怒涛の展開コンセプトだったんだろうと想像しますが。

 

上リンク・クラファンページによると、夢幻能を意識した作りにされているそうで、『タイタス』の物語を挟んで最初と最後にカラスと呼ばれる男(=シェイクスピア)と少年の対話が入り、その後少年が倉庫の外の現実の親の元に戻る終幕です(この辺、蜷川演出や吉田鋼太郎演出『ジョン王』を彷彿としました)。『タイタス』の物語自体には批判的・否定的な演出と言えそうです。原作最終場面から2つの点が変更されています。1つは原作ではタイタスの息子ルーシアスが次代の皇帝になって秩序回復されるのを、今作は彼を含めた晩餐会参加者全員が殺し合って死ぬことです。もう1つは、原作最終場面で不義の証として皆の前に晒されるタモーラとエアロンの子が、この場面では登場せず、少年が戻った現実の方の両親に大切に抱かれていることです。(前後するんですが、今作ではこのタモーラとエアロンの子を、ゴート軍を率いたルーシアスが殺しかけます。その前あたりで“この子、今作では殺されちゃうんじゃないか”となんだか嫌な予感がしたんですよね、浅場さんのルーシアスの雰囲気でしょうか。最終的には私の予感ははずれて、からくも助かった子を少年が拾う展開が入っています。)

 

物語内での解決を許さず復讐劇の不毛さを強調し、外枠でそれを批判する意志も提示されています。上リンクページ内で書かれた今作のコンセプト、「復讐や残虐な行為を現実世界ではおこさない」「復讐のない平和な世界をどうしたら実現できるのか」の通りでしょう。それを示唆するカラスと呼ばれる男と少年の対話は、私には説明過多というか一寸お説教っぽい気がしてしまったんですが(……ごめんなさい)、劇途中で少年が拾ったその子が、少年の親の元にいたのは本当に救いだなと思いました。