『薔薇王』にシェイクスピアをさがして

菅野文先生の『薔薇王の葬列』についてシェイクスピア原案との関係を中心にひたすら語ります

8巻31話アンへの求婚について

(薔薇王の葬列アニメ12話対応)

(※ネタバレになっていますので、ご了解の上お進みください。)
 

8巻31話は、『リチャード3世』(以下、RⅢ)の有名な場面のアンへの求婚の回ですね。

 

8巻と31話の表紙が喪服のアンで、美しく悲劇のヒロイン感満載。RⅢ部開始でいよいよ求婚場面だな!と想像させますが、本編ではアンは馬丁の姿をして虐げられていて、またもやいい意味で期待を裏切る展開です。喪服アンはやはり見たかったですし、表紙はサービス・ショットとも言えそう……。

 

31話は、アンとの結婚について、史実解釈、RⅢの有名場面、第1部のリチャードとヘンリーの関係、という全てが矛盾なく話の中に入っています。しかもRⅢのリチャードの台詞は、元の台詞とは異なる意味でリチャードの真実と嘘を語るものになっていて、いつもながらの素晴らしい作りです。

 

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ネヴィル家の遺産をめぐる婚姻戦略(史実解釈)について

史実の解釈としては、リチャードがアンと結婚したのはネヴィル家の領地や財産の継承のためというのが妥当なようです。つまりリチャードの権限拡大と兄ジョージの権限抑制ということですね。ジョージがネヴィル家の遺産を占有できなくなるため、アンをメイドにして隠していたという史料もあるそうです。そして、この結婚がリチャードとジョージの間に禍根を残します。(石原孝哉『悪王リチャード三世の素顔』からの受け売りです。)

 

RⅢではリチャードが王になる前にアンと結婚しておこうとだけ言って、義父ヘンリーを弔うアンを口説きに行きますが、上述の歴史的背景も『薔薇』ではしっかり描かれています。ただし、ここではエリザベスがジョージの権力拡大を警戒し、アンが未亡人のままではかわいそうだと理由をつけてエドワード王に進言する展開になっています。それを受けてエドワード王がアンとの結婚(とその前の求婚)をリチャードに提案します。

 

リチャードもRⅢとは異なり、ヘンリーとの愛を成就させて共に死ぬつもりが、それが叶わず魂を失ったような状態です。そんな状態でエドワードの命令のような提案を微笑んで承諾します。それが、『ヘンリー6世』(第三部)(以下、HⅥ(3))の台詞を描写しているように思えるんですが、そのリチャードの表情が本当にすごいんですよ。

 

そう、おれはほほえみながら人を殺すことができる、胸底では悲しみながら「嬉しい」と叫ぶことができる (HⅥ(3)3幕2場) 

 

ジョージとイザベルは、アンを世間の目から隠し馬丁としてとしてこき使っています。また、この後の32話では、この結婚をめぐって、ジョージがリチャードやエドワード王と険悪な仲になっていることが描かれます。

 

『薔薇』ではアンがメイドではなく馬丁になっているのも面白いですよね。RⅢの有名な台詞の馬、4巻でリチャードと心を通わせるきっかけでもあった乗馬と重なりますし、夫の(ランカスターの)エドワードの影武者として男装で早駆けした過去とも重なり服喪にもなっていると思います。しかもリチャードの方では、心優しい一方で乗馬が得意という女らしさの型にはまらないアンに惹かれたものの、ランカスターのエドワードの件でアンに裏切られた思いを強くしています。

 

アンの憎悪(RⅢ)について

RⅢでは、アンは求婚の場面で初登場(HⅥには出てきません)。夫のエドワードや義父ヘンリーの仇としてリチャードを蛇蝎のように嫌っており、散々に罵ります。『薔薇』11巻48話でエリザベスの台詞として使われた「天よ、雷でこの人殺しを打ち殺せ」はRⅢのアンの言葉です。そんなアンに対し、リチャードは、アンに愛して欲しかったから邪魔になる者たちを殺したと言って求婚します。

 

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アンはリチャードの言葉に押され、逡巡しながらも瞬く間に心を許し結婚を了承します。演じる人も説得力を持たせるのが大変だろうなーと思うくらいです。場合によってはちょろい女という印象にもなりそうですが(そしてそういう解釈や演出もありだと思いますが)、そうするとアンの悲劇性やアンを翻弄するリチャードの酷薄さが出ませんよね。

 

下敷きになったRⅢの台詞を抜き出すとこんな感じです。(この前後でもアンは罵声を浴びせています。)

 

リチャード 私が殺したのではないとしたら?

アン (中略)〔ヘンリーとエドワードは〕死んだのだ、悪魔め、おまえのせいで。

リチャード あなたの美しさなのだ、手を下させた黒幕は。あなたの美しさが、寝ても覚めても私を悩ませ、世界中の男を殺してもいいと思わせたのだ、あなたの素敵な胸にほんの一時でも抱かれうるなら。(中略)あなたはわが光、わが命だ。

(中略)

アン その舌も心も噓ばかり。(RⅢ)

 

一方、『薔薇』のアンはもともとリチャードを愛していますし、戦場での命のやりとりを深く恨むところはありません。RⅢの台詞を逆にして、「〔ヘンリーを〕本当にあなたが殺したの?」とアンから問いかける形にしています。

 

RⅢでも『薔薇』でも、リチャードは、ヘンリーとエドワードを殺したと言いますが、RⅢでは殺害事実を矮小化するのに対し、『薔薇』では事実以上の残酷な話を聞かせ、手を下していないウォリック伯の殺害まで行ったと語ります。またアンが身籠っていることを察知して、イザベルやジョージなら出産を機に殺すかもしれないと冷徹に言います。

 

RⅢとは逆に、(罵倒こそしませんが)始めに酷い言葉を投げつけるのはリチャードの方になっており、そんなリチャードに、アンは思わず「悪魔…」と返してしまいます。「私の知っているリチャード様は死んでしまった。あの方の尊い魂を悪魔が奪ってしまった……!」。ここで死んだと言われているのは、リチャードです。

 

このアンの台詞を梃子に、リチャードが、「あなたへの愛がそうさせた」と語ります。

 

ヘンリーへの愛の告白について

ところが、『薔薇』ではこの台詞はヘンリーへの愛の告白になっています。ここも演出的な見せ方が素晴らしく、リチャードはヘンリーの衣を抱きながらこの台詞を言うのです。31話の白眉のシーンと言えるでしょう。

 

アンへの求愛の台詞をヘンリーへの愛の告白にしてしまい、しかもRⅢ通り、アンへの求婚を行なう只中でそれをやっているんです。

 

リチャードの殺害行為も、かつてのリチャードが「独りで死んだ」ことも、ヘンリーとの成就できなかった「愛」がそうさせたという訳です。

 

RⅢでは、この会話の更に後で、アンは、リチャードが改心して嬉しいと「喜んで」結婚を承諾します。『薔薇』のアンは、リチャードの愛の言葉に一片の真実を感じつつも(「白く清らか」)、かつてとは違ってしまったリチャードの心の無い嘘だと思ったままです。

 

RⅢでも『薔薇』でも、“リチャードが自分を憎んでいる”とアンが言うのは結婚後ですが(RⅢ4-1、32話)、32話の台詞と回想から『薔薇』のアンはそれを知りつつ自分も愛憎半ばで結婚したのだろうと読めます。リチャードが警告してもいるので、お腹の子どもを守るためでもあったかもしれないと思わせますが、夫エドワードを庇って愛するリチャードに剣を向けた贖罪のようにも思えます。

 

31話の最後のコマは、ヘンリーの遺骸(偽物とはいえ)を横に、ヘンリーの衣を踏みつけて口づけするリチャードとアンになっています。リチャードが「独りで死んだ」という台詞にもかかるものですが、なかなかに凄い構図です。

 

リチャード こんな気分の時に口説き落とされた女がいるか?(中略)俺を憎み抜いている女をものにしたとは!(中略)足元には俺の憎しみの証人が血を噴いていたと言うのに。(RⅢ)

 

この台詞は使われていませんが、『薔薇』では、足元にヘンリーの遺骸を置いて憎んだ相手と結婚するリチャードとアン(しかも『薔薇』ではリチャードもエドワード王からの結婚の提案を承諾しています)の2人にこれが微妙に当てはまっているように思います。

 

(※HⅥ(3)の翻訳は小田島雄志訳・白水社版から、RⅢは、河合祥一郎訳・角川文庫版から引用しています。)
 
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